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ブルゴーニュ・ワインとはどんなワインなのか

ときどきですが、最近ワインを飲むようになった人から
「ブルゴーニュ・ワインってどういうワインですか?」
と聞かれることがあります。


ぼくは昔からブルゴーニュ・ワインを好きで飲んでるだけで特別に詳しいわけではないけれど、それでもさいきんワインに興味をもった人からみれば詳しく思われるのかこういう質問をされるのです。
たしかにブルゴーニュ・ワインなんてマニアックの塊でしかなく、なにか特別な世界にも感じてるみたいで、ブルゴーニュのことを知りたいときにぼくみたいな中途半端な人間には聞きやすさがあるのだろう。

でもそんな風に唐突に聞かれても、こちらはなんとも答えようがなくて言葉に詰まるんだよね。
これはたとえば、「純文学ってどういう文学ですか?」というような質問と同じで、そこには「これはこうです」と、ひとことで切り取れるような、すっきりとした定義をぼくには見つけ出せない。
もちろんブルゴーニュ地方の、品種は○○で、などのソムリエ教本に載ってる話はできるけど、だいたいのところこういう場合、聞きたいのはそういうことじゃない場合が多い。

しかしそこにたとえ定義はなくても、ある程度ワインを飲んできた人なら(ブラインドテイスティングでない限り)なんとなくわかると思う。
それはあくまで経験的なものであって、「ブルゴーニュ・ワインとはなにか」という判断基準をいちいち物差しのように適用してものを考えているわけでありません。

だから、
「そんなことは経験がすべてだから説明してもわかるもんじゃない。ブルゴーニュの造り手のワインを適当に10本ぐらい買って、1本ずつゆっくりと時間をかけて飲んでみるといいよ。」
というような、曖昧な答えをいうと楽なんだろうけど。
でもそういう突き放した言い方をしたらその話はそこまでで、そこでぷつんと終わってしまうことになる。
そしてたぶんそんな事を言われたほうからしたら10本のブルゴーニュ・ワインなんてよくわからないものにお金をかけるわけもなく、そのまま興味を失ってしまうでしょう。

それだとせっかくブルゴーニュ・ワインに興味をもってくれた方に失礼なので、ぼくなりにその定義を考えてみました。
ブルゴーニュ・ワインとはどんなワインなのか。


ずっと昔、今から20年くらい前。
レストランサービスの世界とはちょっとだけ違う世界、ワインバーのソムリエとして働きはじめました。
そこはブルゴーニュ・ワイン専門のワインバーで、ぼくはブルゴーニュ・ワインが好きだったので趣味と実益と兼ねて働くようになったものの、しばらくすると当時の店長がオーナーと色々あって急に辞めてしまい、なぜか店長を任されてた頃の話。

場所は西麻布の片隅にある古い雑居ビルの三階。今みたいにネットで検索などない時代で、お店を知るためには雑誌か知人の口コミがほとんど。
もちろんそのブルゴーニュ専門というマニアックなワインバーに来るお客様は、常連かその常連の紹介がほとんどでした。

その中に一人、とても物静かな眼鏡をかけたスーツ姿の男の人がいました。
彼はたいてい22時を過ぎたくらいに、背の高い同じようなスーツ姿の男と二人でやってきた。
いつもすでに何杯か飲んだあとらしく、雰囲気からしておそらく接待の帰りに寄ってくれるのだろう。
二人は友人ほど近しい距離間ではなく、かといって他人行儀な堅さもなかった。ぼくは彼らに話しかけることはほとんどなかったけど、そのあたりの距離感が見ていて気持ちよかったのを覚えている。
いつもカウンターのはじっこに座り、一杯か、多くても二杯、二人でワインの話を楽しそうにしながらグラスを傾けていた。
時々、彼は大好きなDomaine Arlaudのワインをグラスで開けてほしいとリクエストしてきた。
いまでは値段もあがってしまったArlaudだけど、当時はかなりお手頃な価格だったので、お店でもよくグラスワインとして使っていた。


ある夜、一度だけ眼鏡の彼がいつもより遅い時間に一人でやってきて、カウンターのはじっこ、いつもの定位置に座った。
そして彼は、Domaine ArlaudのMory St Denisをボトルで開けてほしいと言ってきた。
そのワインのヴィンテージは覚えてないけども他にだれもお客がいなかったのは覚えている。とても静かな夜だった。

ぼくはいつものようにワインを抜栓し、ホストテイスティングの後、いつものようにRIEDELの大ぶりなワイングラスに注いだ。
眼鏡の彼はしずかにワインを傾け、しずかに飲んでいた。
彼の横顔には少し寂しそうな雰囲気があって、ぼくは彼の邪魔にならないよう、少し離れたところにいた。
彼はただ黙って、いつもよりゆっくりと時間をかけて一杯を飲んでいた。
飲み終わるとしばらくして、残ったワインは飲んでほしいと言いながら勘定を払い、静かに席をたってドアを開けて出ていった。

それが彼をみかけた最後の夜だったと思う。


それから一年あまり経って、ぼくがその彼のことを忘れかけていたころ、彼とよく一緒に来ていた背の高い男性が店に姿をみせた。
一人だった。その日は少し肌寒くなった秋頃だったと思う。そのときもやはりお店は暇だった。

その男性はカウンターに座って、ぼくの顔を見てにっこりして「こんばんは」と言った。
それからぼくに話してくれた。
いつも一緒に来ていた眼鏡の男性は会社の同僚で、しばらく前に転職し地元に帰ってしまったこと。
同じような時期にワインが好きになり、接待のあとはよく二人で好きなワインを飲みに行ってたこと。
背の高い男性のほうはボルドーが、眼鏡の彼はブルゴーニュにハマったこと。
眼鏡の彼は、あまりお客が来ない静かなこのブルゴーニュ専門のワインバーを気にいってくれてたこと。

そんなことを懐かしそうに話してくれました。

そしてその男性が「あいつから久しぶりメールがきて」とうれしそうに話してくれました。
何通か近況報告などをしあってたら、このお店の話題にもなったので懐かしくて久しぶりに来てしまったよ、ぼくはボルドーのほうが好きなんだけど、と笑いながら。

その日はDomaine ArlaudのMorey St Denisをグラスワインとして開け、RIEDELの大ぶりなグラスに注ぎ、そっと彼の前に差し出した。
彼はなにか懐かしむようにその大ぶりなグラスを傾け、静かに、ゆっくりと時間をかけて飲み干し、勘定を払い、席を立った。
まるで外の世界にでていく特別な準備をするみたいにベージュのコートを身にまとい、出ていくときに、「ごちそうさま。また来るよ。」と言った。
ぼくは黙ってうなずき、それから「こちらこそありがとうございます。また来てください。」と言った。

そのあとになんと言えばいいのか、そのときのぼくには思いつかなかった。言葉が浮かんでこなかった。もっときちんとしたことを、なにかもっとまっとうに心のこもったことを、ぼくは口にするべきなのだろう。
でも、いつものことではあるけれど、ぼくの頭には正しい言葉がどうしても現れなかった。それはもちろん残念なことだった。


ぼくは今でもDomaine Arlaudのワインを飲むたびに、あの眼鏡をかけた男性のことをよく思い出す。
東京から離れ地元に帰ることを決め、カウンターのはじっこで静かにグラスを傾けていた彼の横顔を。
それから遠くにいった友人とも呼べる同僚のことを思い出して、ほんとうはボルドーワインの方が好きなのにブルゴーニュワインを飲みにきてくれた背の高い男性のことを。
そして、そのころの、まだ若くて物事をなにも知らない、内気で人の心になにかを届かせるための正しい言葉をどうしても見つけることができなかった、本当にどうしようもないぼく自身のことを。

「ブルゴーニュ・ワインとはどういうワインなんですか?」
と誰かに訊かれたら、ぼくには「こういうことがブルゴーニュ・ワインなんだよ」と答えるしかない。
だけど長すぎてけっきょくはそんな話はしないのだけれど、正直にいって、ぼくはそれ以上の有効な定義を持ちあわせていない。
でもやっぱりそんなこと答えないだろうな。

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