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200526_2週間ぶりの日記。リハビリ。

2週間以上も空いてしまった。書くことがなかったわけではない。日々、私の中でも、色々と進行している。変わったことを敢えて書くとすると、習慣性のない2週間を過ごしていたような気がする。起きる時間も割とバラバラ、寝る時間もバラバラ、やることも、やる量も、日によってバランバラン。かつここ数日は、思いっきり仕事をしていたような気がする。すると、当然、料理も手抜きになり、短時間で作れて最高に美味しくてヘルシーな、卵かけ納豆×2食&プロテイン&モリンガ×1食とかを平気でやってしまう。数日家を離れていたこともあった。コロナ期に入る前は、比較的こんな感じの無習慣が当たり前な人生を生きていたような気がするので、ただ単に、いつもの生活に戻ったということなのかもしれない。人は、そう簡単には、変わらない。これは真理だなあ。

何を考えていたか。書きたいネタをここにメモのように綴るところから始めてみよう。リハビリのようなもの。これだけ長く離れると、リハビリが必要だ。

・1200戦中の3敗
・人との関係性と、コミットメント
・人を「読む」
・大人になる
・複数の人格を持つということ
・秘密と駄々洩れ
・人に厳しい(ある程度の基準)
・全部「表」
・朝のDREAM TIME
・恋愛話
・作品を通してその人を読む
・モダンラブ
・巻き込み力(Tの独自のそれについて)
・いつか、伝えられたらいいな
・大人が子どもになり、子どもが大人になる
・エネルギーの余韻
・中心のない世界
・信頼を積み重ねるのではなく、信頼からはじめる
・自分の中の「安定感」
・マイルール
・朝のゴールデンタイム with ノートブック
・君と僕は、違う人間なんだから
・多世代で暮らすということ
・モモになる
・決めることで、自由になる


書きたいことがいろいろあるらしい。いくらでも、出てくる。
この2週間、この日記のことを思い出さない日はなかった。

罪悪感はなかったが、自分の中で何かが循環していない感じがしていたのは心地悪かった。今おもえばだけど…何かが、蓄積していく感じで、身体が重くなる。そういえば、肩もすごく凝っていた。心と身体は繋がっているのだから当たり前と言えば当たり前だが、日記を書いていないことと身体の中での循環が滞っていることの因果関係には、もっと早く気づいても良かったはずだ。

毎日こうして自分から出てくる言葉と向き合う習慣というのは、本当は、私に合っているんだと思う。習慣化はとっても苦手だけれど、また再開してみよう。自分のために。


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