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邪馬台国の謎 (21)

 今回は中国地方の仮説である邪馬台国出雲説を取り上げていきます。

邪馬台国出雲説

 古代日本において、出雲の地は外すことのできない重要な土地です。
現在でも、出雲(島根県)では、10月を神在月かみありづきと呼び、他の地域が神無月かんなづきと呼んでいるぐらいです。

旧暦の十月が神在月・神無月と呼ばれる理由。

旧暦の10月に全国の神様(八百万やおよろずの神)が、出雲に集まるとされていることから言われ出した呼び方になります。
そのため、集合場所の出雲では、神様がいらっしゃるので、神在月。
他の地域では、神様が不在となるので、神無月となるのです。

さて、出雲大社に集合した神様は、何の目的で集まってきたのでしょうか?

10月11日から17日までの7日間、神様は出雲に滞在されます。
そして、神議りかみはかりという会議が開かれるのです。
国が五穀豊穣となり、繁栄していくには? とか、戦乱のない安寧な世の中になるには? といった、神様サミットが開かれているわけです。
その会議室は、稲佐の浜近くにある上宮かみのみやです。
また、国の安寧に関することだけでなく、

縁結び の 取り決めもされています。

神様が氏子たちの縁を取り持ってあげているんですね。
親同士の代理婚活みたいな状況ですね。(笑)

私の場合、もう結婚しているので、

お仕事の良縁をお願いします。 神様~~~~


さて。蛇足はこのぐらいにして、
この出雲の地は、数多くの神話に彩られた地となります。

国引き
スサノオのヤマタノオロチ退治
オオクニヌシの国づくり
国譲り

等々です。

また、天皇家に匹敵するぐらい長い歴史を持つ家柄の千家家せんげけがあります。
皇族から千家家へ嫁いだ高円宮典子様たかまどのみやのりこさまのニュースでも取り上げられていましたね。
そんな由緒正しい土地柄なだけに、この地域の歴史は古く、1世紀には大規模集落が出来ていますので、邪馬台国の時代に相応の国があったとしても不思議ではありません。
実際、妻木晩田遺跡むきばんだいせきでは、吉野ケ里遺跡に匹敵するぐらい巨大な楼閣の跡地も見つかっています。

https://bit.ly/3x93nM1
妻木晩田遺跡 妻木山地区 遠景 Saigen Jiro

また、荒神谷遺跡では三百本以上の大量の銅剣(他の地域で見つかった銅剣を合計したよりも多い)が見つかっています。

ただ、いずれの遺跡も1世紀後半から3世紀前半までにピークを迎え衰退しているんですね。
この考古学的特徴を踏まえると、卑弥呼が活躍した3世紀中葉や壱与が活躍した3世紀後半との整合性が取れなくなってしまうんですね。

また、当時の稲作技術で収穫可能な耕作地もそれほど多くは無かったようです。

こうしたこと(土地の特徴や遺跡の年代)から、出雲には、確実に巨大文化圏があったと考えられますが、邪馬台国とは時期的にミスマッチするということもあり、邪馬台国出雲説が成立するには、色々と超えていけないといけない課題がありそうだと思われます。

もちろん、まったく可能性がないわけではなく、新たな考古学的発見がないと邪馬台国説で有利になるのが難しいという事です。


しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。