初めて就職した時の話|プログラマーを目指して
皆さん、こんにちは。
昨日は少し寒気がしていて、喉の調子も少し悪かったので、あららインフルかなコロナかなと心配していたんですが、今日は調子の良い一日でした。
昨日の夜、汗かいたほうがいいかなと、卓球の練習でかなり動いたのが良かったのかも知れません。
それでは今日も自分語りの昔話。前回の続きのお話になります。
田舎で職探し
東京のCG専門学校を卒業して田舎へ戻ってきました。この時の心境はあまり覚えてないのですが、おそらく、まったく働くモードになっていなかったと思います。人間的に成長していなかったというか、未熟な子供のままだったというのが正解だと思います。
私の場合は、東京でもアルバイトを2年間で数日やっただけで、仕事というもののイメージが定着するにはいたっていません。
ちなみに我が家の子供たちは、学校に通いながらアルバイトにせっせと励んでおり、その点は立派だなと思わないでいられないわけです。普通なんだろうけど、自分が普通にできなかったから。
当時の私は、ただただ、働かなきゃいけない状況だよなという意識だけはありましたから、地元の求人誌を見てプログラマーとしての仕事を探しているような感じでした。
その中から仕事としてプログラミングができそうだなと思われるものが一社だけあったので、そこに応募して、そのまま就職しました。いや、ほんと何にも考えてないですね。
何もわからない
社員は新人が数人だけ。いわゆる新しいシステムを開発して、提案販売する会社でした。商品開発は全て外注で、私はその設定や操作要員という感じです。当時はそれすらも理解していませんでしたが。
入社後はMS-DOSやOS/2などのOSの勉強から始めました。まだ、Windows3.1はありません。学校ではOSはUNIXだったので、まったく異なる分野でした。教えてくれる上司や先輩などはいません。社長に言われるがままに、パソコンを設定し、動作させていました。プログラマーではなくて、完全にオペレータでした。
出張に行くこともありました。よその会社の人に同行して機械の設置を行うこともありましたが、自分の役割がよくわかっていませんでした。ただついていっただけみたいなときもありました。
ただ覚えているのは、同行してもらった会社の人に、あるコンピュータの雑誌を紹介してもらえて、それを読んで勉強したほうがいいよとアドバイスをもらえたことです。私のあまりの知識の無さを哀れだと思ったのでしょう。当時はインターネットなど無いですから、すべて書籍や雑誌を読んで勉強しなければなりませんでした。
人が辞めて、また入って辞めて
新しいシステム提案ですから、売れるかどうかわかりません。というか全く売れません。営業は泣きながら辞めていきます。そして新しい営業の人が入って・・・また辞めて・・・。私にはどうすることもできませんでした。
あと、いま考えると恐ろしいことですが、未熟だった私はそれが異常なことに最初は気づいていません。へーそんなもんなのかという感じでした。
この会社は株式会社です。私は国民年金を払っていました。国民健康保険に入っていました。いま考えれば恐ろしい・・・当然ながら、もうこの会社はありません。
結局、最初のこの会社は、何もわからないまま、何もスキルが身につかないまま、嫌な思い出たっぷりに1年ほどで辞めることになります。仕事や会社というものが、わからなくなってしまっていました。正直、メンタルがやられてしまいました。次の仕事に探さなければなりませんが、それはまた別のお話です。
自分語りの昔話は、まだまだ続きます。
稚拙な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。