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空洞という臓器

真夏の夜
寝室の窓が台風による雨風で揺れて
空気を切るような鋭い音を捉えたとき
もう二度と帰らない実家に
住んでいた頃を思い出す。

ぼくの生まれ故郷はど田舎で
高地だからか、冬場は埋まるんじゃないかと
思うくらい雪が降って、刺すような風の音がして
それが未だに耳に染みついている。
自分の中に埋め込まれているかのように。


実家は田舎特有の割と広い一軒家で
近くには田んぼと川しかなくて、
そんなのどかな環境にもかかわらず
家族の仲は荒れていて、枯れていた。
真冬の夜中に、毎晩独りで眺めた
広めの窓に映る広大な暗闇と風雪は
15歳で実家を出る後押しになった。


今は真夏なのに、
暗闇の外の、雪と風の音で
怯えてる子どものように縮こまる。

寒気がするのは
家に居るときに常時付けている
冷房のせいだけじゃない。



それでも疲れて意識は遠のき
夢を見る。

誰かがそばにいる夢。

ただし特定の誰かではなく、
「そういう対象」が
近くにいる夢。


そう

今のぼくには、淋しいときに
真っ先に思い浮かぶ異性すらいない。


そういう具体的な対象が居ない場合、
人物像だけが具現化されるのだろう。

顔も、誰かすらも分からないその子は
生活感のあるぼくの部屋にいて、お互いに
何をするわけでもなく過ごしているところが
妙にリアリティだった。


夢が覚めたとき、
思わず部屋中を見渡してしまう。
自分以外の誰かの形跡はなく
ぼんやりとした夜の色と
自分だけの生活に浸された部屋。
風の音が窓を叩く。
夏だからだろうか、
微かに虫の声が聞こえる。


夢を思い出してみると
終始、夕焼けに照らされたような
薄いオレンジ色のフィルターがかった映像を
ぼんやり見ている記憶があるのは、
起きてから夢が脚色されたせいだろう。

天井を見つめる。


こういう気持ちに名前を付けることすら、
無意味だと感じる。


暗くした部屋のベッドから
ぼんやり窓を眺めて見える暗闇と
耳に響く自然音だけが
唯一の現実だった。



「空っぽになる」という表現が頭をかすめる。

ぼくには空洞という臓器が付いていて
血肉化されているのだと気付いた。

何度繰り返しても、
沈んでいくことしかできない。



いつも、いつも




もはや、抗わない。


自分の一部になっているから。







人が、未来を見ることが出来なくて、
本当に良かったなと思う。

あの頃の自分が
10年から20年経っても
同じ景色で、同じ感じ方を
独りでしている事が分かっていたら
今の自分を見渡せていたとしたら
あの頃にはもう
生きることを放棄していただろう。




昔も今も、自分を変えたくて
関わる人も住む場所も変えたけど

実は皮膚の表面を取り替えただけだった。


「お前は一生このままなんだよ」と
皮膚の下にある血肉や骨や
その中心にある空洞という臓器から
言われた気がした。





ぼくは、正真正銘の独りだ。

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