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節目

人生とは何が起こるかわからないとはよく言うものだが、本当に何が起こるかわからない。明日急にお金持ちになるかもしれないし、急に家が無くなるかもしれない、明日単位で何が起こるのかは予想できないわけだから、人生という長い単位で数年後にどうなっているのかなんて予想するだけ野暮である。

社会人を始めて、定時という概念をとうの昔に忘れながらひいこら働き、早3ヶ月目、
去年の今日に、今現在勤めている会社の最終面接を受けた。トップの写真は、最終面接前にアメリカーノを買い、推しのトレカと写真を撮り、気を落ち着かせていた時の写真である。

元々はダメ元で大博打で受けた会社だったが、運と縁のおかげで、駒を進め、志望順位もいつのまにか第1志望になっていた。

今の会社からの内定が出るまでの人生、「第1志望」進路に行けた試しがなかった。
高校受験の時は、第1志望校に行けずに、それまであった自尊心や自己肯定感というものを根底からズタズタにされるような挫折を味わった。
大学受験の時は、浪人までしたが第1志望学部のレベルには及ばなかった。

そんなこんなで、就職活動というものにも、また失敗するのではないかと常に不安は付き纏った。大学で学んでいたことに近い食品業界・製薬業界の企業とはことごとく縁が無かった。
自分の素のままで何回か面接を受けて縁があったのが、全く関係のない業界だというのだから、本当に何があるかわからない。

私は次の面接の案内がある度に、私のどこがどう人事の方にうまくハマったんだろうか…明らかに一緒に受けてた学生の方が喋ってる時間長かったけどな…と思っていたが、それは結局最終の役員面接の後もわからなかった。社長に聞かれたのは、服装のことだったので、業務内容とまったく関係無い。その日は、私があらゆる決戦に挑む時に験担ぎで着用する古着屋で買ったマク◯ナルドシャツを着ていた。

最終面接だろうと、役員から見て会社に合わないと見て篩い落とされる人もいるし、実際にこの代でも3割くらいは最終面接で弾かれたと人事の方から聞いたのは入社の少し前だったか、
まともなことを喋った記憶も無い中でよく生き残ったと思う。拾い続けてくれた今の会社にはとても感謝しているし、好きなことを仕事にできているのも自分の性に合っていていい。

理系大学院まで通わせてくれた親の手前、少し申し訳ない気持ちもあるが、両親は私が今の業界に進むことに何ら疑問は持たず、むしろそっちの方が合っていていいだろうと逆に安心しているらしい。両親は私よりも私のことをわかっているのかもしれない、さすがである。

そんなスーパー両親にもちゃんと恩返しができるように、会社に慣れて、まずは一人前の社会人になったところを見せるところから始めたい。
頑張ろう。

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