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何も発信しないという行動

SNSというものはすでに誰も無視できない程度に、コミュニケーションや情報発信のインフラとして発達しています。それは全く悪いことだとは思わないです。むしろ良いことだろうと考えます。(でもマスコミがSNSから拾い上げたネタでわーわーやってるのは手抜きなんじゃないかなぁと思うけど)

このところよく思うことが、誰しもが簡単に物事を発信できるようになったからこそ、何も発信しない、という行動に以前より意味が出てきたのでは?ということです。

反射的反応

"簡単に言いたいことをいつでも発信できる"というのは、”なんらかの物事に関して発言するスピード感を自分で調整できるようになった”ということなのかな、と考えていて、そして今までのよりも多くの人が、これまでにはなし得なかった速い速度で、社会や身の回りで発生した出来事に対して反応できるようになった、ということだと思っています。

ここで発生するのは、過去に類を見なかったほどの”反射的行動”であり、極端な話、脳を経由せずに発信される言葉が増えたんじゃなかろうか?ということです。いや実際には脳を経由してるんでちょっとした皮肉めいた言い方しちゃったんですけど、例えば政治家がある政策を発表した、と言ったニュース記事が発表された際に、記事のタイトルだけ読んで実際の政策を誤解して批判する人が出てきたり、ニュース記事を全部読んではいるが実際の政治家の発言をちゃんと理解していない記事かも知れないことは考慮に入れずに批判する発言をする人が出てきたり・・とかそういう感じで。こう言った人たちの発言は(私の非常に個人的な観測によると)記事発表の直後に大量に投稿され、そこそこ数も多いのでトレンドに入るが、ちゃんと内容を読み取ってから発言する人は相対的にはスピード感が遅くなり、発言するタイミングがバラバラになるのでトレンドには入らない、とうようなことが起こってるのではないだろうか?ということです。ただでさえ、SNSでは、いやSNSに限らずそうかも知れませんが、発言の内容の正しさよりも、”一見正しそうなことを断定する口調でたくさん発言する声のでかい人”が目立ってしまいますし・・・・
※ちなみに私は政治には詳しくないし政治的には中立の立場です。一例として政治の話を挙げたことを今ここで後悔しているけれど書いちゃったからこのまま書きます。

(確か”反応してるだけ”みたいなことを私の尊敬する森博嗣先生も何かで書いていた記憶があります。ここ数年で書いた新書だったと思うんですけど・・・当時まとめて何冊か読んでしまったので記憶が混濁しております。これこそ曖昧な記憶による誤った情報だったらなんとも申し訳ない次第。)

従いまして、言いたいことがあってもグッと堪えて、もう少々その事柄について考えてから発言する人がもう少し増えるといいんじゃないかなーと思っています。いやまじで私のこの発言ももっとちゃんと調べてから書けよって言われてもしょうがないんですけどね。

でもいろんな人がいていいじゃない?

ここまで書いといてなんですけど実際には色んな人がいていいと思うので、ここは一つそれらの反射的行動への考え方を再考するしかないのかなーと思っていて、たとえばよくある炎上案件において(それが狙ったものならまた別の話だけど)、炎上して反射的発言をする一定の層から攻撃をされた(個人的な観測によるとそういう層は無責任に人を攻撃しやすい)時に、これを受けた側が個人ではなく会社とかだと謝罪をしてしまうことが多いような気がしてるのですが、こういう層は完全に無視するのがいいんじゃないかと私は思っています。謝っても、逆に反論しても、(私の個人的な観測によると)言葉が通じないというか、自己正当化だけが上手というか、話がちゃんとできない場合が多く見受けらるような気がするので・・・
もちろん過去に謝罪した人や会社にはいろんな理由があったんでしょうけど・・・でも遠巻きに見てるとほとんどの場合"なぜ謝るのですか?"っていうことの方が多いように感じるんですよね。

発言の量ではなくて、発言は論理的で筋が通っているか、その人はちゃんと顔出してて本名もしくは素性のわかる状態で発言の責任を取れる人間なのか、というのが大事というか、そう言った人たちの意見のみに耳を傾ければいいのではないでしょうか。もしかしたら素性を隠して発言するからこそ出てくる本当の気持ちみたいなのが知りたい、という場合もあるかも知れないですけどね。

何も発信しない正義

そして、そういった人間の反射的な発言や、そうではない、深く考えられた発言も含めて、人々の言葉を大量に確認できるというのはなかなかに面白いことです。
そんな時代にあっては、よっぽど気が熟さない限り何も言わない、というのも一つの行動理念としてあっていいのではないかと考えます。正義って書いてるけど正義は言い過ぎですね。

とはいえ、私ももちろんできた人間ではないので、反射的な、考慮の足りない発言をSNSで発信したこともあります。
でも、できるだけ、特に”話題になってそうな出来事”に関しては言及を避けるようにしています。そもそもが大体そういった話題には興味がないというかどうでもいいというか時間の無駄になることが多いっていうのもありますが、そうではなく本当に大事なことが話題になっている場合は、ちゃんと考慮した上で発信をするべきだと思うからです。

石原さとみさんが結婚した時も "俺のさとみ・・・・ "とか投稿しようと思ったけどグッと堪えました。あれは今にも投稿しそうだったな。あの衝撃的事件が発生した時、私の周りの同僚の幾人もが、私が茫然自失状態なのではないかと心配してくれました。俺そんなに周りの人に言ってたっけ?と思いましたが、疑問の余地はなく、周りがそう言ってくれるといいうことはそういうことなのでしょう。

ちなみにこの記事は""何も発信しないという行動"について書いた記事を発信している"という矛盾を孕んでいるわけですが、人間とは常にその内面にも外面にも何らかの矛盾を持って生きているのです。お許しください。

おわり

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