早稲田大学人間科学部eスクールレポート:『Google のビジネスと将来の展望』

はじめに

 この文章は、前回の文章と同じく、2005年に54歳で早稲田大学人間科学部eスクールに入学後、最初の学期に受講した「情報と職業」という科目で課せられたレポートのうちの1本です。課題は3本あり、Amazon、Google、iTunesについて、それぞれの分析と将来の展望について書くもので、これは、そのうちのGoogleをテーマにしたものです。

 文字数は「2,000字以上」となっていたので、Amazonをテーマにしたレポートでは1万7,000字、このGoogleをテーマにしたレポートでは2万6,000字以上も費やしてしまいました。

 前回のAmazonについてのレポートもそうでしたが、学生という立場から、扱っている情報は、すべて公開されているものです。また、扱われているデータ等は、すべて2005年当時のものです。データは古いのですが、データベースや検索エンジンの歴史に興味のある人には、面白く読めるかもしれません。

 なお、レポートでは、「Googleは広告依存体質からの脱却をめざすべき」と結論づけましたが、検索エンジンのビジネスモデルは、いまも広告に依存したものになっているようです。

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「情報と職業」01 クラス課題レポート
  所属:人間情報科学科
学籍番号:********
  氏名:菅谷 充
  題名:『Google のビジネスと将来の展望』

『Google のビジネスと将来の展望』

#1 . 序論:高騰するGoogle の株価

 2005 年5月16 日、SEC(米国証券取引委員会)に提出されたGoogle の2005 年第一四半期の報告書によれば、1月から3月までの総収入は12 億5,651 万6,000 ドル(1,374 億5,027 万4,816 円)であり、このうちの99 パーセントに当たる12 億4,111 万2,000 ドルが広告収入、1パーセントにあたる1 万5,404 ドルがライセンス他からの収入となっている。
 また、広告収入のうちの52パーセントに当たる6億5,699万7,000ドルが「Google web sites」、58パーセントに当たる5 億8,411 万5,000 ドルが「Google Network web sites」からの売り上げとなっている。(*)
「Google web sites」とは自社の検索エンジンの表示結果と同じ画面に表示される「Googleアドワーズ広告」のことであり、「Google Network web sites」とは、Google 以外のWeb サイトに貼り付けられた「Google AdSense」のことを指している。
 検索エンジン提供会社として知られるGoogle は、ほとんどの収入を広告から得ていることになる。検索エンジン機能の他のポータルサイトへの貸し出し、企業内イントラネット向けの「Google検索アプライアンス」といった検索関連ビジネスからの収入は、わずか1パーセントにとどまっている。現在のGoogle は、検索エンジンというよりも、独自の検索エンジン機能を活かした(あるいは検索エンジンを人寄せに使った)世界最大級の広告代理業というのが正しい表現ではなかろうか。
 2004 年8月19 日、この日、NASDAQ に上場したGoogle の株は、1株85 ドルという予想以下の初値で売り出されたが、その日のうちに100ドルを突破。その後、株価は上昇の一途をたどり、今年の4月21 日に200 ドルを突破すると、6月に入ってからは300 ドル目前にまで達した後、280 ドル前後でのもみ合いを続けている。時価総額は773 億2,000 万ドル(8 兆4,657 億円)にもなっているが、多数の証券アナリストがGoogle の株価が350 ドル前後まで上昇するという強気の予測を立てている。(**)(***)
 実績もともなっているため、この高値も、けっして「バブル」状態ではないというのだが、はたして本当なのだろうか? 検索エンジンの研究着手が1996 年、独自サイト「www.google.com」のスタートが1997 年9月15 日。そして、翌1998 年9月7日、シリコンバレーの一角、カリフォルニア州メンローパークのガレージで会社としての産声をあげた後、わずか6年で上場を果たし、時価総額において世界最大の自動車会社GM をも抜き去ったGoogle――その歴史とこれまでのビジネスを検証することで、同社の将来を予測してみたい。

(*)Summery of Google, YaHoo! Finance, http://biz.yahoo.com/e/050516/goog10-q.html
(**)Historical Prices for Google からcsv ファイルをダウンロード, http://finance.yahoo.com/q/hp?s=GOOG
(***)株価は2005 年6月15 日NASDAQ 市場のもの。

#2 . 本論:Google の検証

##2.1 検索サービス前史――データベースの時代

 昔、「サーチャー」という職業があった。英語のスペルは「Searcher」。オンライン・データベースで必要な情報を的確に検索するのが主要な任務の職業である。
 いや、サーチャーという職業は現在もあるはずだが、いまや、すっかり影が薄くなり、1990年代前半までのような花形職業ではなくなった。誰もがインターネットを使うようになり、必要な情報は、自分でロボット型、あるいはディレクトリ型の検索サービスを使って探し出すようになったからである。さらには、オンラインデータベースもインターネットに対応し、個人でも利用できる環境が整ってきた。これが、サーチャーという職業を衰退させた大きな要因となっているはずだ。
 それでもサーチャーに頼らなければならないこともある。たとえば自分が欲している情報が、どのデータベースに入っているのかさえもわからないよう場合である。特許、医薬品、裁判の判例、学術論文、書誌情報などのデータを探し出すには、まだまだ特殊な技能を要することがある。
 そのような専門的なオンラインデータベースの先駆けとなったのが「ダイアログ(Dialog)」である。
 1960 年代半ば、航空機メーカーのロッキード社では、ランダム・アクセス・ディスクとCRT、そして通信機能を持る第三世代コンピューターのIBM 380/30による情報検索システムを作っていた。担当していたのは、ロジャー・サミット(当時34 歳)というエンジニアであった。
 ロッキード社は、1968 年、NASA が構築していたRECON (Remote Console Information Retrieval Service)と呼ばれる情報検索システムの受注に成功し、さらに核エネルギー委員会、欧州宇宙研究機構、米国教育事務所などのデータベースを検索するシステム構築の契約にも漕ぎつけていた。その成果を踏まえ、ロッキード社は1972 年、多数のデータベースにオンラインでアクセスし、情報を検索できる有料のシステムをスタートさせ、これを「ダイアログ」と命名。システムを開発したサミットは、「オンライン・システムの父」と呼ばれるようになる。後にインターネットの検索サービスが人気を呼んでいくが、オンラインでの情報検索システムという意味では、「ダイアログ」こそが世界初の情報検索システムであった。
 しかし、膨大な数の書誌データなどを集めた「ダイアログ」の利用は、一筋縄ではいかなかった。
 まず、情報の検索方法をおぼえるのが大変だった。マニュアルは、電話帳よりも厚いバインダーに挟まれたものが数十冊。複雑なコマンドを憶え、シソーラスという要約をうまく使えないと、思うような検索結果が得られなかった。だからこそ専門の検索技術を習得したサーチャーという存在が必要になったのだ。
 そのうえに料金が高かった。日本では紀伊国屋と丸善の2書店が代理店となったが、データベースを検索するためには、テレックスのような原始的な通信端末が必要で(CRT は付いておらず、検索結果はプリンターに直接出力される仕組みだった)、通信速度も低速だった。その後、パソコン用の通信ソフトが登場したが、ただ接続することしかできないソフトの値段が10万円以上。300bpsという超低速モデムも10万円以上したうえに、データ1件あたりの情報料も、すぐに数万円単位になった。
 アメリカでは、長距離電話会社のMCI が運営していた電子メール専門サービス「MCI Mail」に加入すると、個人会員でも「ダイアログ」へのアクセスが可能となっていた。「MCI Mail」を経由したときの「ダイアログ」の料金は、個人でも支払い可能なリーズナブルな値段だったが、日本人ユーザーは「ダイアログ」へのアクセスを拒否された。高額な料金をとる日本の代理店に対する配慮だったらしい。
 だが、ほかにも抜け道はあった。マサチューセッツ州ボストンにホストコンピューターを置く「Delphi」というパソコン通信サービスに加入すると、ここから「ダイアログ」にアクセスできたのだ。当時(1985年)、「Delphi」経由で「ダイアログ」を安く使えることを知ったジャーナリストの山根一眞氏が、大喜びで報告していたことがある。(*)
 さらに「CompuServe」というパソコン通信サービスが、「ダイアログ」を含む多数のデータベースの横断検索が可能な「IQuest」というサービスを始めたことで、オンラインデータベースの世界は、さらに身近なものになっていった(日本では、CompuServeと提携する「ニフティサーブ」が、「IQuest」を「INFOCUE(インフォキュー)」の名前で提供した)。
 日本からも「CompuServe」か「ニフティサーブ」を経由すれば、個人でも比較的容易にオンラインデータベースが利用できるようになったのだが、個人での利用は、一部のジャーナリストや、企業を相手にした検索代行サービス業者に限られていた。
 しかも「オンラインで情報を検索する」という習慣も、一般の人たちにはなかった時代である。だからこそ企業や研究所で特許や判例、医療などに関連する論文や情報が必要な場合には、サーチャーという情報検索の専門職に依頼し、アメリカのデータベースから目的の情報を引き出してもらう必要があったのだ。日本の科学、医学に関連した論文も、その多くが英語でも発表されてデータベースに収録されるため、サーチャーのようなデータベースが使える環境にある人にとっては、大学の図書館などに出かけるよりも簡単に(ただし料金はかかるが)、必要な論文を探し出すことができた。
 しかし、一般の人々が、みずから「情報検索」する時代が到来するのは、まだ先のことである。
 ここでは、世界初の商用オンラインデータベース「ダイアログ」をはじめたのが、あの航空機メーカーのロッキード社であったこと、そして、「ダイアログ」を開発したのがロジャー・サミットという若きエンジニアであったことを記憶にとどめていただきたい。あとでGoogleの将来を占うキーワードして、ロッキード社やロジャー・サミットが、ふたたび登場するからである。

(*)「デジタル社会のビジネス情報活用術――ノンフィクション作家・山根一眞氏に聞く」, http://www.nikkei.co.jp/telecom21/20_int/01/ (ここで山根氏も「ダイアログ」の接続料金について語っている)

##2.2 乱立するWeb 検索サイト――インターネットの時代

###2.2.1 インターネットの大衆化はMosaic から

 一般の人々が情報検索に目覚めるのは1995 年のことである。
 この年は、日本でもアメリカでも、「インターネット元年」と呼んで差し支えない年であった。もちろんインターネット自身の紀元は、その前身であるARPANETの時代まで考慮すれば、1969年までさかのぼることができる。しかし、インターネットの民間開放は1990 年代序盤になってからであり、ブームともいえる状態になったのは、まぎれもなくWindows 95 が登場した1995年以降のことである。
 アメリカでは、1992 年に誕生したクリントン政権が、アルバート・ゴア副大統領が提唱した「情報スーパーハイウェイ構想」の推進を打ち出し、情報の超高速道路(スーパーハイウェイ)として、インターネットの利用を推奨した。1994年のことである。ここからインターネットの商用化が一挙に加速されていく。翌年にはWindows 95 も登場し、通信ソフトを無料でバラ撒く「AOL (AmericaOnline)」の猛烈なユーザー獲得や、多数のインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)の登場により、アメリカではインターネットに接続するユーザーが急増した。インターネット大衆化時代のはじまりである。
 メールや掲示板の利用が中心だったインターネットが、一般ユーザーでも使える便利なネットワークに変貌したのは、1991年に公開されたWWW(World Wide Web)の技術と、その技術を使って作成されたWeb ページを表示する世界初のブラウザー「NCSA Mosaic(モザイク)」の登場によってであった。「Mosaic」は、それまではUNIX をOS としたワークステーションでしか閲覧できなかったWWW の世界を、パソコンのWindows 3.1 やMac でも覗けるようにした画期的なソフトであった。しかもマウスの操作だけでハイパーテキストのリンクをたどれるため、パソコンに慣れていない人でも簡単にWWW を体験することができた。
 イリノイ大学内に設けられたNCSA(National Center for Supercomputing Applications)で「Mosaic」の開発に当たったマーク・アンドリーセン(当時、イリノイ大の学生)は、Mosaic の将来性に目をつけたシリコングラフィック社のジム・クラーク社長の勧誘と資金援助を受けて1994年春に独立し、同年秋、新しいWeb ブラウザー「Netscape」を発表した。
「Mosaic」が登場した頃、WWW の技術を使ったWeb サイトが爆発的な勢いで増えていたが、あまりのWebサイトの急増ぶりに、多くのユーザーが戸惑った。どこにどんなサイトがあるのか探し出すのが一苦労だったからである。当初は政府機関や大学などが運営するだけだったWebサイトも、企業や個人に拡大し、まさにとどまるところを知らない勢いで増えつづけていた。

###2.2.2 Yahoo!の誕生の影にNetscape あり

 その増殖をつづけるWebサイトを分野別にまとめ、わかりやすく分類し、リストにしていた2人の若者がいた。彼らの名前はジェリー・ヤン(25 歳)とデビッド・ファイロ(27 歳)。ともにカリフォルニア州サンフランシスコの南方に位置する通称シリコンバレーの一角、パロアルトにあるスタンフォード大学の博士課程で学ぶ学生であった。
 2人はCADに関する博士論文を書かなければならない身の上だったが、担当教授が長期休暇を取ったのをいいことに世界中に存在するWebサイトのリスト作りに没頭し、やがて、自分たちのWebサイトで公開した。
 当初はコンピューター関連のサイトばかりを集めていたが、すぐにインターネットの世界で評判になり、アクセスが急増する。そのため2人は、趣味や生活、スポーツなどのカテゴリーを追加し、さらに細かなサブカテゴリーもぶらさげていく。また2人は、特定のWebサイトを見つけては、効率的にリストに追加してくれる「検索エンジン」のプログラムも開発した。
 当初、「ジェリーのWWW ガイド」と命名されたWeb サイトのリストは、評判が評判を呼んで、さらにアクセスが増えたため、スタンフォード大学は、彼らが作業しやすいようにとワークステーションを積んだトレーラーハウスを寄付してくれた。トレーラーハウスの内部には2台のワークステーションが設置され、索引データを保存するマシンには「Akebono」、検索エンジンが搭載されたマシンには「Konishiki」という名がつけられた。ともに日本の大相撲で活躍していたハワイ出身力士の名前である。なおYahoo!の検索エンジンは、自分たちが収集したデータを検索するものであり、世界中のWeb サーバー上に存在するWeb ページを検索するものではない(この時点では。後にGoogle など外部のWeb ページもサーチする検索エンジンを導入する)。
 さらにアクセスが増えつづけたディレクトリ型検索サービスのサイトは、その名前を「デビッドとジェリーのWWW ガイド」に変更した後、さらに名前を変更する。彼らが選んだ名前は、「Yer Another Hierarchical Officious Oracle(もうひとつの階層的でおせっかいなご神託)」の頭文字をつづった「Yahoo!」であった(創業者の2人は、スイフトの『ガリバー旅行記』に登場する悪人の名前から採ったと主張している)。
 1994年4月当時のYahoo!へのアクセス数は、週に1,000件ほど。サイトに掲載されたリストの数は100 件にすぎなかった。これが5ヶ月後の9月には、リスト2,000 件に対し、アクセス数は1日で5万件を超えるようになる。ブラウザは、まだMosaic の時代であった。
 また、Yahoo!のリストは、基本的には人間の手を介して選別され、掲載されている。他の検索サービスが、「bot(またはrobot)」「spider」などと呼ばれる検索ロボットが集めてきた結果を自動的に表示するだけなのに対し、人間の手による「編集」が加わることに特長があった。
 手作業が加わるため、当然、最新のサイト掲載は遅れることになる。しかし、たとえばアダルトサイトや犯罪に関連したサイトを人間の手で排除することで、一般ユーザーからの信頼を得る道をYahoo!は選択した。この姿勢は、いまも変わっていない(とYahoo!では述べている)。
 Netscapeのベータ版が発表されたのは、同じ1994年10月のことである。Netscapeは、Mosaicのプロジェクトから抜けたマーク・アンドリーセンが開発した新しいブラウザーで、無料で提供されたベータ版を求めて世界中からアクセスが殺到した。
 このときNetscape 社のWeb サイトは、ポータルサイトの役割をも果たしていた。Netscape のサイトから多数の「お薦めサイト」がリンクされていたからである。そのリンクの中、「ディレクトリ」の項目にYahoo!が掲載されたことでYahoo!へのアクセスは、さらに急増する。
 増加する一方のアクセスのために、ついには大学から貸与されている「Akebono」や「Konishiki」では対応できなくなった。スタンフォード大学の通信回線も、Yahoo!へのアクセスが集中するため、他の部署で使われているネットワークが頻繁にスローダウンするようにもなっていた。そのためヤンとファイルの2人は、新しいサーバーを探す必要に迫られるが、そこに救いの手を差しのべてくれたのが、Netscape 社を立ち上げたばかりのマーク・アンドリーセンであった。
 アンドリーセンは、Netscape社の後ろ盾でもあるシリコングラフィック社からサーバーを購入してYahoo!に提供した。これがYahoo!商用化への第一歩となり、1995年3月に会社を設立。1995年8月9日に株式公開したNetscape 社の株価が、その日のうちに2倍以上に上昇したことにも影響され、イギリスの通信社ロイターや日本のソフトバンクからの投資を受けた後、1996年4月12日、Yahoo!もついに上場する。
 創設者のひとりデビッド・ファイロは、IPO を手がけた証券会社ゴールドマン・サックスが、1株あたり25 ドルの公開価格を設定しようとしたのに対し、さらに低い設定価格を主張した。機関投資家ではなく、実際にYahoo!を利用している個人が買える価格にしたかったからである。その結果、公開価格は13 ドルになったが、取引開始と同時に20 ドルを軽々と突破。一時は43 ドルにも達したが、最終的に33 ドルで初日の取引を終えた。
 同時期、アメリカでは、「ドットコム企業」の上場が相次いでいた。Yahoo!の上場10 日前の4月2日にはLycos(ライコス)が、4月4日にはExcite(エキサイト)が、そして、Yahoo!の上場から2ヶ月後の6月11 日にはInfoseek(インフォシーク)が上場し、それぞれ巨額の資金獲得に成功した。いずれも検索サービスを提供する会社である。
 当然、これらの上場成功は、若いドットコム企業の社員たちにも富をもたらし、Yahoo!の社員の中にも、ポルシェやベンツで出勤する者が現れる。
 そんなドットコム景気にアメリカが沸き返っている頃、Yahoo!の2人の創設者を生んだスタンフォード大学のキャンパスでは、また新たな胎動がはじまっていた。

###2.2.3 Google の誕生と検索技術

 1995 年の春に、スタンフォード大学で出会ったサーゲイ・ブリンとラリー・ページの2人は、インターネット上に存在するすべての情報を探し出す検索エンジンの開発をすることで意気投合し、翌1996 年から研究に専念しはじめる。2人ともスタンフォード大学大学院の博士課程に在籍する学生であった。
 手作業によるディレクトリ型検索サービスのYahoo!以外に、多数のロボットによる自動Webページ収集型検索サービスサイトが登場していたが、Webサイトが爆発的に増えるにしたがって、その更新頻度が遅れ、また検索結果も膨大な量になってきたことから、使い勝手が悪くなっていた。
 1995 年当時には、すでに多数の検索サービスが姿を見せていた。前述したように、翌1996 年から、Yahoo!の上場と相前後して多数の検索サービスが上場を果たし、ドットコム・バブルの立役者となっていく。
 この頃、インターネット上に現れていた検索サービスには、以下のようなものがある(*=上場した検索サービス。カッコ内は、それぞれの検索サービスの命運)。

1993 年
・Wandex(世界初のWeb サイトを巡回するWeb クローラー)
・Aliweb(世界初のディレクトリ型検索サービス。現在も稼働中)
 http://www.aliweb.com/

1994 年~
・Lycos(*、スペインの電話会社に買収された後、名前が変わったが、韓国のポータルサイトに買収され、Lycosの名前が復活。日本法人は楽天に買収され、Infoseekと合併後、名称が消える)http://www.lycos.com/
・WebCrawler(1996 年、Excite に買収される)http://www.webcrawler.com/
・Hotbot(雑誌「Wired Magazine」が始めた検索サービスサイト。その後、Lycos に買収され、Windows のツールバーからの検索システムがGoogle などに採用される)
 http://www.hotbot.com/
・Excite(*、Yahoo!、Google と同じスタンフォード大の学生によって創立。1996 年に上場。1999 年にケーブルテレビ系ISP の@Home と合併しExcite@Home となるが、2001年、ドットコム・バブルが弾けた後に倒産。Ask Jeeves がブランドを引き継ぎ、現在も運営中。日本法人は伊藤忠が子会社化して継続中)
 http://www.excite.com/
・Infoseek(*、1998 年、ウォルト・ディズニー社に買収されGo.com となる。日本法人は楽天に買収され、ポータルサイトとして継続)
 http://search.go.com/
・Inktomi (2002 年にYahoo!が買収)
 http://www.inktomi.com/
・Open Text(もともとはオックスフォード英語辞典のオンライン版として開発。その言語検索技術はYahoo!などにも採用されている。Open Text自体は、現在はドイツのIT 企業に買収され、主に大企業向けの検索システムを販売している)
 http://www.opentext.com/
・Northern Light(独立系検索エンジン+ポータルサイト。現在も稼働中)
 http://www.northernlight.com/
・AltaVista(*、カリフォルニア州パロアルトにあったミニコン・メーカーDEC の研究所で開発された検索エンジン+インデックス・システム。世界初の多言語検索サービスで、日本語を使うこともできた。DEC がコンパックに買収されたことからコンパックの1部門となるが、その後、紆余曲折を経た後、インターネット広告会社Overtureに買収される。さらにOverture がYahoo!に買収されたことから、現在はYahoo!の子会社となっている)
 http://www.altavista.com/

 このような「検索サービスブーム」の中、ブリンとページが開発したのは、検索ロボットに検索させたWeb ページに「順位」をつけるという新しい技術であった。
 検索ロボットが収集したWebサイトのリストを並べるだけの検索サービスは、すでに、いくつもあった。同じような技術を開発したところで、誰も使ってくれそうにない。そこで2人が考えたのは、検索されたWeb ページに「順位」をつけることだった。
 Yahoo!ならば、スタッフがWeb サイトを巡回し、「主観」でサイトの良否を決めていくはずである。実際、Yahoo!では、スタッフが「クール(カッコいい)」と判断したサイトへのリンクには、サングラスのアイコンが添えられていた。
 しかし、ブリンとページの2人は、コンピューターに順位づけをやらせることにした。「PageRank(ページランク)」と商標登録もされた順位づけの方法は、まさにヒョウタンから駒のような発想が用いられていた。ひとつのWebページを検索したとき、そのページへのリンクの数を調べ、外部からのリンクの数が多いWeb ページを「人気のあるサイト」と判断することにしたのである。
 人気の高いWeb ページからリンクされたページは、人気度のポイントが高くなる仕組みを持たせていた。そのようなリンクの有無やリンクの重み以外にも、ページに順位をつける要素を持たせていた。これは、複数のキーワードを打ち込んだ際、それらのキーワードが、Webページの中で、どれくらい離れた位置に配置されているかを調べるというものである。キーワード同志が近接して配置されていれば、そのページのポイントも高くなる仕組みであった。
 検索結果のうち、一番人気の高いWebページにダイレクトに飛ぶ方法もある。この機能を使いたいときは、検索用のボックスにキーワードを入れた後、「I'm Feeling Lucky」ボタンをクリックするだけでいい。
 Googleの検索は非常に高速だった。検索されたページの一覧は、コンマ数秒もかからずに表示された。検索してヒットした件数と所要時間が、誇らしげに検索結果の画面に表示されるのも、検索スピードに自信を持っていたからだ。数万の検索結果がヒットしても、表示に0.5秒とかからないことが、Google のセールスポイントにもなっている。
 また、検索されたWebページが削除されていたり、そのサイトがメンテナンスなどでダウンしていたときのためにGoogle では、ロボットが収集してきたWeb ページを保存する「キャッシュ」も備えていた。情報は多少古くなるかもしれないが、まったく見られないよりは、はるかにましである。

###2.2.4 Google の法人化と発展

 Google は、冒頭にも記したとおり、1997 年9月に「google.com」のドメインを取得する。しかし、Googleを事業化するのには難関があった。検索ロボットが収集してきたWebページのデータを保存するためには、数千台(最終的には10 万台単位)ものサーバーを必要とするからだ。当然、サーバーを購入する費用が必要となる。
 彼らに救いの手を差しのべたのは、ワークステーション・メーカー「Sun Microsystems」の創業者のひとり、アンディ・ベクトルスハイムだった。
 ベクトルスハイムを含む4人のSun Microsystems 創業者のうち3人までが、スタンフォード大学でMBA を取得していた(残る1人はUC バークレー出身)。そもそもSun という社名も、「Stanford University Network」の頭文字をとったものだったのだ。つまり、ベクトルスハイムは、日本風にいうならば、Google 創業者のブリンとページにとっては大学の先輩ということになる。
 1982 年に創設され、1986 年に上場を果たしたSun は、その後も順調に成長をつづけていたが、1995 年、ベクトルスハイムはSun を去り、インターネットの高速中継装置を開発する「Granite Systems」を設立する。この会社は、翌1996 年、ルーター製造大手のシスコ社に2億2,000 万ドルで買収され、ベクトルスハイムは新しく設立されたCisco Gigabit Systems社の副社長となった。ベクトルスハイムがGoogleの若き創始者たちに援助の手を差しのべたのは、そんなときのことだった。
(ベクトルスハイムは、その後、再び独立するが、こんどは、その会社が古巣のSun に買収され、彼も現在はSun にもどっている)(*)
 資金を必要としていたブリンとページは、人から紹介されてベクトルスハイムと会い、自分たちの考える検索エンジンのことを必死にプレゼンテーションした。
 ベクストルハイムは、最後まで話を聞かずに、2人の目の前で1枚の小切手を切った。額面は10万ドル(約1,000 万円)。ブリンとページは、この資金をもとに、1998 年9月、Google を株式会社として登記した。最初のオフィスは、友人宅のガレージであった。
 だが、スタート当初のGoogleは、Altavistaの方がヘビーユーザーの人気が高かったこともあり、多くのアクセスを集めることができなかった。
 Googleの最大の特徴は、画面のシンプルさにあった。これは先行するAltaVistaを真似たからである。技術志向の強いブリンとページは、何よりも素早い検索ができることを望んでいた。そのため画像の使用もタイトルロゴだけに制限していたほどだ。
 これは、情報検索のみに特化したサービスであることを強調するためでもあったが、ヘビーユーザーはAltaVistaに慣れてしまっていた。反対に一般ユーザーとなると、Yahoo!のようなカラフルで画像も多い検索サイトに慣れていたため、画面が貧弱に見えるGoogleには見向きもしなかった。
 風向きが変わるのは、検索エンジンの分野で最大のライバルだったAltaVistaがポータルサイトを志向し、画面デザインを変えたことである。Googleのシンプルな画面デザインは、AltaVistaのシンプルな画面デザインを意識したものでもあったのだが、そのお手本となっていたサイトが、見映えが派手なポータルサイトに衣替えしてしまったのだ。おかげで、検索だけが目的だったヘビーユーザーたちが、AltaVisa の利用を手控えるようになった。1999 年のことである(現在、Overture社の傘下にあるAltaVistaそのもののWebサイトは、Googleに似た非常にシンプルなものになっている。http://www.altavista.com/)。
 このAltaVistaの心変わりに失望したヘビーユーザーたちが目をつけたのが、やはりシンプルな画面デザインのGoogle だった。しかも使ってみると、「PageRank」機能によって重要なWeb ページが上位に集まっていることもあり、非常に使いやすい。そんな評判が評判を呼び、Googleは、一挙にトップクラスの人気検索エンジンの座に躍り出る。これがGoogle の「ブレイク」となった。
 Googleが広告の掲載をはじめたのは2000年のことである。ユーザーが検索用に入力したキーワードと関連するテキストベースの小さくてシンプルな「アドワーズ」という広告である。
 Googleは、独自の検索エンジンを他のポータルサイトなどに貸与、あるいは販売することでも収益を得ようとしていたが、実際には、広告収入の方がはるかに大きくなる。
 さらに一種のアフィリエイト・プログラムともいえる「Google AdSense」もスタートし、ますます売り上げを伸ばしていく。
 2000年の大統領選挙で、クリントン政権下で情報スーパーハイウェイ構想の陣頭指揮をとっていたアルバート・ゴア副大統領が、石油や軍需などの旧型重厚長大産業の支援を受けたジョージ・ブッシュに敗れたことから、好況を呈していたドットコム景気に陰りが出て、一気にバブル景気が崩壊する。
 Yahoo!も株価の低迷にあえぐ結果となり、広告だけに頼っていたビジネスモデルを路線変更して、有料サービスを開始した。
 しかしGoogle は、まだ上場していなかったこともあって、バブル崩壊の影響を受けずにすんでいた。しかもバブル崩壊は、追い風にもなった。ライバルたちが倒産や買収の嵐にさらされている間に、着実に業績を伸ばすことができたからである。
 ドットコム・バブル(IT バブル)が弾けた後も生き残ることができたのは、オークション最大手のeBay、オンライン書店のAmazon、検索サイトのYahoo!など、ごく一部に限られていた。
 Googleがバブル経済崩壊の影響を受けずにすんだ理由のひとつに、検索システムの低コスト構造がある。使用するサーバーのハードウェアにはパソコンを使い、OSにはLinuxを使っていたからである。高速の検索機能を維持するために、高性能だが高価なワークステーションを購入する必要がなかったことが、低コスト構造の支えになったのだ。
 しかしGoogle にも、周囲からのIPO の圧力が高まっていた。さらなる成長を遂げるためには、市場からの資金導入をはかる必要があるが、Google はエンジニアリングが最優先される会社である。創業者たちは、市場や株主の意思でビジネスモデルが翻弄されることを嫌っていた。
 実際、Google の本社では(日本法人などでも)、社員が会社のために使う時間は週に20 時間でよいとされている。そのほかの時間は、社内にあるジム施設を使って汗を流したり、気の合った社員同士で映画に行ったりパーティーを開いたりするのも自由だという。
 飲み物もお菓子もリクエストすれば、すぐに揃えられ、しかも無料で飲食できた。就業時間中にマッサージを受けることもできるのだ。自由な発想を得るには、大学のキャンパスや学生寮のような自由な環境が必要だという創業者2人の考えが、こんなところに反映されていた。
 広告からもたらされる収入のうち、多くは、人材の確保にあてられていた。Googleに就職を希望する者は、長時間の面接をパスしなければならないが、正否の基準はGoogle の社風になじめるかどうかに最大のポイントが置かれているという。
 こうして確保した人材は、多くとも5人までの小さなグループを組み、それぞれが自由な発想で、Google に組み込まれるべき新たなサービスを創出し、開発していった。

###2.2.5 Google の新しいサービス

 2004年8月19日のNASDAQ上場と相前後して、Googleは次々に新しいサービスを登場させる。おそらくは、いずれもユーザーをGoogle に長時間滞留させ、あるいは囲い込むことで、広告へのリンクをクリックさせる機会を増やすことに、最大の狙いがあるのだろう。
 検索エンジンによるリスト以外にも、ディレクトリ型検索リストやメール、ニュースと扱うアイテムを増やしている。Yahoo!との対決姿勢を強めているのは間違いない。
 当初、Webページの検索だけだったGoogleのサービスは、いまや、以下のように増えている。

■ Google のサービス 〈(J)がついたものは日本版でも提供中〉

・Alerts(J)=登録したキーワードを含むニュースが入ったとき、メールで知らせてくれるサービス。
・Maps =地図と行先案内。
・Answers=検索エンジンでは回答が得られない質問を掲載すると、その質問に答えられる人から回答が寄せられる。1件2ドルから200 ドルの有料サービス。Google は25%を手数料として徴収し、75%は回答者に支払われる。
・Mobile(J)=携帯電話からの検索サービス。画像検索も可。
・Catalogs =通販会社のカタログ検索サービス。
・News(J)=多数のソースから入るニュースの一覧を表示するサービス。
・Directory(J)= Yahoo!のようなディレクトリ型検索サービス。
・Print =書籍検索。大学図書館の蔵書検索プロジェクトも発表された。
・Froogle=ショッピングサイト検索サービス。業者はGoogleのアカウントを取得することで、無料で商品情報を掲載できる。
・Scholar =論文などの学術情報検索。
・Groups=メーリングリストの作成とディスカッショングループ(ニューズグループ)への参加。
・Special Searches =アメリカ政府、Linux、BSD、アップル・マッキントッシュ、マイクロソフトなどの特別なテーマごとの検索。
・Images(J)=画像検索。
・University Search(J)=大学のWeb サイト検索。
・Labs = Google で研究中のサービスやツール(以下の「■ Lab」を参照)。
・Web Search(J)= Web ページ検索(メインの機能)。多数のオプションがある。
・Local =各地方ごとのビジネスなどのトピックについての検索。

■ Google ツールズ

・Blogger(J)=ブログサービス。
・Keyhole =衛星写真サービス(有料)。
・Code =オープンソースコードのダウンロードサービス。
・Picasa =無料の画像管理ソフト。
・Desktop Search(J)=パソコンのハードディスク内にあるファイルの検索。
・Toolbar(J)=ツールバーにGoogle の検索ボックスを置く。ポップアップ広告制御機能もある。
・Hello =写真付きインスタント・メッセンジャー。
・Translate(J)=検索したWeb ページの翻訳。

■ Lab(ベータテスト中、研究中のサービス、ツール)

・Groups 2 =検索可能なメーリングリストの作成とディスカッショングループ(ニューズグループ)への参加。
・Deskbar=WindowsのタスクバーにGoogleの検索ボックスを設置し、ブラウザが開いていなくても検索できるようにする。
・Glossary =用語辞典。
・Personalize Your Homepage=Gmail、ニュースなどをまとめた個人用ホームページ。
・My Search History =検索の経歴を表示。
・サジェスト日本語版(J)=検索窓に入力中に、検索用語の候補が表示され、矢印キーで選択することができる。
・Ride Finder =タクシー、リムジンなどのリアルタイム運行位置情報。
・Video =テレビ番組検索。
・Google SMS =携帯電話からの質問に答えてくれるサービス。米国、英国のみ。
・Compute=使用中のパソコンが未使用のとき、科学調査の計算のために貸し出すための手続きを代行。
・Google Sets=いくつかの単語を入れると、関連する単語を予測し、表示してくれる機能。
・Google Sitemaps = Google のクローラー(ロボット)が収集してきたWeb ページのデータをインデックスに掲載するスピードを上げるためのプログラム。

 さて、ここまで、すでに提供されているGoogle のサービスやツール、あるいは、これから提供される予定のサービスやツールを紹介してきたが、これらが何を意味しているのかを探ってみることにする。

#3 . 結論:Google の将来

##3.1 変化を急ぐGoogle

 冒頭で、高騰をつづけるGoogle の最近の株価を紹介したが、その状況からは、ドットコム・バブル崩壊の荒波をくぐり抜け、その後も成長をつづけたeBay、Amazon、Yahoo!などの生き残り組よりも、はるかに大きな期待を市場から寄せられていることが窺える(eBay、Amazon、Yahoo!の6月17日現在の株価は、3社そろって35 ドル台から37 ドル台の間に落ち着いている)。
 アメリカでは、株主の権利意識が強いため、企業の経営者は、どうしても株主の顔を見ながら会社の方針を決定する必要に迫られる。四半期ごとの経営報告で収益を下方修正しようものなら、たちまち株主たちからブーイングを浴びせられるため、どうしても目先の収支を上昇させることに専念する経営者が増えてくる。とりわけ雇われ経営者に、このタイプが多い。
 Amazon やYahoo!がドッココム・バブルの荒波を乗り越えることができたのは、創業者たちが会社の方針を明示し、株主たちを納得させた一面もあったはずである。だからこそ一時は苦境に陥ったAmazon もYahoo!も復活を遂げることができたのだ。
 Google に不安があるとすれば、1990 年代後半から始まったドットコム・バブルの恩恵も、そして、2001年に起きたドットコム・バブル崩壊の洗礼も受けていないことであろう。現在の高い株価水準は、Google 単独のバブル状態にあるといえるのではないか。そして、その人気を煽り立てているのが、前項で紹介した新しいサービスやツールの数々である。
 Googleは、上場前後から、毎週のように新サービスや新ツールを発表しつづけてきた。しかも開発段階からである。ベータ版の段階から多くのユーザーを取り込み、囲い込もうとしているかのようである。
 これらの新サービスの中で、もっとも大きな話題となったのは、ニュースとメールであろう。ニュースのサービスは日本のGoogle でも始まっているが、多数のニュースソースから検索された記事をカテゴリー別に並べ、表示してくれるサービスである。
 日本では読売新聞がGoogle への記事引用を拒否したが、アメリカでも同様にフランスの通信社AFP から見出しや記事の一部と写真のサムネイル使用が著作権法違反であると訴えられた(Googleは、記事の引用について、検索ロボット拒否のテキストファイルrobots.txt を埋め込むことで、引用を不能にできると主張。写真のサムネイルについては、写真が小さいため合法であるとの判決が出ているが、Google はAFP のニュースを削除しているとの報もある)。
 ニュースだけならば、ほかにも多数のポータルサイトがあるが、最近になってGoogle は「Alart(アラート)」という新たなサービスをスタートさせた。
 これは、あらかじめ登録したキーワードを含むニュースが入ると(あるいはWeb ページにキーワードを含む記事が掲載されると)、メールで知らせてくれるサービスで、ユーザーにとっては必要なニュースだけを選別して読むことができる便利なサービスである。
 アメリカのCompuServe がパソコン通信時代から「Executive News Service (ENS)」という名称で、AP、UPI、REUTER、Wall Street Journal、Washington Postなどの記事の中から登録したキーワードを含む記事のを保存してくれる有料サービスを提供し、日本ではニフティサーブ(現@nifty)が同種のサービスを提供した。
 日常、特定のテーマのニュースを追う必要がある筆者のような執筆業者にとっては、実に便利なサービスであった。当然、どちらもよく利用したものだ。単独のソース(メディア)から提供されるニュースの中から、あらかじめ設定したキーワードを含む記事をピックアップし、保存してくれるサービスは、インターネットの時代になってからも各所で提供されてきた。しかし、複数のソースのニュースを対象にしたものは、あまり目にしていない。(今回、このレポートを書くにあたり、Googleのニュース・アラートが非常に役立った)
 2004 年4月にスタートした無料メールサービスの「Gmail」は、1ギガバイト(GB)という大容量のメールを保存できることで、Yahoo!をはじめとする他の無料メールサービスを提供するポータルサイトにショックを与えた。その結果、Yahoo! Mail は無料メールで1GB、年間19.99 ドルの有料サービスで2GB に保存容量を拡大(Yahoo! Japan では、無料の場合の保存容量は100MB、有料のプレミアムサービスで画像メールを含む500MB、Yahoo! BB 会員は2GB)。マイクロソフトが運営するMSN の無料メールHotmail も、保存容量が250MB、添付ファイルも10MB までに拡大され、有料のHotmail Plus!でも保存容量が2GB に増量された。
 しかしGoogleのGmailは、スタートから1年後の2005年4月、メールの保存容量を無料のまま2GBに拡大している(ただしGmailは、Googleの他のサービス同様に、いまだベータテストの扱いで、利用するには、すでに利用しているユーザーからの招待メールが必要になる。またGmailは、日本語のテキストファイルを添付すると文字化けしたり、メールクライアントソフトからのアクセスでは、認証がうまくいかないといった問題があった。これらの問題が解消したのは、この5月になってからである。なお日本語版Googleでは、現時点でGmailは未提供)。

##3.2 Yahoo!の轍を踏むな

 なぜにGoogle は、これほどまでに多数の新サービスを準備しているのか? それも大半はベータテストの段階で、いまだ正式サービスになっているわけではない。そこには、以下のような理由が考えられる。

 1.広告依存体質からの脱却。
 2.Google が、研究開発型企業であることをアピールしつづけるため。

 Googleが意識しているのは、同じスタンフォード大大学院から生まれたYahoo!であろう。Yahoo!がディレクトリ型検索サービスを開始した背景には、創業者のジェリー・ヤンが、スタンフォード大の図書館での司書のアルバイト経験があるという。Webページをインデックスごとに分類するという発想は、図書館での図書分類法がヒントになったというわけである。
 もともとのYahoo!の検索エンジンは、人の手で収集されたリストの内部を検索するもので、ロボットが収集してきたリストではない。そのため検索エンジンとしては、ロボットが収集してきた膨大なWeb ページを自動的にインデックス化し、PageRank 機能で重み付けをするGoogle の方が優れているといわれていた。Yahoo!もそれを認め、2004年までは、ロボット型検索エンジンにはGoogleのものを使用していたほどだ。
 ところがYahoo!は、Googleの上場にタイミングを合わせるかのように、検索エンジンのInktomiを買収し、Googleの検索エンジンを切り離して、独自の検索エンジンをスタートさせた。さらに同時に買収した検索エンジン向け広告配信会社のOvertureのサーバーと接続し、Googleの「アドワーズ」に対抗する「スポンサードサーチ」や「コンテンツマッチ」の広告ビジネスをはじめている。
 これまで検索エンジンの優秀さをアピールし、かつ、それが受け入れられてきたGoogle も、うかうかしてはいられない状況になってきた。確かに最新(2005 年3月)のニールセン・ネット・レーティングの検索エンジン利用率調査でも、Google は47.3 パーセントの第1位にランクされ、2位のYahoo!(20.9 パーセント)を大きく離しているが、この高シェアが、いつまでつづくかわからない状態になっている。(*)
 だからこそGoogle は、検索エンジンとは別のサービスで、ユーザーをつなぎとめる必要に迫られているのは間違いない。
 そこで打ち出したのが、相次ぐ新サービスの提供(テスト含む)だが、ここには2つの意味が込められていると思われる。
 ひとつは、Gmailやニュースなどの魅力あるサービスを無料提供し、ユーザーに便利さを知らしめた段階で有料に切り替えるのではないかということだ。
 かつて広告収入のみに依存していたYahoo!は、2001 年のドットコム・バブル崩壊で収益を悪化させ、自社の株価も1年で1/10になる苦境に陥ったことがある。そのときYahoo!がとった行動は、メールやオークションの有料化だった。料金は低額ではあったが、無料メールのユーザーだけでも8,000万人に達していた。1人あたりの料金は少額でも、多額のキャッシュフローが生まれることになる。事実、この有料化(と大規模なリストラ)でYahoo!は経営危機を乗り切った。
 Googleの多角化戦略も、おそらく、Yahoo!が2000年から2001年にかけて味わったパニックを踏襲しないことが目的であろう。
 また、絶え間なく新サービスを打ち出すのは、メディア企業としての色彩が強いYahoo!に対し、研究開発型企業であることをアピールするためでもあるはずだ。
 現在の高い株価は、多くの株主が株を買ったからこそ到達したものである。Googleに対する株主たちの「期待料」であるともいえる。
 だが、株主の期待が大きければ大きいほど、ちょっとした業績の悪化で失望売りがはじまることがある。もちろん経営陣に対する要求が強くなる。
 そのような株主からの圧力をかわすためにもGoogle は、新サービスを研究している姿勢を見せつづける必要に迫られているのではなかろうか。

(*)Nielsen NetRatings Search Engine Ratings, Share Of Searches: March 2005, http://searchenginewatch.com/
reports/article.php/2156451

##3.3 Google の危惧するもの

 Google は、数人単位の研究グループが、細胞(セル)のように集まってできている会社である。何よりも貴重な資産が、彼ら研究者やエンジニアたちであるのは間違いない。新サービスや新ツールは、それらの研究グループが生み出しているのだが、ここに別の落とし穴もある。つまり、優れた人材ほど流出しやすいということだ。Google の所在地はシリコンバレーである。高い技能を持つエンジニアや研究者なら、いくらでも就職口はある。何かの拍子に貴重な人材が抜け、そのとたんに衰退をはじめた会社は少なくない。とりわけシリコンバレーあたりのIT 企業では、日常的に見られる光景でもある。
 そしていま、Googleの打ち出す新サービスは、Yahoo!だけでなく、もうひとつのIT業界の巨人マイクロソフトとも競合しつつある。その代表が、ユーザーのパソコン内部に蓄積されているファイルやデータを検索してくれるパソコン用ツールの「Googleデスクトップ」である。
 パソコンに搭載されたハードディスクの容量が拡大の一途をたどるいま、必要なファイルがどこにあるのかを探すのは、けっこう手間がかかるものだ。Windows にも検索機能はついているが、「Google デスクトップ」は、いちどインストールすると、内部に蓄積されたデータのインデックス化をおこなうため、その後の高速検索が可能になっている。
 このツールがインストールされていれば、以後、Google の検索サイトで検索を実施したときでも、自分のパソコン内のインデックスを検索し、ヒットした件数を表示してくれるのだ。自分のパソコンと外部のインターネットとがシームレスになる機能といえるだろう。
 マイクロソフトは、次期OS となる「Longhorn(コードネーム)」に、「Google デスクトップ」と同種の検索機能を搭載すると述べている。「Longhorn」が登場するのは2006 年といわれているが、ここでGoogle は、マイクロソフトと真っ向から戦うことになる可能性もある。
 かつてマイクロソフトは、Netscape にブラウザ戦争を仕掛け、無料の「Internet Explorer」をWindows に同梱することで、Netscape を駆逐した。同じことがGoogle にも起きる可能性がある。
 Google は、この夏からネット上に存在する動画の検索サービスを提供すると発表したが、このサービスでは、同じサービスを予定しているYahoo!とぶつかることになる。(*)
 新サービスを発表するのはいいが、早くベータ版の段階を抜け、収益をあげられる正式サービスに持ち込まないと、高株価を支える株主たちが焦れる可能性もある。
 99パーセントの収益を広告に頼っている現在の体質から早く脱却しないと、早晩、かつてYahoo!が味わったのと同じ苦境に立たされるのは間違いない。
 現在のネット広告は、クリックすることで収益が発生するが、今後は、実際に商品の購買にまで結びついたかどうかといったシビアなチェックがなされてくるはずだ。
 これは日本の例だが、HDD内蔵型のビデオ録画装置で番組を録画する人の多くが、録画した番組を見るときにCM をスキップしているとの野村総研からの報告がある(**)。野村総研のリリースでは、今後の広告の傾向として、「PCインターネット接触時間の増加と、ブロードバンド利用者およびコンテンツの増加によってインターネット広告価値が上がる」とされているのだ。同様の報告はアメリカでもあり、モルガン・スタンレー証券のアナリストが、ネット広告の将来性について強気の発言をしている。(***)
 だが、すでにインターネット上の広告を「うるさい」と感じる人も増えている。GoogleとYahoo!のビデオ検索機能は、ストリーミング放送をテレビに変わるCM の収入源と位置づけているらしいが(ストリーミングにするのは、いちどダウンロードされた後でCM を飛ばされて見られるのを避けるためだろう)、「Google ツールバー」や「Internet Explorer」最新版についたポップアップ広告ブロック機能のようなものが、CMカット用プログラムとして配布される可能性もある。また、すでにストリーミング放送を「録画」するプラグインソフトも出まわっている。
 さらにこの先、Google の経営基盤を脅かすことになりかねない問題として、クリック型広告の「Google AdSense」に対する妨害行為がある。企業や個人サイトに掲載された「Google AdSense」は、過剰なクリックなど、不正と思われる行為があった場合、即座に契約が破棄されることになっているらしい。ところが最近、「Google AdSense」の広告を掲載するサイトを通じて不正クリックをおこなう事例が多発しているという。サイトのオーナーがあずかり知らぬところで発生している場合が多いようなのだが、Google 側は、即座に契約を排除しているとのことだ。(****)
「Google AdSense」のサーバーには、同じ表示広告からのクリックが連続した場合、それを不正とみなすプログラムが組み込まれているようなのだが、サイトオーナーには不正の事実があったことだけが伝えられ、オーナーからの問い合わせにも無回答らしい。
 Googleでは、研究開発を最優先する企業体質からか、外からは見えないブラックボックス的な部分があり、対マスコミ、対ユーザーなどの面で、成熟した企業には見えない行動をとることがある。「Google AdSense」広告に対する不正な妨害行為も、そのような企業体質に対する不満から生まれたものである可能性も高いのだ。ということは、今後、この企業体質の部分で足下をすくわれる危険性も高いのではなかろうか。
 しかも、この「Google AdSense」の不正クリック問題は、ネット広告の信頼性を一挙に喪失させる危険もはらんでいることに留意したい。「Google AdSense」広告を掲載しているのは、個人のサイトだけではなく、大規模サイト(大規模ポータル、新聞社、テレビなど)にも掲載されているという現実があるからだ。大規模なネット広告の不正クリック問題が発生すれば、さらに成長する一方といわれているネット広告にも不審の目が向けられる。そのようなことになったらGoogle もYahoo!も、その経営基盤を失うことになるだろう。

(*)「ヤフー vs グーグル:ビデオ検索分野での競争が本格化」, CNET Japan, http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20083321,00.htm
(**)「企業の広告・宣伝手法は、マスメディアから個別対応のITメディアへ~ HDRユーザの過半数がテレビCM80%スキップ、今年の損失総額は約540 億円に~」, 2005 年5 月31 日, 株式会社野村総合研究所, http://www.nri.co.jp/news/2005/050531.html
(***)「モルガン・スタンレーの著名アナリスト、ネット広告市場に強気の見通し」, CNET Japan, http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20083163,00.htm
(****)「AdSense 狩り」をキーワードに検索すれば、多数の事例がヒットする。

##3.4 Google の将来――生き延びるためには?

(1)広告依存体質からの脱却が必要
 すでに多角化を果たし、リスク分散を図っているYahoo!やAmazon と比べ、99%の収入を広告に依存している現在のGoogle の状況は、やはり脆弱だといわざるを得ない。
 何かひとつ問題が起きただけで、現在のようなバブルとも思える水準にある株価は、いつか必ず暴落する。そのときに耐えられるかどうかで、Googleの底力が試されることになるだろう。すでに有料サービスの萌芽となるサービスは大量に打ち出しているが、実際に収益となっているものは無きに等しい状態である。何かのきっかけで株価が暴落し、広告主が逃げ出す前に、少しでも早く多角化を図り、収益を得られるサービスを開始する必要がある。

(2)検索された情報の精度を高める工夫を
 また、検索エンジンそのものの信頼性が揺らぐ日がやってくる可能性も高い。検索エンジンを使っていて誰もが実感していることだが、Webサイトが増えれば増えるほど、検索エンジンにキーワードを投入してヒットするWeb ページは、玉石混淆とはいうものの、「石」の割合がますます増えている。
 PageRankで人気の高いWebページが検索結果の上位に表示されるとはいえ、たとえばそれが中学生や高校生の宿題の役に立つとは思えない。
 そんなとき、検索された情報が、なんらかの裏づけのあるものであったら、どれだけいいことだろう。そのデータとは、新聞、雑誌、学術論文、特許情報、医薬品情報、消費者レポートなど……つまり「データベース」に入っているような情報ということになる。
 冒頭に「ダイアログ」のことを書いたが、検索エンジンがサーチャーのかわりに複雑なデータベースを検索してくれたら、ビジネスや教育面で、さらに便利になることだろう。検索エンジンは、今後、検索するデータの「質」にもこだわらざるを得なくなるのは間違いない。

 以上

※追記1:6月17 日、Yahoo!がGoogle よりも一足先に、これまで検索エンジンではアクセスできなかった会員制のニュースサイトやデータベースへの接続をベータテストとして開始すると発表した。とりあえず接続できるのは、Consumer Reports、The Wall Street Journal Online、The Street、The New England Journal of Medicine、IEEE and Forrester Research、Financial Timesなどの新聞データを中心にしたものだが、近い将来、Factiva(新聞、通信社を中心に9,000以上のニュースソースから記事を検索可能)、LexisNexis AlaCarte! pay-as-you-go(判例データベース)、Thomson Gale and the Association for Computing Machinery(学術論文、人物、企業などのデータベース
集合体)などにも接続可能になるとのこと。

※追記2:Google は、5月9日に、ニュースの「品質」のランクづけをスタートさせることを発表した。これは「Google News」で表示される「ニュースソース」の信頼度をランクづけしたもので、「検索エンジン」によって表示される一般Web サイトの品質をランクづけするものではない。

※追記3:今回、検索エンジンの先がけとして、最初にデータベースの「ダイアログ」を採りあげたが、この検索システムを開発したロジャー・サミットが、ロッキード社に職を得たのは1960年、スタンフォード大学大学院博士課程在学中の夏休み期間中のことであった。「オンライン・データベースの父」として知られるサミットも、Yahoo!の創業者2人も、Googleの創業者2人も、全員が同じスタンフォード大学大学院博士課程在学中に、それぞれのビジネスをスタートしたことになる。
 1891年、鉄道王リーランド・スタンフォードの手によってカリフォルニア州パロアルトに創立されたスタンフォード大からは、多くの優秀な学生が卒業していったが、1930年代まで、ほとんどの学生が東部の企業に就職してしまうことが悩みのタネになっていた。
 そこで同大のフレデリック・ターマン教授が、卒業生のビル・ヒューレットとデイブ・パッカードに資金を出し、地元で計測機器の会社を設立させた。ふたりがガレージで起業したのがヒューレット・パッカード(HP)社であり、やがて第二次大戦の兵器製造に必要な計測器を多数製造して成功をおさめていく。
 その後、1970 年代になるとHP は、ノーラン・ブッシュネル(アタリ)、スティーブ・ウォズニアク(アップル)たちを輩出する企業となる。
 半導体関連企業が増えたことから、このあたり一帯はシリコンバレーと呼ばれるようになるが、地理的にも精神的にも中央に位置するスタンフォード大は、この大学に通う学生だけでなく、地元のマイコンクラブなどにも施設を貸し出していた。アップル社も、そんなマイコンクラブの集まりから生まれている。
 そして、Google もYahoo!もNetscape もSun Microsytems も、みなスタンフォードの申し子である。ライバルではあるが、兄弟のようなものだといってもよいのではなかろうか。

■参考資料

【書籍】
・『Google―なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』(嶋田淑之・中村元一/毎日コミュニケーションズ/2004年12月刊)
・『プロが教えるGoogle 検索テクニック』(宙出版/ 2004 年12 月刊)
・『なぜYahoo!は最強のブランドなのか』(カレン・エンジェル著/長野弘子・訳/英治出版/ 2003年7月刊)
・『ヤフー―サーチエンジンのアクセス数を誇る』(アントニー・ブラミス&ボブ・スミス著/小浦博&信達郎・訳/三修社/ 2004 年3月刊)
・『HPウエイ――シリコンバレーの夜明け』(D・パッカード著/伊豆原弓・訳/日経BP 社/ 1995年10 月刊)

【新聞】
 日本経済新聞、日経産業新聞(日経テレコン/早稲田大学図書館 データベース・電子ジャーナ
ル経由)読売、毎日、産経他(G-Searh 経由)

【Webサイト】
Google:
http://www.google.com/
http://www.google.co.jp/
http://en.wikipedia.org/wiki/Google
http://finance.Yahoo.com/q?s=goog

Yahoo!:
http://www.Yahoo.com/
http://en.wikipedia.org/wiki/Yahoo%21
http://finance.Yahoo.com/q?s=yhoo

Amazon:
http://www.amazon.com/
http://finance.Yahoo.com/q?s=amzn

eBay:
http://www.ebay.com/
http://finance.Yahoo.com/q?s=ebay

Dialogの歴史:
http://www.dialog.com/about/history/

Roger Summit:
http://www.libsci.sc.edu/bob/ISP/summit.htm
http://www.dialog.com/about/biographies/rogersummit_bio.pdf

「地球の歩き方」シリコンバレー:
http://www.arukikata.co.jp/netmagazine/silicon-valley/
「Asia-Link」シリコンバレー:
http://www.asia-links.com/japanese/sv/sv_3.htm
ロッキード・マーチン社:
http://www.lockheedmartin.com/

※URLは2005年当時のものです。現在はつながらないものもたくさんあります。

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 レポートを書くときは、まず、テーマに関連のありそうな情報を集めます。書籍、雑誌も調べますが、新聞記事ならデータベースで調べられます。また、それぞれの対象となる企業のWebサイトはもちろん、Yahoo! Finance(アメリカ版)も調べ(株価の変動を調べ、変化の大きいときに何があったかをニュースで確認する)ました。

 とにかく入手できる情報は、なんでもかんでも集めます。イメージとしては、情報というサカナを投網で集めるような感じです。集めた情報を見比べながらアイデアやヒントを見つけ、構成を考えます。このあたりはマンガや小説のプロット作りと変わりません。ただし、大事なことは、とにかく入手できる限りの情報を集めることです。手当たり次第に、玉石混交でもかまわないので。そこでKJ法のような作業をしていきます。

 アイデアは、元になるネタが必要です。そのネタは、つまり、情報の断片のこと。もうガムシャラに情報収集するところから始めることが大事です。

※見出しの前についている「#」は、秀丸エディターでアウトライン機能を使う際に、見出しとしてフックさせるための記号です。


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