2016年10月2日

今日は,久しぶりに心穏やかな休日だったように思う.

…と思ったんだけど,仕事関係のメール対応をいろいろやったんだった.その一つに,全く仕事をしない某外国人に,もっと仕事に積極的に関わってね(はーと)みたいな,ジェントルな嫌味のメールを送ったんだけど,通じてるかどうか.こっちにしわ寄せが来るのは勘弁してよ本当に….

旧約聖書にあるバベルの塔のエピソードは以下のようなものだ:

去來(いざ)邑(まち)と塔とを建て其(その)塔の頂(いたゞき)を天にいたらしめん斯(かく)して我等名を揚(あげ)て全地の表面(おもて)に散ることを免れん
               旧約聖書 創世記 第11章

これは,神の高みに至ろうとした人間の愚かな振る舞いといったような文脈で語られることが多いけど,私はこの話が好きなんですよね.これを読むと,以前ブログに書いたような,三島由紀夫のイカロスという詩を思い出す:

イカロス

私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げかけ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりはるかに高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?

私はこの「昇天の欲望」を常に持ちたいと思っている.それは必ずしも出世とかにとどまらないんだけど,より高みを目指していきたい.そういう気持ちをいつも感じてこそ,人間ということじゃないかな.


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