マガジンのカバー画像

みっつ通信

109
慣れ親しんだ日々を、日々、書き換えようと模索しています。
運営しているクリエイター

#生き方

それでも自分の道を切り開いていこう

創作や表現における、自分の在り方を考えている。元々、自分がやりたくて始めたことなのに、気付くと他人からの承認を待っていたり、当初志していた目的から外れたりしてしまう。時折、何のためにやっているのかがわからなくなり、やる気が減退する。初心を思い出すためにも、自分と同じような生みの苦しみを抱えている人のため、また自分のために創作するということについて創作していきたい。 目的がすり替わる最初、詩やブログをやり始めたのは、ただそれがやりたいという理由だけだった。目的=自分のやりたい

人生から試されている

ツイートのいいねの数や、誰にいいねされているかなんてことまで気にされるという事案が度々起こるのだが、そんなに他人からの評価が重要な指針になるのだろうか。いいねの数や誰にいいねされているかを基準に、その人のことを評価しなければいけないのだろうか。この人はウケてるぞだからすごいなんて今どき小学生でもやらないんじゃないか。一体、何を気にしているのだろう。 評価や賞レースなんて、あくまで大衆受けするかどうかくらいの基準でしかない。特に芸術なんて評価の外にあったほうがいい。例えばの話

人生を甘くする考え方を考えてみる

何回やっても苦手なものがある。食器洗いだ。魚を焼いたグリルをスポンジでゴシゴシと洗いながら、頭の中で計算してみる。一日食事を二回したとして、それを十年間続けるとする。一年は365日あるから、十倍にすると一日一回の食事で3650回。それを倍にすると7300回。30年生きているのだから、その内の半分の15年は食器を洗っている。滅多に外食はしないので、少なく見積もっても、7000回はほぼ確実に食器を洗っていることになる。とんでもない数字だなと思う。やらなければいけないことなら人は苦