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価値観は合わないのが前提

人との相性や恋愛観を表す代名詞の一つに
「価値観が合う人が良い」という言葉がある。

ぼくはその言葉があまり好きじゃない。

なぜなら、価値観なんて、
みんな違う人間なのだから、
合わないのが当たり前という前提があるからだ。

似たような言い回しが「波長が合う」だろうか。

いずれにしろ
違う人間なのだから、
価値観の合う方が珍しくないだろうか。
って思う。

「そんなことはない」って反論する人の方が
実際は多いだろう。

でも、本当にそうだろうか。

今まで自分が
「この人、価値観が合うな」って思っていたのは、
もしかしたら
相手が自分に合わせてくれたり
配慮してくれていただけかもしれない。

波長だってそうなのかもしれない。
合っていると思っていた人が、
関わってくると
「あれ?こんな人だったっけ」
と感じたことはないだろうか。


みんな、向こうが変わったと捉えがちだ。
でも実は、元々は向こうがこっちに
波長を合わせてくれていただけかもしれない。


ぼくも、つい最近、
仲の良かった友人と
久しぶりに電話をしたら
なんとなく噛み合わないような
会話のリズムが前ほどスムーズじゃなくて、
違和感というか、変な感覚になった。

でも、お互い違う環境で違う生活をしている。
感じ方や考え方も徐々に変わってくる。
連絡を取っていなければ
関係性も変化する。

だから、元々は相手がこっちに
合わせてくれていただけかもしれない。


繰り返すが、みんな違う人間なのだ。
双子のきょうだいですら、全く同じではない。

他人で、男と女なら
なおさら違うことはあまりにも明らかだ。
それなのに、価値観が合う人や、
波長が合う人がいるということは
それは自分か相手が、もしくはお互いが
配慮して、合わせているということだ。


ぼくはそういう視点を手に入れてから
「価値観が違う人は嫌だ」
「価値観が合う人が良い」
という言葉を使う人のほとんどは
「自分は変わる気はないが、
相手は自分に合わせてほしい」
ことを言い換えているだけに
すぎないんじゃないかと
思うようになった。

もちろん言っている本人は無自覚だろうし、
そういうつもりもないかもしれないけど。

その証に
時間が経てば自然と
相手の中に違う面が見えてくるものだが、
そうなると、「価値観が合わなくなった」
と手のひらを返す人が多い。

本当はそうではなくて、
今まで見えていなかった相手の
素の部分が見えてきただけだ。
相手にとっても、
「飾らない自分を見せても良いのだ」と
思ってくれるようになったから
素が出てきたのだろう。


例えば

最初はゆったりしたふるまいで見せていたのが
実は短気でせっかちな性格であったり。

実はイライラしやすいがそれを隠そうと
精一杯、穏やかな振る舞いをしてみたり。

人間なんて、所詮その程度だと思う。

最初は相手によく思われたいから
自分を隠そうとするが
関係が深まってくると
必ず印象が変わる。

しかも、どちらかというと
悪い方に印象が変わりやすいため、
人間関係とは本当に意地の悪い世界だ。

一般的な話、
人間関係は、悪くするのは非常に簡単だが、
良い関係を維持するのは非常に難しい。
みんなそれぞれ我慢し合って
関係性を維持しているということだろう。

だから
みんな誰とどんな出会い方をしても
印象は必ず変化すると覚えておけば、
相手への過度な期待や、
失望も減るだろう。
その方が、ほどよく関係性を維持できると思う。

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