見出し画像

不寛容の観察

 昨日の出来事ですが、自分の中に、かすかながら「怒り」の感情が湧き起ったことについて心の中を観察してみました。

弊社が購入している設備機械のメーカーからのクレームです。

・ 御社が購入したZ軸アンプの交換はマダですか?
・ 交換後の状況次第で返品・検収を決定するので、早く連絡が欲しいんですけど。

クレームの内容

というものでした。

基本的に、私は「交換後の返品・検収」に関する説明を発注段階では聞いていないんですよね。
他の設備機械メーカーから交換部品を取り寄せた場合、納品段階で検収を上げてきます。
だから、納品があって1週間後ぐらいにこの検収のメカニズムを聞いて驚いたものです。
ある意味、「親切」なのは「親切」なのでしょう。

ただ、交換部品を購入する前段階で修理箇所に関する調査出張を依頼して断られているんですよね。

だから、メーカー側は本当に直るかどうか良く分からないから、「返品」を前提とした交換部品の発送をしているというお話なんですね。

ただまあ・・・それはそれで面倒なのです。
ですから、私としては、

「そういうことなら、別に検収を上げてもらって結構ですよ。」

とこちらも親切心で言ったわけです。
いずれは交換しないといけない部品らしいので、この際、取り替えてもいいかなという考えからです。

すると、先方からは、

「いえ。社内ルールですから。」

ということで、取り付く島も無く断られた次第です。
そこで揉めてもらちが明かないので、

「当面の間、特急案件で設備機械を止めてのメンテナンスは出来ません。
 恐らく11月末ぐらいまで無理です。」

として、交換作業は11月末から12月初旬になる旨を伝えておきました。

そして、昨日、電話がかかってきたわけです。

・ 御社が購入したZ軸アンプの交換はマダですか?
・ 交換後の状況次第で返品・検収を決定するので、早く交換して欲しいんですけど。

クレームの内容

オイオイ。
交換作業はまだ無理って、この前説明したよね?
11月末の週に入ったばっかりやで? まだ12月初旬にもなってないんやけど? という風に苛立ちを覚えました。

ちなみに、この会社さん。
過去、機械の初期不良で私から何十回と問合せをしたのに、無視を繰り返し、一年後にようやくサービスマンを派遣してきた過去があります。

そういった過去の経緯が頭の中をよぎり

こちら側に対しては、1年も無視して待たせた割に、自分たちは1ヶ月も待てないの???

という苛立ちを覚えました。
ここで・・・
おっといかん。
怒りをぶちまけずに冷静になろうと思い直しました。
怒りがわくと同時に自分自身も不寛容になっていると感じたからです。

心の中を紐解くに・・・

自分が「我慢を強いられている状態」で、他人が「我慢しないのを見る」と ”苛立ちを覚える” という構造になっているな、と。

つまり、私の中に勃然と怒りが湧いたのは、

私は過去、1年も無視&放置されたことを我慢したのに、貴社はたった1ヶ月しか待ってませんよね?
それも、私はそちらみたいに無視し続けたりせずに事情説明をしてこれぐらいの時期に交換作業をすると伝えているのに・・・
その期日が終わる前にクレームをつけてくるんですか? 
我慢が足りないんじゃないですか?

心の動き

という心の動きがあったからだと思います。

そして、改めて思ったのです。

最近の日本人が不寛容になっているのは常に何らかの我慢を強いられている状況にあるからなのだろうと。

自分はここまで我慢しているのに・・・
あの人は特権を使えてズルいよな。

というメカニズムです。
それに気づくと・・・ああ。なるほど。
だから、同調圧力につながるわけか・・・と理解しました。

自分と同じぐらいは他の人も我慢すべきだ!

という強い感情が、マスク警察自粛警察を生む根源にあったんですね。
不倫報道とか、暴走運転とか、世間が凄まじく不寛容になったのは、
「自分は我慢してルールを守っているのに! 」という気持ちが強いからなんでしょうね。

いわゆる正義感の発露というものなのかもしれません。
あるいは、「ねたみ(他人を羨ましく感じる)」「ひがみ(自己嫌悪・劣等感)」も内包されているのかもしれません。

ちなみに、私の事例だと・・・
一応、顧客側の立場であるにも関わらず、零細企業と大企業ということで、”零細企業は、たとえ客サイドでも虐げられて当然” という扱いを受けることへの僻みがあるんだろうな、と推察しました。

もちろん、不寛容の原因は妬み僻みだけではないと思います。
先程も述べたように、純粋な正義感の発露でも不寛容さは発揮されるのではないか? と、思います。

例えば、今回の事例だと
「交換作業は11月末から12月初旬と事前通告してあること」ですよね。
「前もって合意しているのに、それを踏みにじるのですか? 」となります。
これは、こちらサイドの正義を発露している状態です。

ただ・・・
自身の怒りの根源が正義感の発露にある人の場合、かなり内省しづらくなるのではないか? と思います。
だって、怒りを正当化できますから。
私が怒りを思いとどまることが出来たのは、自分自身の中に
”所詮は零細町工場だと思ってバカにしてるんだろ?”
という妬み僻みがあると自覚していたからかもしれません。
一年にも及ぶ初期不良無視の経験が、それを強く意識させていたのでしょうね。

だから、僻みから不寛容が生じているのではないか?
というスタンスで心の中を観察することが、出来たのかもしれません。

さて。私が自身の不寛容な感情を観察していく中で、「1年間の無視」という屈辱的扱いを我慢したことがキーであるメカニズムを再認識できました。
当人としては、辛抱しているつもりでいたのに我慢していたんだ、と気づかされた次第です。

「1年に及ぶ無視」に対し、【辛抱】=「辛さを耐え忍ぶ」という心構えではなく、【我慢】=「本当は腹が立つけれども許容しといてやる」という心の持ち方をしていたんだな、と。

改めて、自分の心の在り方が、まだまだ駄目である、と思い知らされました。

件のメーカーの社員にとってみれば、「単に社内ルールに従っているだけ」のことです。
むしろ、こちら側に対して、「早く交換しろよ。」という怒りを持っていることでしょう。

現状は、お互いがお互いの事情を内に秘めて我慢しあっている状態という事ですね。
ここで過去(説明が無いとか過去の無視実績)を持ち出しても仕方がない(議論には勝つだろうけれども、双方に感情のしこりが残るだけ)ですね。

「なんとか、時間の工面をして(多分、業務時間外になるなあ・・・)、社員の代わりに私が交換作業をするしかないですね。」
と回答をすることで、当面の衝突を避けることが出来ました。

怒りがわいた時、自分が何に怒っているのか? を内省する。
ほんの数秒間だけでも効果があるんだな、と実感しました。
もちろん、頭の中では上述のような文字の羅列は生じておらず、ワーっと大量に色々なものが脳内に浮かんだだけなんですけどね。

さて、取替工事の約束はしたものの・・・
片付けておかないといけない案件があるんだよなあ・・・
ということで、メーカーの担当者さん、交換作業はもう少々お待ちください。
(件のメーカーの人は読んでないでしょうけれどもw)

#創作大賞2024 #エッセイ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。