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母、良性

コーラの置いてある商品棚を見ていたら、自分よりも身長の高い半袖短パンのたぶん女子小学生が脇にきて、そのタイミングでBling-Bang-Bang-Bornが店内BGMで流れる。そのリズムに合わせて、その子は両腕を左右に振り始めた。突然のことにたじろいだが、無反応を装っていると、俺の右側から左側へと踊りながら移り直す。コーラを見たいのか、それとも踊りたいのか。動じずにはいられなくなって、酒コーナーへ逃げた。しかし思わずそこで吹いてしまった。自分がミュージカルか何かの舞台役者になってバックにダンサーをつけるとこういう感覚になるのかなと思った。あいにくの雨模様続きでテンションが低い時を過ごしていたけれど、こんな単純なことで笑えるのなら、俺は自分で思っているほど複雑な生き物ではないのかもしれない。

いくつになっても知らないことを知る日々である。練馬へ行く用事ができ、母と相談しながら予定を立てていたのだが、土曜は雨ゆえに先延ばしにすることになった。叔母の家を片付けないといけない。29日に業者が入ったら、それ以降は規則で家には入ることができなくなるそうだ。母も愚痴を言うように早口でスケジュールをまくし立てるものだから、全然、頭に入ってこなかった。やはり母もストレスが溜まっているようだ。しかしそれとは別に嬉しい知らせもあった。先日、母の膀胱に腫瘍が見つかり、入院することになったと書いた。検査結果が出た。良性だった。ホッとした。個として生きているというより、一個の家族として生きているという感覚が強いから、家族が幸せなら、俺も幸せなのだ。

福祉の担当、主治医、看護師、精神病院の相談員、母と叔母。今度その六人で話し合う日があるそうだ。その話を聞きながら、俺はボソッと母に言ってしまった。俺そんな人数にケアしてもらったことないよ。改めて思う。家庭(家族)というのは逃げ場なのだ。ここにいれば安全が守られる。癒やされる。そういう場のことを家庭と言うのだと思う。癒やされすぎてそれが枷になるということもあるのだが、それはメリットに対するデメリット。家庭に縛られているという感覚もあれば、家庭に救われているという感覚もある。自分にとってどちらがより大事か。それは自分で決めていかないといけないことなのだろう。

冗談半分で言った。楽になる方法は簡単だよ。人間関係を整理すること、ネットで人の悪口を見ないこと。この二つを守れば、生きやすくなるよ。母は話に合わせるように笑いながら、「じゃあ妹と縁を切ろうかな」と言った。それに被せるようにして俺は、でもそれだと徳的には厳しいよ、と言った。母が帰った後で、弟がポロッと「縁切ったら母親は後悔しそう」と言った。

最近、掃除をすると心が整うという発見があった。今更だが、お坊さんだってよく掃除をしているじゃないか。物事には必ず意味があるんだな。特に水回り。飛び散った水滴を布巾で吸い取っていくのは快感。ガスコンロの油ハネもアルコールを吹きかけてキッチンペーパーで拭く。ここで、こじつけたい。すべては掃除の問題であると。雨が降ると洗濯物は乾かない。切ろうにも切れない縁。ニュースとの距離感。家族から受ける影響の度合い。何を残すか、残さないのか。そういう話。10年後。20年後、30年後。何に囲まれていたらいいのだろうか。その一部でも自分でコントロールできるとしたら、俺は何を残したいと思うのだろう。

生きてます