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世界平和のためにサッカークラブができること

前書き

考えたきっかけ

弊社取締役の竹田が、10/9の国立競技場での一日を振り返って、facebookにこんなことを書いていました。「(国立競技場での試合は)世界平和に向かうきっかけになれたのか」「世界平和とはどんな状態か…解像度高く理解し、事業、行動に落とし込んでいかなければ…」
そういえば竹田は、僕が入社する前に面談した時、「究極的に目指したいのは世界平和。サッカークラブや他の事業を通じて、世界平和を実現できないか考えている」という趣旨のことを言っていました。何を言っているんだろうこの人はという気持ちがありつつ、確かにそうだよなあ、否定できないなあ、とも思いました。

来シーズンに向け諸々の仕込みをしなければならない時期ですが、少し時間が取れたので、NHKの「100分de名著」:「オルテガ・大衆の反逆」の回を見たり、図書館に行って本を借りたりしてインプットしたことを、この場で整理してみたいと思います。※あくまでの個人の感想です。(素人のまとめなので勘違い、誤読、説明不足等々あるかと思いますがお許しください。指摘してもらえるとありがたいです) 

世界平和ってなんぞや

goo辞書によると「平和」とは【戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま】です。
多くの人がお気づきの通り平和とは何かを厳密に定義することは無理です。また、どうして平和じゃなくて「世界平和」なのかというのは、弊社やサッカークラブの事業に国際性があるとか、日本だけ平和でよかったんだっけ、というような意味合いを込めていることが理由ですが、この点も考えが深くまとまっていないため、突っ込みません。

では平和ではない状態とは?それは先の定義を裏返せば、【戦争や紛争があり、世の中が不穏な状態にあること。また、そのさま】と表すことができるかもしれません。ただこれもあまりにアバウトなので、過去の例を勉強し、そうならないためにはどうしたらいいのか?という観点で今回は考えることにしました。具体的には、文化や諸制度が現代とはあまりに違う中世以前はスコープから外し、19世紀以降の世界の歴史を踏まえて、二度の大戦やそれに伴う悲劇を繰り返さないために、サッカークラブに何ができるかというものです。

結論とその理由

ソーシャルキャピタルの維持発展によって大衆による多数の専制を防ぐこと

サッカークラブが世界平和に向けて果たせる役割として、結論は以下ではないでしょうか。
地域の中間領域(≒ソーシャルキャピタル)の維持発展に貢献し草の根のコミュニケーション(≒民主主義の根幹)を担保し続けることで、人々の思考の内に、急進主義やポピュリズムに付け入る隙を与えない
うまく説明できるかわかりませんが、自分なりの考えを整理してみます。

民主主義の学校

19世紀フランスの思想家トクヴィルは、アメリカに民主主義が根付いている理由の一つとして、地域の強固な中間領域に人々が積極的に参加していることをあげました。教会や〇△協会といったコミュニティに人々が盛んに集まり、公共活動をし、合意形成することが民主主義の根本であるとしています。

こうした活動によって、人々の間に街に対する愛着や主体性が生まれる。そしてまた、自分と考えの違う他者を重んじ、同意を形成していくという日常的な鍛錬を通じた「心の習慣」が身についていく。それが健全な地方自治につながり、国全体の民主制をたたえている。だから、こうした共同体、分厚い中間領域こそデモクラシーの核にあるものなんだ、というのがトクヴィルの指摘

NHKテキスト 100分de名著 大衆の反逆 中島岳志

「アメリカ人は年齢、境遇、考え方の如何を問わず、誰もが絶えず団体をつくる」その活動の目的や規模、内容は様々であるが、これらの結社が孤立し無力な市民がなにかの事業をなすさいに不可欠の存在となっている。~中略~私生活の外部へ出ることでひとは他者との協力を学ぶことになる

トクヴィル 現代へのまなざし 富永茂樹 

結社の学問は母なる学問である。他のあらゆる学問の進歩はその進歩に依存している

アメリカにおけるデモクラシー アレクシス ド トクヴィル 

「地方政治は民主主義の学校である」という有名な言葉があります。ここで言う地方政治は地域コミュニティや会社組織と置き換えることができます。我々は日々会社や友人関係など様々な組織で、意見を戦わせながら、何とか一致できる場所を見出しています。(家庭など、必ずしも健全な民主主義ばかりではないシーンもありますが笑)こういった種々のコミュニティや結社における合意形成の試みが、まさに”民主主義の学校”であるとトクヴィルは捉えていたと言えるでしょう。ここで強調したいのは「民主主義」が単なる「多数決」では無い点です。”学校”で学ぶ民主主義が単なる多数決であったら、我々は日々多数派工作のやり方ばかり上手になっていると思います。

多数決は、これならば確かに正しいと決定してしまうことではなくて、それで一応問題のけりをつけて、先に進んでみるための方法なのである。~中略~その結果は、まもなく実地の上に現れてくる。~中略~少数意見に従っておいた方がよかったということが、事実によって明らかに示される場合もある。~中略~以前の多数意見は少数意見になり、少数意見は多数意見に成長して、改めて国会で議決することにより、法律を改正することができる

民主主義 文部省編

多数派であるからと言って、黒か白かを多数派だけの意思で強引に決めていいわけではありません。それでは未来に向けて禍根が残るからです。多数決は最終決定ではなく、一応の留保であり、議論の中でとりあげられた少数意見は多数決のあとも引き続き考慮され続ける必要があります。一度決めたことが未来永劫守り続けられるのではなく、漸進的に現実に沿ってルールを修正していくことが民主主義の要点と言えるでしょう。文部省は戦後教育の指針を示すべく編纂したこの本で、国民一人ひとりが民主主義に宿る多数決の原理(≒少数意見の尊重)の精神を体現し続けることが、健全な民主主義の発展に不可欠だと説いています。

国民が、今までのように政治的に無自覚であれば、それはおぼつかない。~中略~自分たちの責任と努力を持って多数決の原理を正しく運用して行くならば、やがて焦土の上にも明朗な世の中が築き上げられるであろう。そこへ至る道は、国民のひとりひとりが毎日踏みしめて行く正しい一歩一歩によって開かれるのだ。

民主主義 文部省編

民主主義の学校たる様々なコミュニティにおいて人々が互いの違いを乗り越えようと議論するプロセスが、市民一人一人に"自分と考えの違う他者を重んじ、同意を形成していくという日常的な鍛錬を通じた「心の習慣」"を身につけるのだと思います。

しかし、歴史を振り返ると、世界は必ずしもそのような理想を体現してきませんでした。大衆が多数の専制に加担し悲劇を招いた事例は数多ありますが、トクヴィルは自身の時代の延長線上に「20世紀初頭の大衆社会」を予見していました。

大衆社会の到来

トクヴィルはこのような予見をしています。

中間領域に参加せず、扇動的で画一的なマスメディアの情報だけを受容するような人たちは、多数者の欲望をうまくすくい取って代弁する政治家が出てきたときに、その甘い言葉に飛びついてしまう。~中略~ そして多数者による専制の時代には、人々の自由が抑圧される、~中略~ そうした政治は突出した個性を嫌い、人々の平準化、平均化しようとする

NHKテキスト 100分de名著 大衆の反逆 中島岳志

多数の人々が中間領域に参加せずに情報を得、判断するようになっていくと、健全な議論には欠かせない幅広い検討や根拠の確認、自説に対する疑いなどがおろそかになっていくのではないでしょうか。その結果自分が理解できる範囲の他者しか認めることができない大衆が、耳障りの良い甘い言葉に飛びついてしまうという現象が現れると、ここでトクヴィルは言っています。トクヴィルが著書「アメリカのデモクラシー」でこのような主張をした約100年後、オルテガは「大衆の反逆」を書き、トクヴィルの予見した大衆の姿を当時のリアルとして危機感を持って取り上げています。

大衆とは平均人である ~中略~社会の無宿者であり、他人から自分を区別するのではなく、共通の方をみずから繰り返す人間である。~中略~大衆とは、みずからを、特別な理由によってーよいとも悪いともー評価しようとせず、自分が《みんなと同じ》だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持になる、そのような人々全部である

大衆の反逆 ホセ オルテガ イ ガセット 

大衆の反逆が書かれたのは、1930年ですが、19世紀~20世紀のヨーロッパの社会状況を簡単にまとめておきます。

工業化の進展に伴い、農村部から都市部へ人口が流入。同時に進行した公衆衛生の劇的な向上によって、人々の平均寿命が改善。地縁の無い「大衆」が都市部に溢れ、社会不安に対し急進的な耳障りの良い言葉で煽るポピュリズム政党が台頭。
1921年にはヒトラーがナチスの党首に就任。1922年にはイタリアでムッソリーニのファシスト党が政権獲得。オルテガの故郷スペインでは左右の対立が激化し1936年に内戦が勃発。

箇条書きでまとめると以下のように記述できるでしょうか。
・個人を地域に縛り付けていた封建制が崩壊(宗教改革、市民革命)
・都市に仕事が増え(農村の職が減り)都市へ人口が流入(産業革命)
・公衆衛生の発達で死亡率が下がり、人口が増大
・普通選挙制がヨーロッパ各地で相次いで成立
中間領域において民主主義の学校を十分に学んでいない大衆が選挙に参加することにより、ポピュリズム政党が台頭

ナチスの政権獲得が、民主主義に則った合法的なものであったように、トクヴィルが予言した都市部の大衆がポピュリズム政党をおしあげ、多数の専制に加担するという事象がヨーロッパ各国で続出しました。オルテガの言う「根無し草」たる大衆は、過去の先人たちが積み上げてきた経験値に対し敬意を払わず、直接的な欲望に従って、多数の力で政治を推し進めます。そのような現象を「超民主主義」とオルテガは呼び、”今日、われわれは超民主主義の勝利を目撃しているところだ”と皮肉っています。ここで強調したいのは、この時代、根無し草たる大衆が極論に流されないよう歯止めをかける「中間領域」や「少数意見の尊重」がうまく機能しなかったことです。前者については社会変革の中で、コミュニティの再編成が追い付かなかったのかもしれませんし、後者は民主主義というシステムに人々がまだ慣れておらず多数の専制が何をもたらすか大衆が理解していなかったからかもしれません。

そして戦前ドイツの大衆政治は民族ナショナリズムの高まりと掛け合わされ、ホロコーストというその悲劇的な結末をもたらします。

全体主義に対抗する複数性という概念 

ユダヤ人に対する差別は大衆によって増幅され、20世紀初頭に激しさがましていきます。その職業的役割から、中世には国家への資金提供などの役割を果たしていたユダヤ人ですが、国民国家の登場等の社会変革を踏まえ、19世紀を通して一般大衆への同化を志向していました。一方、一部の差別主義者とそれに同調する社会からの落伍者(モブ)が「ユダヤ人は自民族の敵」とレッテル貼りをするという図式がありました。

西ヨーロッパ諸国のユダヤ人の間では、言語的・文化的・宗教的に周囲の多数派に同化する傾向が広まり、「民族」としての実体的特徴の多くは薄れつつあったが、にもかかわらず周囲の多数派から「あいつはユダヤ人だ」と名指しされることが「ユダヤ性」の主要要素となった

民族とネイション ナショナリズムという難問 塩川伸明

パナマ運河疑獄事件やドレフュス事件をはじめとするユダヤ人が絡む事件を背景に、いわゆる「ユダヤ民族黒幕説」などの陰謀論が大衆の間に蔓延します。大きな社会変革を経て、民主主義もまだ社会に実装されたばかりの時代。これまでの常識や社会通念が通用しない中で、人々は不安や苛立ちの矛先に共通の敵を欲したのかもしれません。

戦況が進むにつれ、具体化されたナチスの絶滅政策とそれに関与した個人の"陳腐さ"(複数性を失った官僚)についても、我々がその組織の歯車にいたらどう振舞っただろうという観点でとても興味深いですが、ここでは詳しく触れません。

現代のようにwebで誰もがファクトチェックをすることができない時代、差別や排外主義を増幅するような政党によるプロパガンダやメディアを前に、一人ひとりの個人はあまりにも無力です。そのような状況で、全体主義に対抗するためには「複数性」という概念が重要だとハンナアーレントは言います。複数性とは、一人ひとり違う個人が、一人ひとりが違ったまま人間として対等に存在しているということを示しています。

人々を相互に関係させる「共通」課題はこうして検討者に自身とは異なる他者への気づきを促す。~中略~公的領域は単に問題を討論し決定を下す場ではなく、様々な個性を持つ同等者からなる「複数性」が開示される場でもあった

ハンナアーレント 屹立する思考の全貌 森分大輔

ここで述べられているのはトクヴィルが指摘する中間領域の役割に近いことだと思いますが、アーレントは全体主義、ポピュリズムに市民が対決するためには、一人ひとりの個人の理性だけではなく、市民の複数性に着目することが必要だとしています。我々の所属する社会は、平均的な、均一な人間がひしめき合っているのでもなく、誰とも違う個人が一人で立ち尽くしているのでもない。それぞれに違う個人がその個性を維持したまま、肩を並べあっており、その状態が尊い。「複数性」を僕はこのように理解しています。

つまり、耳障りの良い排斥主義が聞こえてきたとき、はたして自分は良くても、隣人はどう思うだろう。自分だけでない、複数の市民の視点に立った時、それは正しい選択だろうかと問うことが重要なのではないか。そして複数の繋がりの中で、議論し検討することで、健全な批判思考を持ち続けられるのではないか。

ナチス政権下で流行したハイデガー的な思考は、己の内の良心の声に従うことで、個人は完成された人格に向かうことができるというものでした。しかし誰もが根無し草で、社会との繋がりが無く、一人ひとりが自分の頭だけでメディアその他のスピーカーから流れてくる情報をもとに考える社会で、大衆はナチズムを積極的に支持します。ハイデガー的な思考から見ると、当時の大衆は、ナチズムの主義主張に沿って教化され、それに基づいて決意するという悲劇なのでした。
個人の理性に絶対の信頼を置くのではなく、未完成で補完しあう存在としてハンナアーレントは人間を捉えていたのかなと思います。

現代のソーシャルキャピタル

ここまで記述してきた、大衆社会が、先の大戦の原因の一つであるポピュリズム政党を生み出した理由を簡単にまとめます。
中間領域における「民主主義の学校教育(≒自分と考えの違う他者を重んじ、同意を形成していくという日常的な鍛錬)」が不十分な状態で不安定な社会情勢の中に多数の大衆が政治参加した
(加えて大衆に「少数意見の尊重」や「複数性」という概念が欠如していた)

では現在の中間領域を取り巻く状況はどんなものでしょうか。よく言われるように、SNSの発達や余暇の多様化によって、昭和に比べると個人で過ごす時間が増えたのではないかと思います。日本における町内会の組織率は・・・といったデータを示せればいいのですが、リサーチが間に合わず。ただ皆さん実感の通り、昔に比べコミュニティでの議論等は希薄化しているのではないでしょうか。テレワークが増え会議がみっちり入り、お互いの人となりを知る雑談も少なくなり、週末はネットフリックス三昧…というと画一的に書きすぎですが、家庭と仕事以外のコミュニティを持っている人は少数派なのではないかと思います。

ロバートDパットナムは「孤独なボウリング」という著で、かつてトクヴィルが指摘したような中間領域が現在のアメリカ社会でいかに衰退しているか明らかにしました。かつてどの地域でも活発なリーグ戦が行われていたボウリング。地域社会の高齢化やマスメディアの発達、娯楽の多様化の結果、現在地域のボウリング場では中年男性がぽつんと一人でボウリングをしている。この光景に象徴される現代アメリカの地域コミュニティの衰退が、対話の成り立たないアメリカ社会の分断を促進しているのではないか、というような主張です。

ここで重要なのは、では過去に戻って強固な地域のつながりを取り戻そう!ということではありません。パットナムは「ボンディング」と「ブリッジング」という概念を提示しています。昔ながらの絆関係であるボンディングは多様性を認めきれない排除の概念がちらつきます。一方ブリッジングはまさに橋渡し。人々がボウリングだけではない多種多様な共同体に所属し、都度都度自分らしく参加するコミュニティを選ぶことができるような社会。それがこれからの時代のソーシャルキャピタルに求められているものだというのが論旨です。

クリアソン新宿の現場で

ここまでものすごく前置きが長くなりましたが笑、このエントリで示したいのは、過去の戦争を繰り返さないために、サッカークラブに何ができるか、ということでした。前述のように、ソーシャルキャピタルに参加することで市民は民主主義の基本である他者を尊重することの重要性を絶えず確認していく、のであればその維持発展がサッカークラブが果たせる役割なのではないかと思います。

クラブの活動には実に様々な方々が協力してくれています。試合運営では、ボランティアやキッチンカー、警備など関わる様々な方々を巻き込み、時には意見をもらいながら一つの会場を作りあげる。地域活動では、お祭りやイベントにお邪魔し、共に汗を流す中で信頼関係を構築する。時には困りごとの相談をいただき、一緒になって解決する。チラシを置かせてもらったり、子供たちにサッカー教室を開いたり、講演したり…サッカークラブを応援する、支える、一緒にビジネスをする。多様な関わり方を通して、クラブに関わる人々に少しでも「社会とつながっている感」や「貢献している実感」を味わってもらうこと。そしてその中で、多様な意見を踏まえ現実的に課題解決していく、プラグマティックな手ごたえを得ること。これが僕は民主主義の根幹を維持していく上で、中々見えてこないけれど、とても重要な要素なのではないかと思います。

そして「ブリッジング」の観点に立って、関わってくださっている人々を我々以外の様々なコミュニティにも繋いでいくことにもトライし続けていくべきだと思います。例えば地域のゴミ拾いコミュニティとか、それこそお祭りとか、飲食店でのイベントとか。企業、地域、行政、その他様々な団体・集まりに応援いただいているサッカークラブの中立性、公平性を活かして、人々の橋渡しをしていくことが大切な役割なのではないかと思います。もちろん僕らの果たせる役割は微々たるもので、僕らが居なかったらからと言って一足飛びに急に先の大戦のような状況に陥るような単純な話ではありません。ただ僕ら自身が活動するにあたり、民主主義の一端を担っているんだというような自負、情熱は、持ってしかるべきなんじゃないかと思います。

あとがき

世界情勢が厳しい中、一人ひとりができることには限りがあります。夜、ニュースの向こうの事実を知って、今日自分がやったことに一体どんな意味があるのだろうと。。。そんな時、過去の歴史を振り返って、自分の仕事に意味を見出すことが少しでもできないかと思い調べてみたことをまとめました。本を読んでもアウトプットして整理することはいつもやっていないので、いい訓練になったかなと思います。

一方、世界平和のために、ソーシャルキャピタルとしての自負をもって頑張ろう!というのは、かなり地道な話というか、何か言っているようで、特に何も言っていない気もしており、それ以外にも我々の役割の捉え方はあるのではないかと思っています。

今回はヨーロッパの話を中心に書きましたが、戦前の日本を題材にした時に、もちろん今回同様、大衆に関する議論も成り立つと思いますが、軍部に焦点をあてて考えられないかというのは興味があります。かつて作家の保坂正康がNHKの番組で「戦争の時代から日本人が一番学ばないといけないのは”プラグマテック”であることの重要性だ」という趣旨のことを言っていました。キャリア事業をはじめとして、リーダーシップ教育に携わる会社として、戦前のリーダーたちが国をよくしたいと思っていた一方、どこでどう間違えたのか、何が足りなかったのか、設計主義への批判みたいな観点で考えてみる回もできたらなと。

きれいごとで理想論ですが、誰もが豊かに生きるために、自分に今できることをやる。その解像度を上げるためには歴史を振り返って、現在の自分たちに意味付けすることが、とても大切なのではないかなと思いました。

長文かつ論旨がわからない部分もあったかと思いますが、(詰め込みすぎてごちゃごちゃな気がします)読んでいただきありがとうございました。

参考文献・番組

文献
・NHKテキスト 100分de名著 オルテガ 大衆の反逆 中島岳志
・民族とネイション 塩川伸明
・孤独なボウリング ロバートDパットナム
・トクヴィル 現代へのまなざし 富永茂樹
・ハンナアーレント 森分大輔
・悪と全体主義 仲正昌樹
・民主主義 文部省編

番組
・100分de名著 オルテガ 大衆の反逆 
・100分de名著 ハンナアーレント 全体主義の起源 
・100分de名著 ハイデガー 存在と時間 


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