いつもいる場所

 今年も、毎日毎日仕事か練習をするだけの、地味で浮ついた話の一つもない一年を過ごした。
 
 同じことを繰り返すことだけは昔から得意で、逆に言えば、地味なルーティンをこなすことだけしか能がない自分の柔軟性の乏しさに関しては、仕方がないと昔から諦めている。

 行きつけのお店というのも、コンビニ一つとっても、同じところ、同じ場所を好む傾向がある。
 ほとんど毎週行くお店で仕事の勉強やら記録やらを付けるのが好きで、十分な睡眠と好きなことをする時間さえ取れれば、休日に仕事をすることは苦ではない。



 世間が浮つくクリスマスの日にも、特に用事がないため、いつもの休日と同じルーティンをこなした。近くの施設を借りて練習して、いつもの店に行って仕事の勉強をして、帰宅してゆっくりした。

 別にこの歳になって、クリスマスに彼女が欲しいだの、皆とワイワイ過ごしたいだのとは考えない。でも、世間的にそんな30代は痛いと思われるから、そんな世間のイメージとはなるべくズレたくない自分がいるというのが本音だ。


 街にはサンタさんの衣装を身にまとって、プレゼントを片手に親御さんに愛でられている子どもたちや、若い男女のカップルの数が普段より明らかに多かった。まるで幸福の象徴だ。周辺にはしっかりとその匂いがまき散らされていて、皆しっかりとそれをまとわせているみたいだった。

 皆、しっかりと時の流れに身を任せていたのだ。


 自分だけが、その渦中にいなくて、時が止まっているのではないかと感じた。そんな自分に対して違和感すら覚えることすら、避けているみたいだった。

 イブのその日、いつもの店でPCやら本やらを見ているときに、大学生くらいの、カップルらしき男女が来た。冗談かと思うくらい可愛い女の子と、それを誇らしいと言わんばかりの雰囲気を出している男の子の隣で、淡々とキーボードを打っている自分。

 そのとき、自分は中年になっても、今居るいつものカウンター席という場所から同じ景色を見ている気がして、思わず視界が霞んだ。



 いつも同じ場所に佇むということは、安心する一方で、変化に乏しい。そろそろ新しい一歩を進んだ方がいいことは重々承知している。

 時間だけは嫌でも常に前を向いているし、いつもいるその場所を照らす光も、常に前向きに明るい。その光がうるさくて、いっそのこと潰されたい自分がいる。精神的に落ち込んでいる人が、部屋の光を暗くする行動は、実はちゃんと理にかなっているのだろう。


 けど、それを乗り越えてでも、時の流れや周囲の光に乗っかって、身を任せてみる勇気が欲しい。


 自分は来年の今頃も、いつもいる場所で、同じ景色を感じながら、カウンター席でキーボードを打っているのだろうか。

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