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すい臓がん・ステージ4 〜 運命に抗って

この日ほど、神を恨んだ日はなかった …
突然、母に訪れた余命宣告

すい臓がん・ステージ4
 
選択肢は2つ
抗がん剤を使って延命するか
このまま座して死を待つか

神よ、何故あなたは
こんな酷い仕打ちをなされるのか …
この母が一体、何をしたというのだ
 
親父を亡くしてからずっと
独りぼっちで
懸命に生きてきたというのに

老いた母に
「十死零生」を突きつけるとは
あまりにも酷すぎる

試練を与えるなら
私のような
愚か者に与えて下さい …💧

真夜中に
親父の仏前に怒鳴り込む

おやじ!
そっちが寂しいのは分かるけど
おふくろを呼ぶとは何事だ!

お願いだから
まだ連れて行かないでくれ💧

黙ってないで
そっちから何とかしてくれよ…

そして朝方になって
親父からメッセージが舞い降りた

「彼女はオレが死んでから
 ずっと孤独に苦しんできた…
 だが、もう時間切れだ
 余命を与えられたことを
 せめてもの救いと受け止めて
 今からでも遅くないから
 彼女が生きている間に
 やり残した業を昇華させなさい」

いや、ちょっと待ってくれ
もう一度チャンスを下さい…
 
そう言って、何度も何度も
親父に問いかけたが

親父の仏前からは
恐ろしいほどの静けさしか
伝わってこなかった …

やり残した業

心当たりはあった
思えば
私は本当に親不孝な息子だった …

実家を出てから30余年
何度も何度も転勤を繰り返す中で
近くに居てあげることは
叶わなかった

親父が亡くなってからは
出来るだけ
帰省するようにはしていたが
 
遺された物件の管理に没頭したり
実家の片付けに気を取られたり

一緒に居るときは
話を聞いてあげるなり

傍に居ないときは
電話をするなり

もっともっと
できることは
あったはずだ …

何か月か前から
食が細っていることに
気づいていたはずなのに

何故、そのときに
精密検査なりに
連れて行かなかったのか

結局、自分がやってきたことは
単なる自己満足でしかなかったのだ
いつしか
親孝行をしているつもりになっていた …

周囲の声も
「寿命なんだから」とか
「残された時間を安らかに」とか
「本人の意向を尊重して」とか

妙に聞き分けが良過ぎて
違和感を覚える

ちょっと待ってくれ

そもそも母にとり
「残された余命を楽しむ」
という考え方は
どうにも受け容れ難く

一見、母に寄り添っている風で
まるで何も分かっていない

それに

故郷から遠く離れた場所で
人知れず戦ってきた人間にとり
母親というのは
ある種、特別な存在なのだ

我々の世界を知らない者に
我々の心の内は分かるまい …

そこで私は腹を決めた

親父のメッセージがどうあれ
周囲からどうみられ
どう囁かれようと

運命に抗おうと

「十死零生」であることは
端から百も承知の上

たとえ100人中100人が
「諦めろ」と
言ったとしても
 
延命ではなく
存命の道を模索し続ける
 
そして
 
あなたには生きていて欲しい
諦めるな、諦めるなと
何度も何度も励まし続け
一緒になって運命に抗い
納得いかないと必死に食い下がる

こんなバカな人間が
一人くらい側に居てあげないと
おふくろは絶望してしまう

そういうことが
「本当に人に寄り添う」
ということ
なんじゃないのか

鍵を無くしてみたり
カードを無くしてみたり
テレビに向かって文句ばかりで
何度も同じ話を聞かされたり
急に扱いが雑になったり
遠くの温泉に連れていけとか
一緒に居たら色々面倒くさいけど

信心深く
猫好きで
おしゃべり好きで
バスの運転手に
お菓子を握らせてみたりと
ピュアといえばピュアだった母

私にとり常に
望郷のふるさとは
熊本ではなく
そんな「母自身」であったのだ

帰る場所があることの尊さ
世話が焼ける人が居ることの幸せ

そのことが
改めて骨身に染みる …

この母が逝ってしまったら
私はこの世界で
親孝行という徳を積む機会を
永遠に失ってしまうのだろう

私の旅立ちを
いつも見送ってくれた母
遠くなっていく
ポツンと小さく寂し気な姿が
いつも心に残っている …

儚くて尊い幸せが今
逝こうとしている …
 
悔しくて
情けなくて
ハンドルを握る
帰りの車窓は
涙色に染まる…💧

この場をお借りして
藁にもすがる思いで
お願いがあります

すい臓がん・ステージ4

もし、読者の中で
この苦境を克服する方策を
見聞きしたことがある方が
おられましたら

どんな些細なことでも良いので
情報をご提供ください
 
コメントも
お気遣いなく
いつもどおりで構いませんので

いつも本当に
ありがとうございます🍀