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生き抜いてきた。これからも生き抜いていく。それだけじゃだめなのかい。

「どいつもこいつも覇気がないな!」と思った瞬間に、そんなどいつもこいつもなんてまず言葉遣いが下品だし、そもそもで一番覇気がないの俺じゃないか説が頭に蔓延し、キチゲがマックスになった。

弟にキチゲという言葉を教えてもらった。キチガイゲージの略でイライラや不満のストレスなどにより、キチゲが高まると気がおかしくなるという意味のネットスラングらしい。

そういえば一人で家にいると、たまに発狂している。あれはキチゲが高まっていたのだ。皆さん、キチゲに気をつけて。自分への配慮が大事。

社会にさりげなく適応する

私は押し付けられることに対する敏感さが激しく、こうすればああすればと干渉されると「うるせー!!」と基本、心の中でのたうち回っている。

そうですそうです、基本心の中で。ビビリなんで何も言い返せない。だから溜まるんだよなキチゲ。...チゲ鍋食べたくなってきた。

先日、「いい思いをさせてよキャンペーン」を銘打ったものの誰からも応募はなく空のメールボックスを前に「うわあ!」と尻もちをついた。

連絡がないことは平気なのだが、はて、「いい思い」とはなんだ。そんな疑問が頭をもたげた。

尻もちをついた勢いのまま体勢を体育座りに変えて、しばらく考え込んだ。実際、まず強烈なコンプレックスがあるのだ。

被害者ぶるつもりはないけれど、親から与えられた傷には可塑性があり、一度へこんでしまった以上は元に戻せない。

でも、それって脳に新しい形で有限性が生まれたということだ。可塑性とは新たな有限性だ。へこんだからダメージ、なのではなく、へこんだ自分にしかできない仕事がある。

へこんでしまったかもしれない。でも、そのへこみは社会を生き抜いていく上では障害かもしれないが、人間として劣っていると同義ではない。

このへこみのある自分。倒錯した自分。この個性によって、自分で自分の良さを見つけ出していくことができる。

社会に適応できたらいいと思う。が、自分の良さを潰してまで歯車になることが必ずしもベストな選択だとは思わない。

人間の唯一の仕事は、自分の良さを見つけ出すことではないだろうか。それは人づてに知ることもできるし、自ら発見することだってできる。

あなたは素敵だねと伝えることも大事だし、自分に対しての尊重も大事だ。

人それぞれに良さがあるように、自分にも人とは違うからこその良さがある。後は探すだけだ。これを人生の目的の一つにしたいと思う。

社会に馴染むために個性を押し殺してしまうのではなく、個性を保ったままさりげなく適応(したふりを)する。ふりしていることを認知していれば、それでいいのだ。

生き抜いてきた。これからも生き抜いていく。それだけじゃだめなのかい。

話を戻す。自分にとっての「いい思い」とは。物資は余剰が少しあればいい。金もそう。貯め込むことが大事なのではなく、使い方が大事だ。

必要以上にあったって将来への安心感は募っても、即座に幸せになるわけでもなく、どんな人だって落ちる時は落ちる。

起きて、うんちして、ご飯を食べて、働いて、シャワーを浴びて、寝る。人間の生活なんて基本そんなところだ。

何十年かけてコツコツ貯めても一瞬でパーになり得るご時世である。むしろ貯め込むのはリスキーゆえにシェアという概念が進行しているのだと思う。

下手に人間関係を増やしてストレスを溜めたくないし、好きな人にだけ囲まれていたいのが本音で、自分に優しくしてくれる人と一緒に居続けたい。

「こうしたほうがいいよ」というアドバイスを聞けない。なんで上から目線なのよと抵抗してしまう。助言を素直に受け取る人ではない。

こっちが間違ってる前提かよと思ってしまう。「俺は間違ってる。お前はもっと間違ってる」と言いたくなる。

自己肯定感とは何か。覇気のようなオーラのようなものだと思うが、一言で言えばエネルギーなのではないだろうか。

自らの中に愛を太陽光発電できるようなシステムを持っている人は強い。一人でエネルギーを生成できる。

たぶん、そういう人と出会うとこちらの自己肯定感まで上がる。生きていてもいいんだと思わせてくれる。生きているだけで十分なのだということを教えてくれる。

存在がティーチャーなのだ。導いてくれる。そう、自分も導く側に立ってもいいんだと思わせてくれるような導きを待っている。

本当に素晴らしい出会いというのは、互いの自己肯定感を補い合うだけでなく、導き合うことができる互いがティーチャーのような関係性である。

その根本には相手への尊重があり、尊敬もある。そういう人との出会いこそが、私にとっての「いい思い」だと結論付けた。

私のことをティーチャーにしてくれる出会い。粘土のようにこねくり回さない、そのままで生きていけよとオーラから言葉を感じる出会い。

俺は粘土じゃねえ、俺はフィギュアだ! 心を持ったフィギュアだ。大切にされるためにある。

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ケンタッキーうまいんよ特にツイスター

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。