河野有理のSNSにおける裏と表

今回の記事では、河野有理について告発する。
読者が唐突だと感じても無理はないが、読み進めればこれもまた呉座勇一やその界隈の問題と関連していることが分かるだろう。

なお私は、河野について今年4月の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その4)」で言及していた(そのため、同記事と本記事は内容が少しだけ重複する)。
この伏線はいつか回収したいと思っていたが、まさか年内に回収することになるとは思っていなかった。

河野と私の前史

河野有理は1979年生まれ(私より4歳年長)の日本政治思想史研究者で、現在(2021年4月~)は法政大学教授。
呉座ほどにはメディアに露出しないので知らない人も多いだろうが、業界では有名な研究者だ。

河野と私の間に、学会などオフラインでの接点はほとんどない
私が日本思想史学会2015年度大会シンポジウムに登壇した時の大会委員の一人が河野で、同学会の翌2016年度大会の懇親会で河野が私に少し話し掛けてきた、という程度だ。
ただし、前述のように業界では有名な研究者なので、私は10年以上前の大学院生時代から河野のことを知っていた。

2018年の笹倉第1書評と河野FB記事2本

2018年、河野と私の間に予期せぬ接点が生じた。

その背景から説明すると、法学者の笹倉秀夫が1988年に『丸山真男論ノート』(みすず書房)を刊行し、これを増補改訂して2003年に『丸山真男の思想世界』(みすず書房。以下、「笹倉本」と略す)を刊行した。
3年後の2006年、アジア政治思想史研究者の苅部直(東京大学教授)は『丸山真男――リベラリストの肖像――』(岩波書店、岩波新書新赤版1012。以下、「苅部本」と略す)を刊行した。
そして12年後の2018年7月30日付で、笹倉(早稲田大学名誉教授)は書評「苅部直『丸山真男――リベラリストの肖像』考」(『早稲田法学』93-4)を刊行した(以下、「笹倉第1書評」と略す)。

なお、笹倉と私はどちらも早稲田大学の(元)教員だったが、接点は全くない。
この書評を見るまで、私は笹倉の名前も知らなかった。

笹倉第1書評の趣旨は、苅部本は8ページもある参考文献一覧で笹倉本を挙げていないが、その重要なアイデアや内容、論述形式は笹倉本と不可思議に重なっている、というものだった。
笹倉はこの不可思議な重なりなるものを「盗用」や「剽窃」などと評していないが、私から見た笹倉第1書評は苅部の研究倫理違反疑惑(あくまで疑惑)を告発したものだった。

この笹倉第1書評は刊行当初、一部の人々の目に触れただけで、さほど話題になっていなかったらしい。
しかし同年11月末(殊に12月3日)以降、ヒで一部の人々の目に触れてやや話題になった。
学界の重鎮であり、日本思想史学会会長(同年10月~)にも就任した苅部の新書が批判されたのだから、話題になるのは当然だったろう。

12月の初め、私はこの笹倉第1書評についていろいろRTしたり、論点整理のようなTWをしていた。
すると、河野(首都大学東京教授)が同月5日と7日に(通常は非公開設定にしているらしい)自分のFB(facebook)で記事2本(後者には15日の追記2つあり)を公表して拡散希望した。

(本エントリーのみ公開仕様にします。拡散していただけますと幸いです) 下記のような論文が一部で話題のようです。業界の評判に関わることですので簡単に一言します。結論から言うと、この論文での著者の主張(苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』と...

Posted by 河野 有理 on Tuesday, December 4, 2018

この件につき公開エントリーはこれで最後にします。 (※12月15日に二つの追記をしました) 前エントリーでは、早急な初期消火の必要を感じていたため、笹倉氏の書評を真に受ける必要がない旨のみお伝えしました。また、手元には笹倉氏の『丸山眞男論ノ...

Posted by 河野 有理 on Friday, December 7, 2018

苅部本を擁護して笹倉第1書評に反論する河野のこれらFB記事2本を読んで、私は当時、「気っ持ち悪いなぁ」と思った。
記事の内容にも賛同できなかったが、それ以前に、批判されている苅部本人でなく河野が笹倉第1書評に反論していることが、私には気持ち悪かった

苅部は(今もそうだが当時も)健在であり、物故者でも重病人でもないのだから、反論が必要なら本人がすればよかった。
本人がしないなら、それは本人にとって反論する必要がない批判だということだろう。
苅部が反論せずに河野が代理で反論したことは理解できず、気持ち悪く感じられた。

また、「笹倉第1書評が指摘した不可思議な重なりなるものは本当に不可思議な重なりなのか」ということについては、苅部以外の河野など第三者も検証できるだろう。
しかし、「何故12年前の苅部本の参考文献一覧で笹倉本が挙げられていないのか」は、苅部本人にしか分からない、または本人にすら分からないことだ。
もしかしたら、苅部は笹倉本を挙げるつもりだったのにうっかり挙げ忘れただけかも知れず、または挙げたのに編集者がうっかり削ってしまっただけかも知れない。
なのに何故か河野はFB記事2本で、苅部本の参考文献一覧に笹倉本がないのは故意だという前提で、あれこれ説明していた。
あんな奇怪な代理反論を、私は他に見たことがない

河野のFB記事2本については、江口聡の同月15日付ブログ記事
「学術論文における言及とクレジット (2) 河野有理先生のエントリーへの疑問」
https://yonosuke.net/eguchi/archives/10089
と私の同月17日付ブログ記事
「河野有理氏の2つのFB記事について」
https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/106576/34b6f2ed2265c4df739f25a08cc4882d
そして後述の笹倉第2書評参照。

気持ち悪いことは他にもあった。
河野のFB第1記事が5日に公表されると、直後にこれを政治思想史などが専門の研究者たちがヒでやたらと持ち上げたことだ。
それどころか、「笹倉第1書評について騒いだ人は、正義感からデマに踊らされて軽挙妄動したネトウヨと同じだ」(大意)という意見まであったらしい。

なお、河野が5日の第1記事で「問題はテーマや構成の「重なり」の大きさではなく、
「たった一行なぜ俺の名前を書けないのか」的なことなのではないかとも邪推してしまいます」
と書いたことについては異議がいくつか寄せられたらしく、
河野は15日に7日のFB第2記事に追記している。

河野界隈の認知

とはいえ、この時期くらいまで私は、ただ河野のFB記事2本とそれへの過大評価について遠くから苦々しく思いTW/RTしているだけの、傍観者のつもりでいた。
しかし、いつの間にかそうではなくなっていたことを私は同月11日になって知り、某大学教授(公開垢)の削除済みTWのスクショとともにこうTWした。

某公開垢の削除済みTWによると、一部界隈では笹倉秀夫書評(http://hdl.handle.net/2065/00057644)についてのTWがスクショで保存回覧されているらしい。TWをRTした者の記録も残っているだろう、とも。一部界隈に目を付けられたくなければ、笹倉書評についてTWしたり、TWをRTしたりしない方がいいのかも。以目耳。
午前0:06 · 2018年12月11日

笹倉書評

魚拓

すると、私のこのTWを見付けた某大学教授本人が、

このスクショの削除済みTWは自分のもの。
この森という人のTWのスクショもかなり回覧されている。
そういうこと公言するのはよくないだろうと思い直して削除した。
でも、そのくらいのことは普通だ。(大意)

と引用RTしてきた。

私は、「一体どの垢がそんなスクショを拡散しているのだろうか」と思って調べてみたが、見当たらなかった。
そこで、「その垢は鍵垢だから見付からないのでないか」と思って掘り下げてみたところ、河野の匿名鍵垢を発見した(垢名や垢IDは伏せる)。
鍵垢なのでどんな鍵TWをしているのか私は確認できなかったが、どうもこの河野の匿名鍵垢が笹倉第1書評関係のスクショを拡散させており、また私についてもフォロワーとあれこれ陰口を交わしているようだった(そう推測できる根拠も伏せる)。

かくして私は、2019年3月に呉座界隈の存在を認知するより前の2018年12月に、河野界隈の存在を認知した。

河野界隈と呉座界隈の異同

河野の匿名鍵垢は2011年に開設され、遅くとも2013年までに施錠され、そして現在も新設の実名公開垢(後述)と併用されている

匿名垢や鍵垢や匿名鍵垢を利用することは本来、法律にも倫理にも違反しない。
表垢と裏垢を使い分けたってよい。
なので私も、そういう本人が公表していない情報はできるだけ秘匿されるべきだと考えている。
だが、河野のSNSでの言動は研究者としてあまりに不誠実であり、率直に言って悪質だと考えられるため、本記事で告発することにした。

ただし、同じく「鍵垢とそのフォロワーたちによる界隈」とは言っても、河野界隈と呉座界隈では違うところも多い(というより呉座界隈が特殊すぎた)。

第1に、フォロワーの数に数十倍の差がある
呉座の鍵垢は3月の解錠前時点でフォロワー数が3千数百で、河野の匿名鍵垢はフォロワー数が約50
呉座は新書の大当たりやメディアへの露出などによって非常に知名度があり、しかも垢名をほぼ実名の"Yuichi Goza"にしてbioにも呉座だと分かる情報を載せていたので、ファンからフォロー申請が殺到して呉座もその一部を承認し、フォロワー数が3千数百まで膨れ上がった。
しかし、河野には呉座ほどのファンがおらず、たとえいても河野の匿名鍵垢を自力で見付けることはほぼ不可能なので、これまでファンなどからのフォロー申請はなかったろうと推測される。

第2に、フォロワーの構成が大きく異なる
呉座の鍵垢には3千数百のフォロワーがいたが、今述べた理由で、その多くを非研究者(呉座ファンや歴史ファン、ただのツイッタラーなど)が占めていた。
研究者は、その定義を大学院生くらいまで広げたとしても、3千数百のフォロワーの1、2割くらいだったろう(実態不明)。
他方、河野の匿名鍵垢のフォロワー約50は、教授級や准教授級の研究者がかなりの割合を占めているようだ(実態不明)。
恐らく河野は、それなりに付き合いがあり信頼できる人にだけ自分の匿名鍵垢の存在を教え、フォロー申請を承認してきたのだろう。

そして第3に、集団力学が異なる
呉座は影響力が強大であり、しかも(たとえ年長者であっても)他人を威圧する性格だったため、界隈の中心にしてある意味で頂点だった。
しかし、河野の性格は呉座ほどでないため、匿名鍵垢のフォロワーたちが常にその顔色を窺っているというようなことはないだろう。

相違点でなく共通点としては、どちらの界隈も一枚岩の均質な集団でないということだろう。
ある鍵垢とそのフォロワーたち全員が思想などを完全に共有している、などということは普通有り得ない。

ただし、呉座界隈と河野界隈の両方に属していた、つまり呉座の鍵垢と河野の匿名鍵垢の両方を
同時にフォローしていた研究者は少数ながら存在する。

2021年10月の河野の実名公開垢開設

そして河野は昨月(2021年10月)、実名公開垢「河野有理(@konoy541)」を開設して同月3日に最初のTWをした。

何故河野が実名公開垢を開設したかは不明。
ただし2013年、界隈のある公開垢が河野の匿名鍵垢に「私は逆に勤務先への迷惑とならないように自重しています。言いたいことを言うために施錠するというのもあれですね」(大意)とリプしていた。
恐らく当時、河野が「私は勤務先の首都大の目を気にして施錠しました」というような鍵TWをし、それにその垢が「私は逆に」云々とリプしたのだろう。
そのため、河野はもともと実名公開垢を開設したかったが首都大在職中はできず、今年4月に法政大へ転出し半年が経って落ち着いた10月に念願の実名公開垢を開設した、と考えられなくもない。

河野は自分が10年前から匿名鍵垢を使ってきたことを公言していないため、ほとんどの人には河野が最近ヒを始めたように見える。

だが前述のように、河野は2011年以来の匿名鍵垢の利用を継続している。
そのため現在、河野は匿名非公開の裏垢(2011年開設)と実名公開の表垢(2021年10月開設)を併用していることになる。

河野と呉座炎上

河野は、今年3月に北村紗衣氏が呉座の鍵TWのスクショを入手し、曝露したことを快く思っていなかったと考えられる。
3月20日、界隈のある公開垢が河野の匿名鍵垢に「施錠されているものを曝露するのはおかしいですよね」(大意)とリプしていた。
恐らく当時、河野が「北村氏が呉座の鍵TWのスクショを曝露したことは如何なものか」というような鍵TWをし、それにその垢が同意を表明したのだろう。

そして河野は、呉座が停職1か月の懲戒処分になったと『京都新聞』で報道された昨月20日以来、これについて表垢でいろいろTWしている。

以上3つのTWの第3は、この21日に公開された河野と苅部のYouTube対談動画「苅部直×河野有理「「道徳」(≒ポリコレ)の時代の保守主義の可能性?」 論壇チャンネルことのは開局記念対談第3弾③」を意識したものだろう。

道徳感・倫理感が人を刺す武器になっている

ただし、この前夜に呉座への懲戒処分についてTWしていたため、当然それも意識していたと考えられる。
この第3の河野TWに北村氏が引用RTで不快感を示した。

河野が「被害者の目にすぐ入りそうなところで「直接人を刺す武器」みたいな言い方で面白が」ったのは、8年以上前から匿名鍵垢で人目をほとんど気にせずいろいろなことを「内輪で面白が」ってきたため、「SNSの後ろにも人間がいる」ということへの実感があまりなかったのだろう。
今もあるのかどうかよく分からない。

河野の「自分のため」とは

同月の翌22日から24日まで、河野は呉座の失職と懲戒処分についてTWしていった。
河野の主張は、たとえ呉座のTWが不適切なものだったとしても、停職1か月の懲戒処分が妥当なものかは十分に議論されるべきだ、というものだった。

河野のこれら一連のTWには、利益相反の隠蔽がある。
普通の人が見たら、「河野は利害関係のない第三者(ただの同業者)として呉座への懲戒処分について議論している」としか思わないだろう。
最後のTWの「私がこの話題を出すのは別に呉座さんのためではありません。自分のためです」も、不当な懲戒処分を黙認していればそのような横暴が自分を含めた誰に向けられるか分からない、という一般論として危惧しているようにしか見えない。

しかしすでに指摘したように、呉座だけでなく河野もまた鍵垢で他の研究者についての陰口を鍵TWしてきた。
最後の手前のTWの「鍵垢内でなされた陰口や悪口が仮に「停職一ヶ月」の処分の直接の理由なのだとすればとても恐ろしいことです」も、一般論として恐れているのでなく、自分のこれまでの鍵TWが処分の対象になることを恐れていると見るべきだろう

河野の怠慢と放論、議論封殺

河野は3年前、2018年12月5日のFB第1記事で、笹倉第1書評とそれへの反応についてこう批判していた。

厳密には、笹倉第1書評における「笹倉本」とは2003年の増補改訂版『丸山真男の思想世界』だが、
河野FB記事2本は1988年の原版『丸山真男論ノート』を「笹倉本」としている。
河野FB第2記事の追記2など参照。

下記のような論文〔笹倉第1書評…引用者註〕が一部で話題のようです。
業界の評判に関わることですので簡単に一言します
結論から言うと、この論文での著者の主張(苅部直『丸山真男 リベラリストの肖像』と笹倉秀夫『丸山真男論ノート』は似すぎている)は、ほぼ「言いがかり」だと私は考えます
〔…〕
疑問を持たれたかたにおかれてはぜひ、笹倉書評だけでなく、実際に苅部本と笹倉本を読み比べてみることをお勧めします
そしてできれば松澤、石田、飯田諸氏の業績と丸山自身の作品にも。

そうした作業を一切行う気もない、単に「事おこれかし」の怠惰な野次馬が、笹倉氏すら主張していない「盗用」や「剽窃」という強い言葉を使って本件を炎上させようとしていることについては、本当に残念な人々だなあという気持ちになります。

このように河野は、「笹倉書評だけでなく、実際に苅部本と笹倉本を読み比べてみる」などの「作業を一切行う気もない」人々を「怠惰な野次馬」「本当に残念な人々」と酷評した。

しかし河野は、それでいて自分が問題の「笹倉本」を確認していなかったことを、2日後の7日のFB第2記事で何の恥じらいもなく告白した。

前エントリーでは、早急な初期消火の必要を感じていたため、笹倉氏の書評を真に受ける必要がない旨のみお伝えしました。
また、手元には笹倉氏の『丸山真男論ノート』がありませんでしたので参照できず(『思想世界』の方は所蔵)、判断を留保していた部分があったのですが、今回改めて笹倉氏の書評を検討し併せて新書における先行研究の取り扱い方について論じて、前回の言葉足らずを補いたいと思います。

私が同月17日のブログ記事「河野有理氏の2つのFB記事について」で書いたように、「業界の評判に関わることですので」「早急な初期消火の必要を感じていたため」という理由があったとしても、原典を確認せずに笹倉第1書評は「ほぼ「言いがかり」だ」などと述べ、そのFB記事を「拡散」するように呼び掛けるなどは、研究者として黙認されるべきことでないであろう。

また、河野がFB第1記事で「単に「事おこれかし」の怠惰な野次馬が、〔…〕本件を炎上させようとしていることについては、本当に残念な人々だなあという気持ちになります」と書き、FB第2記事で「前エントリーでは、早急な初期消火の必要を感じていた」と書いたように、これらFB記事2本は笹倉第1書評がそれ以上話題にならないようにするためのものだったと見ざるを得ない。
しかし前引のように、河野はヒの表垢で昨月以来、議論封殺の綺麗な言い換えはよくないと繰り返しTWしている。

「「俺たちが気まずくなるから黙れ」の綺麗な言い換え」は、2018年12月にFB記事2本で河野本人がしたことなのでないだろうか

しかも、河野はヒの表垢で昨月以来、呉座への懲戒処分などの問題について事実関係をよく把握しないまま、「いっちょかみ」を繰り返している。

河野は2018年12月にFB第1記事で、確認作業を一切行う気もない人々を「怠惰な野次馬」「本当に残念な人々」と酷評したが、自分もその同類なのでないだろうか
ある話題について議論したければまず事実関係を確認すべきだ、という河野の主張は、自分が議論を封殺したい時にだけ都合よく用いられているように、私には見える。

ハラスメントと悪質性

河野はヒの表垢で昨月以来、呉座の鍵TWがハラスメントだったかについてもこうTWしている。

河野のこれら一連のTWの最後の

「私は博士号もってますけど、あなたは?」とか「私は専門家ですけど?」というのでコメント捌いてる方々

について、複数人が「それはまさに呉座がしていたことなのでないか」というような引用RTをしているが、河野の趣旨はそういうことでなかったろう。
北村氏への精神負担を考えると言いづらいが、この「方々」とは暗に北村氏を指していただろうと、河野匿名鍵垢への界隈のリプから推測できる。
つまり河野は、被害者として振る舞っている北村氏も似たようなことをしていたじゃないか、と言いたかったのだろう。

これ以外にも、河野の表垢のTWを見ていると、時々議論があっちこっちに飛躍しているように感じられることがある。
河野は同時併用している裏垢での議論も意識して表垢でTWしているため、表垢のTWだけを見ると文脈が分からず飛躍のように感じられてしまうのだろう。

なお、当たり前と言えば当たり前かも知れないが、河野の裏垢と表垢の両方をフォローしている
研究者は複数いる。

それはともかく、私は、河野のこれら議論はある程度まで正しいがほとんど無意味だと考えている。
日本での制度としてのハラスメントは同一組織内においてのみ成立する、というのは河野の言う通りだろう。
しかし、呉座がした行為がハラスメントでなかったとしても、それが悪質でなかったということにはならない。

そこで、河野がこの記事を読むことを願いつつ質問したい
2018年12月上旬に河野が私の笹倉第1書評関係のTWをスクショし、匿名鍵垢で界隈の大学教授などとあれこれ陰口を交わしたことは悪質でないのだろうか。

当時、私はすでに日本思想史学会を退会していたので河野と同じ学会には加入していなかったが、その退会は特別な理由によるものであって、私の「ジョブマーケット」が河野と同じでなくなったということはない。
そして当時、河野は年長の任期なし大学教授で、私は年少の任期最終年度の大学講師だった。
勤務先が同じでなくても、そこに「権力的勾配」があったことは疑いないだろう。

今年3月の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」で書いたように、「若手研究者56すにゃ刃物はいらぬ、悪評の一つもあればいい」。
河野の匿名鍵垢が自分についての陰口を界隈の大学教授などと交わしているようだと分かっても、鍵TWなのでそれがどのような陰口なのかも誰に拡散されているかもよく分からず、反論も抗議もできないということは、私にとってキャリアが絶たれかねない危機だった
少なくとも私は、そう感じざるを得なかった。

もしかしたら河野やその界隈は、「私たちは森やその他の人たちの笹倉第1書評関係のTWについて、公平かつ正当な意見を交換していただけだ」とか「森が疚しいTWをしなければよかっただけでないか」とか言いたくなるかも知れない。
だが、12月上旬に公表された河野の非常に乱暴なFB記事2本とそれらへの過大評価を見ると、河野界隈での意見交換が公平正当なものだったとはとても考えられない。
疚しくないTWであっても、それがどう捻じ曲げられてしまったか分からない。

当時ヒで笹倉第1書評についていろいろTWしていた倫理学研究者の江口聡(京都女子大学教授)は、同月15日のブログ記事「学術論文における言及とクレジット (2) 河野有理先生のエントリーへの疑問」で、河野のFB記事2本についてこう書いている。

正直、私は河野先生の文章がよくわからない。

河野先生のこのエントリの最初の「1988」がまちがっていることさえ、他の人々によって指摘されず「プロの仕事」として大量にリツイートされているのだから、アイディアの借用などのようなもっと微妙で危険な問題について誰もなにも言えないのは当然ではないかと思うわけです。
だから門外漢の「あれ?」ぐらいのは許してほしいし、そういうの簡単に非難するのはやめてほしい
私は、弟子とかいないし関係者も少ないしいちおうテニュアもってることになってるからこういしたことが書けるわけですが、それでもものすごく怖い
それでも私みたいな人間が書かないとならない、っていってがんばってるわけです。
勘弁してください。

河野のFB記事2本は、10歳以上年長の任期なし大学教授にすら「やめてほしい」「ものすごく怖い」「勘弁してください」と思わせるものだった。
4歳年少の任期付き大学講師の私が、河野のFB記事2本と匿名鍵垢での陰口によってキャリアが絶たれかねない危険を感じたのは、当然だろう。

業界の評判

最後にもう一つ、河野に伝えておきたいことがある。

2018年12月上旬に河野は、批判された苅部本人でもないのに「業界の評判に関わることですので」(前引)という理由で、笹倉第1書評にあれこれ反論した。
それから2年後、2020年3月20日付で笹倉は第1書評の続篇となる書評「続編・苅部直『丸山真男――リベラリストの肖像』考」(『早稲田法学』95-2。以下、「笹倉第2書評」と略す)を刊行した(ただし、実際の刊行時期は同年7~9月か)。

この第2書評で、笹倉は河野のFB記事2本を以下のように酷評している。

河野の文の第一の特徴は、笹倉が〈苅部本と笹倉本の間で丸山思想の解釈が九つも重なっている〉と事実問題を提起しているのに、それらの事実については論じないで、(a)笹倉自身と、(b)笹倉本とを貶めることによって笹倉書評の信頼性を低めようとしている点にある。(p.303)

河野は、『丸山真男論ノート』と、その後に出版された『丸山真男集』等の新資料とを、相互に照らし合わさないで、すなわち『丸山真男論ノート』すらよく読まないで、〈『丸山真男集』等の新資料出現で『丸山真男論ノート』等は無意味化した〉としているのだ。(p.306)

一般論としてだが、こんな史料操作態様で思想史研究者が務まるものなのだろうか――河野のこんな議論が何人かの大学教授によって、「さすがプロの仕事」とSNS上で褒められているのであるが……。(p.306)

笹倉が重要主題におけるアイデアの重なりを問題にしているのに(ただし、笹倉書評の論点「2」、精神の「型」をめぐっては別問題もある)、河野は、「両者は「字面」レベルではほぼ全く似ていない」と、無断引用(コピペ・盗用・剽窃)があったかどうかを問題にしているのだ。(p.309)

この笹倉第2書評が刊行されてから1年以上が経っても、私の知る限り河野は全く応答していないようだ。
しかし、笹倉の「こんな史料操作態様で思想史研究者が務まるものなのだろうか」という疑問は「業界の評判に関わること」なので、誠実な応答を公表してほしい。

(次の記事に続く)

(2023年3月24日 午後10時5分ごろ追記)

(追記ここまで)

予告

次回記事で完結するつもり。

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最後まで読んでくださりありがとうございました。