『緑のハイヒール』はそもそも誰の話なのか問題

眉村ちあきさんの最新アルバム「劇団オギャリズム」収録の「緑のハイヒール」という曲について。なかなか解釈が難しい歌詞だったので、ちょっと考えてしまった。歌詞はココ(→眉村ちあき 緑のハイヒール 歌詞 - 歌ネット)で読めるので、もし歌詞カードが手元になければご参照ください。

さて、歌詞中には主語が2つある。『私』と『僕』。他には『君』がいる。これらの関係は?

歌詞の内容からわかるのは、『私』は緑のハイヒールを履き、涙を隠そうとし、とあるグループラインには自分だけが所属しておらず、悔しい悲しい感情がなくなるほうが嫌だと感じている人物。『僕』は心の中が焦げてしまっていて、でもまだ動いてはいて、君の前で心の中をすべてさらけ出してもいいと思い、でっかいナイフが刺さっており、君により止まっていた感情が動き始めている人物。『私』と『僕』は、はたして同一人物だろうか。ただ単に歌詞のリズムや字数の関係で2つの一人称が同居しているだけで、『私=僕』と『君』の2人がいるのだろうか。あるいは、『私』と『僕』は別の人物で、『君』というのは『僕』からみた『私』なのだろうか。個人的には、後者の解釈を取りたい。つまり、以下のようなストーリー。

『私』は、緑のハイヒールを履き、涙を隠そうと下を向いたりはするが、孤独に慣れるのを嫌がる女性。『僕』は過去の何らかのトラウマ(でっかいナイフ)で傷つき、心が焦げ付いたようになり、感情がほぼ止まっている男性。『僕』は『君=私』に出会い、心の中をさらけ出せると思うほど信頼を寄せ、感情がまた動き出す。『私』は『僕』により孤独から抜け出したので、悔しい悲しい涙をもう流さなくてもよくなり、涙を隠す必要がなくなった(=緑のハイヒールが不要になった)。

他の解釈がもしあれば、コメント欄で教えてね。

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