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定義づけすると情報が減る話

定義づけとかカテゴライズをする事は大事だけれど慎重に行うべき、という話です。

カテゴライズや定義づけをすると情報は目減りする

上手い例えが出てこないけど、例えば、AとBの要素が入っているものを定義1としてCとDの要素が入ってるものを定義2とする場合、ABCというものが存在する場合、その存在は定義1に属することになるんだけど正確には違う要素が入ってる、というようなことが普通に起こり得るわけです。本来、情報は元の情報をそのまま受け取るのが一番正確なはずであり、この場合にABCを定義1とする場合、Cの存在は正しく受け取られない可能性が高い。でもだからと言って全てのあらゆる情報で正しい理解をしようとすると人間に処理できるような情報量ではなくなるのでサマライズやカテゴライズが大事な事は理解できます。先人たちの知恵を、ちょっとだけ略して理解するような感覚。でも、そのことが実際の情報とは違うかもしれない、あるいは、その事実が確定した過程は全く知らない、といった事はなんとなく頭に入れておく必要はあるんじゃないかな、と。

そもそも頭の中で考えてることをこうやって文章にしている時点で情報は目減りし、私の頭の中の内容とは若干形を変えてここに記されている。どこかで誰かが言っていたけど、私たち人間は完全な意思疎通の方法なんてなくて、この不完全な言語というツールでやり取りするしか、現在のところ方法はないのです。もちろん多くの単語、多くの文章を費やせば少しずつ情報は正確になっていくのでしょうけれど、効率や脳のキャパシティを考えると難しいはずです。

音楽のジャンルがよくわからないわたし

一方で、この考え方は、私が音楽をやっている人間であるにもかかわらず、音楽のジャンルや年代やカテゴリを全く理解していないことに対する無意識下の言い訳なのではないか、とも思っています。苦手なのです。そういうのを頭に入れるのが。これはヘビメタだね、とかいうといや違うでしょこれはブラックメタル。とか言われるのが怖いし。小さい頃から、なんとなくそういうのが苦手です。専門用語みたいなものを使うのも苦手。この言葉ってこの意味で正しいのかな・・・という得体の知れない不安がいつもどこかにある。その言葉をちゃんと知らないと使っちゃいけないような気分。でもちゃんと知るにはどうすればいいのか・・・?みたいなジレンマ。でも、知っている(もしくは使ってみる)方が他人との会話は捗ります。当然ながら。もし間違った使い方をしていたらきっと誰かが指摘してくれる。そして自分の学びになる。知識というのはそうやって定着していっていいもののはずです。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥・・・みたいなもんですね。そして音楽のジャンルや歴史って教養みたいなものなので、音楽好きと会話をすると自分がまるでただの馬鹿みたいに思えてくる。そろそろ知っていかねば・・と思い続けてはや数十年。もういいかなって思ってきています。こういう音楽好きがいてもいいじゃん、と言う開き直りですね。

多くの人に一度に伝えるための手段

多くの人から支持を得るためには、ある程度、明確で簡潔でシンプルな言葉や、事柄を示す方がより良いのでしょう。私は音楽をやっていて、それなりに人に届けたい(届けたい、が正しい表現なのかどうか疑問ですがそれはおいといて・・・)と思っているので、きっと自分がやっている音楽がこういうジャンルで、こういう層にリーチする、みたいな簡潔かつ明確なターゲットの設定と、明確な目標をたて、それを実現するために必要なシンプルな売り文句や売り方。"俺たちのバンドはサビの終わりで終始音に絶対行かないし必ず1曲の中で3回は転調してるし4/4拍子の曲は1曲もない。なぜなら捻くれているからだ。ギターロックだが好きなKeyはG♭だ。ノーマルチューニングでだぜ?”みたいな事言われても、具体的なこと言ってるけどだいぶ伝わりづらい。あと長い。でもこれカテゴライズして情報が減っちゃう話とはちょっと違わないか?と自分の中で誰かが言っている。いいんです。いいんです。

音楽で伝わる何かしらのこと

ちょっと話は変わるんですが、私は”自分の伝えたいことをわかってくれ”だとか、”聴いた人を助けたい”みたいな意識を聴き手が感じてしまうような音楽はあまり好きではありません。なぜなら、そうしたいのであればどちらかというと言葉の方が正確で速いし助けたり応援したいのであればお金をあげればいいと思ってしまうからです。(これも一個人の意見であり、いろんな要素がありますので賛否あると思います。そもそもめっちゃ売れてる人たちがやると多くの人が実際に救われてしまう可能性が高いですし。)
よくあるところで言うと”ありがとうソング”とか"がんばれソング”、あるいは”俺の気持ち込めたから聴いてくれソング”です。(はっ!私は今、カテゴライズをしている・・・)
そう言った具体的な目的を達成するためには、一番人間が親しんでいるであろう言葉というツールが、一番適していると思うのです。私たちのもつ伝達ツールの中でももっとも誰もが知っていて広く使われている言葉でさえ不完全なものである、と言うことを冒頭で書いたわけですが、これは伝達するべきないように適している・適していないの話ですね。
私は、音楽と言うものはそうやって人の具体的な言葉に変換できるものを伝達するのではなく、もっとぼんやりとしたイメージのようなものを伝達する手段に適しているのではないか、と考えています。私はウタモノが好きなので聴く音楽は全部歌詞があるんですが、私の好きな歌詞は、カッコよく言うと、ただ、そこにあるだけ、と言う感じの歌詞です。ただ歌詞だけ読んでも何のこっちゃわかんなかったりするんだけど、音楽と一緒に聴くことでなんらかのイメージが浮かぶような感じの。正解がない感じの。そしてそれらのイメージが聴いた人の記憶や思い出を刺激する感じのやつです。

ずいぶん話が散らかってしまったなぁと我ながら思いますが・・・きっとこの私の散らかった脳内も、いずれ頭の中に電気的な何かが埋め込まれ、頭の中のデータをそのまま他人に送信できる日がきたら・・・あなたに送信しましょう(え?いらない?)。そういうことができるようになった日は、人類が初めて完全な意思疎通を成し遂げた日として歴史に刻まれることでしょう。

ちなみに画像は私が大学時代に乗っていた原付です。龍馬のステッカーが貼ってありますが、特に坂本龍馬が大好きなわけではありません。

おわり


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