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頑張り過ぎだよ

自分の欠点を考えてみる。自分語りが多いということ。人の話を深く聞かないということ。完璧主義であるということ。挙げればキリがなく、こうしてどんどん自分に対してプレッシャーをかけ続けていると、その内、やる気が破綻する。アドラーは「やる気がなくなったのではなく、やる気をなくすという決断を自分でしたのだ」という言葉を残していたように思う。

弱点を克服していこうと考えるのは懸命で素晴らしいことだと思う。しかし自分の弱い部分を受け入れるのも素晴らしい。こうでなければいけないという思いが強くなり過ぎると、それこそ完璧主義という性分によって重圧に押し潰されてしまう。もっと自分の良い面も見ていこう。思い切ってやってみて思うように結果が出なかったとしても見方を変えれば、「よくやったね」と自分に言ってあげられる。

楽しく生きるコツは、頑張り過ぎないことだと思う。人は無理をしたいときもあるけれど、基本的に怠惰な生き物だ。張り切るのは素晴らしい。すべての時間は学びになる。学びにするかどうかは自分の裁量に懸かっている。人は得したときより損したときの気持ちのほうが強く感じるという。思い当たる節があり過ぎるが、せっかく新しいことに挑戦してみたのにだめな部分だけを見てしまったら、挑戦したという事実が無視されてしまう。

舞台に立った。それだけで凄いのに、一部のミスを悔むとネガティブな側面だけが際立ってしまう。何事も見つめるほどに大きくなっていく。最悪、自分を責めたら、素晴らしい部分が見えなくなってしまう。自分では自分のことをもっとできるとか、つい奮い立たせにいく。それはろくに食事も摂っていないのに踏ん張りを利かせるようなもので、それ以上、絞りまくってもエネルギーは枯渇している。

自分のことを雑巾のように扱うのはやめよう。改めて言うが人間は怠惰だ。エンジンがかかったらラッキーくらいに思っていたほうがいい。やる気なんて最初からない。偶然、手を付けていたらあれもこれもやりたいという風に連鎖していくだけであって、たまたまその波に乗れたことのほうが奇跡だ。サーファーになろう。波に乗れて楽しかったね。自分の子供に接するような感覚で、自分の背中をポンポンしてあげよう。

人間は怠惰なのにエネルギーは過剰にある。そして、そのエネルギーに振り回されることもある。だから退屈もする。退屈もしないほど疲れていたら休もう。何もしたくない自分を責める必要なんてない。そのままでいいんだ。そのままが人間全体を認めることになる。そして、休んでいると次第に何かまたやりたくなってくる。やり切ったら、また休めばいい。休めばまた何かやりたくなる。人生とはそういうループによって成り立っていると思う。

人の心はコントロールできない。他人に認められるために頑張ってしまうと思ったような成果が出なかったときに不満が出てくる。勝手に裏切られたような気持ちになる。好きでやっているという自覚を持つ。そうすれば思ったような反応がなくても受け入れて前に進める。本来、人間はネガティブモンスターだ。よほど親から愛されて育ったかしない限り、ポジティブモンスターなんて生まれない。

「できたらすごい」。それでいいじゃないか。「できなくて当たり前」。それでいいじゃないか。挑戦したなら結果は失敗でもまた次があるし、一回でもやってみたという事実のほうがずっと大きい成果だ。誰だってプレッシャーは感じる。プレッシャーを打ち消そうと考えるより、プレッシャーを感じているということは今の自分は挑戦しているんだなと思ったほうがずっと心地良いのではないだろうか。

変わっていきたいと思う。素晴らしいことだ。ただし、頑張り過ぎないことだよ。人に過剰な期待をしたり、求め過ぎたりしてしまうと求めるものが手に入らなかったときに余計に苦しむ。そして、結果が出ても次も同じように結果を出さなきゃというプレッシャーに襲われる。もっとリラックスして、日々を楽しめばいいのだと思う。認められることより、丹念な生活を送り、自分のコントロールできる範囲でエンジョイしていこう。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。