哲学は役に立つのか?
哲学が役に立つ学問かどうか?
という問いをしている記事があったので、私も考えてみました。
まずは、
そもそも役に立つって何に対して問うているのかな?
という「そもそも論」にぶち当たりました。
つまり、何らかの【目的】を達成するための【手段】である場合に発せられる問いになるのかな、と。
ということは、哲学する【目的】を定めないと役に立つのかどうか? が分からないということになります。
哲学が、大学受験や簿記や行政書士、宅建といった資格試験合格のために必要な学問と言えるか? となると、
その視点であれば、哲学は役に立たないでしょう。
となりますよね。
哲学が志向しているのはそこではないですから。
では、哲学が志向しているものとは何でしょうか?
哲学とは、
人や世界、事物の在り方を問いかけ続け真理を探究する学問
とされています。
人を知るために、哲学から派生したのが人文科学や社会科学です。
世界や事物を知るために、哲学から派生したのが自然科学です。
大哲学者であるアリストテレスが【万学の祖】と讃えられたのは、哲学が網羅する領域の広さを物語っていると言えるでしょうか。
私は、哲学とは問い続ける学問であり、思考し続ける学問であると考えています。
人間とは考える葦である
としたのは、フランスのパスカルですが・・・
人間は他の動植物と比較してかなり弱い生物といえます。
集団で社会を形成しなければ生存が危ぶまれる存在だからです。
もちろん無人島で自給自足で生きていけるタフネスな人物も存在しますが・・・
ま、大多数は集団を形成しないと生き延びれないでしょう。
そんなか弱い人間を、これまた植物の中では貧弱な部類に入る葦に喩えたわけです。
自然界の中で、人間はあまりにも非力でちっぽけな存在です。
にもかかわらず、地球上の多くの場所に生活圏を広げ他の動物たちを圧倒して繫栄している。
他の動物たちとの最大の違いは、「考えること」が桁外れに発達していることです。
だから、パスカルは人間は考える葦である、としたわけですね。
いかがでしょう?
哲学とは、人間が人間であるために必要なものだとしているのです。
人間が人間であること、尊厳を保つこと。
そういう目的のためであれば、
哲学は大いに役に立つ。
と言えそうです。
他の表現を使うなら、
人がより良く生きるためには哲学が必要。
という感じでしょうか?
もちろん、よりよい人生を~と考えない人もいることでしょう。
ですから、結論は、
哲学が役に立つのかどうかは、その人次第
となるわけですね。
こんな感じで説明として成り立っているかなあ???
しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。