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汚さという自然を隠す世の中


SNSがますます発達して
テレビでも規制がますます厳しくなって
ぼくたちは明らかにここ十数年で
綺麗なものしか見ない日々が当たり前になった。

人間の汚い部分を隠そうとする
世の中になったともいえる。

こういう世の中になったことで
みんな、他人の汚いものを
見る耐性が減ったはずだ。

例えば
相手の中にちょっとでも嫌な部分や、
不快だと思う部分が見つかると、
すぐに嫌いになってしまう。

同時に、自分の汚い部分も
認められない人も多いだろう。


しかし、人間の素は所詮、
魅力もクソもないと思う。

いや、隠そうとするから
それが剥がれたときに余計悪く映るともいえる。

例えば、人柄以前に、
みんな一人でいるときは屁もこくし、
毎日糞尿も出すし、
歯も磨かなかったり
風呂に入らなければ臭くなるし
体毛も生えるし、ゲップもするし、
寝るときはいびきもかくだろう。

なんだか最近、そういうことすら、
想像もできない人が増えていると思う。
そういう世界を知らずに、綺麗なもの
つまりフィクションの世界に
触れ続けているからだろう。


汚いもの、という言い方を変えるとしたら、
これらは「自然なもの」と言い換えられるだろう。
例えば、風呂に入るのも
当たり前でなかった時代からしたら
人間は汚いのが当たり前で、
それが自然だったはずである。

身体面や衛生面だけでなく
人柄もそうだ。

なのに、みんな、最初は良い顔をするし
魅力的なフリをする。

別に、わざわざ汚く見せろ
というわけではないけど、、、

でもSNSなんて、みんな
作り込んだ綺麗な瞬間や
幸せの瞬間を切り取っているに過ぎない。

あれはもはやフィクションだとぼくは思っている。



みんな、自然の汚さを隠そうと必死だ。 


むしろ、魅力的に見せようと努力した人間ほど、
いつかボロが出るという言い方もできる。
身も心も綺麗な人間なんていないのに、
余すところなく綺麗に見せようとするから、
隙間からボロが出やすいのだ。

50%綺麗で50%汚いより
95%綺麗で5%汚いほうが、
その5%はなんだ、と気になるものだ。

ちょっと例えが大雑把すぎたか笑

要するにあれだ。
印象が良い人ほど悪い面が一個あると
かえってそこが目立つってやつ。
THEフツーの人ほど、良い面を見ようが
悪い面を見ようが、インパクトはそこまでだろう。


でも、今にして思うのが
ホストやホステスにあそこまでハマる人が
多いのも、分かる気がするということだ。
ひょっとしたら水商売を生み出した人は
こういう世の中の仕組みを
知っていた人だったのかも。

アイドルの追っかけや、推し活なんかも、
それに近いだろうか。

世の中の汚いもの、
つまり本質的な部分を除いた綺麗な世界を
すなわち、フィクションであり幻想の世界を
お金を払って体験したい人が、いかに多いか。

汚いものが本質であるいうことを隠そうとした
あらゆる進歩と、近年みんなの中に蔓延っている
「生きづらさ」は相関することを
ぼくは確信している。

なにをどう頑張っても、
人間の汚い部分を見ずに
生きていくことは不可能だからだ。

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