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本を8回読む「エンドレスエイト勉強法」

とんでもない秀才である知り合いが「おなじ本を8回読む」という勉強法をやっていると聞いた。

それが面白そうだったので、自分もさっそく試した。

1回読むごとにメモを取り、8回目を終えての感想も添える。

つかう本

ショーペンハウハーの「読書について」から、比喩についての部分のみピックアップした。

いきなり本1冊まるごと読むのは大変すぎる。

概要

文章の内容をざっくり言うと、

・比喩とは、未知のものを理解する手助けになる限り役に立つ

・そもそも理解する事とは、自分と対象の関係性を把握することだ

・概念の形成は、すべてメタファーをふくんでいる

・自分のよく知っているものと未知なる対象との同質性を発見したなら、そのジャンルについて完全な理解を得られる

だいたいこんな感じだ。

メモの経過

ぜんぶ書いたら冗長なので、変化を実感できる部分のみ書く。

1回目~3回目:鵜呑みにする段階

1回目は半分も理解できなかった。3回目から、この世の未知なる部分に対する謎への回答を教わったような気持ちになった。

4回目~6回目:自分の意見とすり合わせる段階

本を開かなくても大体の内容を思い出せるようになっていた。それと同時に、文章に対する自分の意見も芽生えた。

たとえば、「手助けになる限り⇒手助けにならないなら無駄?」「関係性・同質性⇒原語では何と書いてある?この翻訳で合ってるの?」というふうに。

7回目:無知の知に直面する段階

1回目に期待していたような神秘的なヒントが特に書かれていなかったと気づく。

そもそも哲学書というものにたいして、カンフーの達人から奥義を教わるようなことを期待しすぎたのかもしれない。これも比喩だけど...

8回目を終えて命名

シャワーを浴びているとき、この勉強法に「エンドレスエイト法」という名前をつけようと閃いた。元になった秀才の人が京都大学の卒業生だからだ。

人の話を聞くようなもの

最後に読んでから、一週間が経った。

今はこの文章について半信半疑になった。それは、ちょうど人の話を聞いたときと同じような感覚だ。

たとえば年上の人の話を聞くときに「いいこと言うなあ」と思いつつも、「そんな極端なもんでもないでしょ」と思うことがある。それと似ている。

本だって、突き詰めていくと単なるメディアなのだよ、という学びを得た気がする。