翻訳はサービス業であって自分をアピールするものではない
「なんか、増田さんがこのフレーズで自分のセンスをアピールしようとしてるのは伝わってくるんですけど...」
雑誌の翻訳コンテストに応募するため、あるミステリー小説の冒頭部分を翻訳した。英語から日本語だ。
その訳文を提出する前に、Yくんという友人に見てもらった。Yくんは大学院で心理学を専攻している。彼は英語も読めるけど、あえて原文を見せなかった。原文を知らない人が私の文章をパッと見たときにどういう気持ちになるのかを知りたかったからだ。
そこで、あるフレーズについて最初に書いたことを言われた。「なんか、増田さんがこのフレーズで自分のセンスをアピールしようとしてるのは伝わってくるんですけど...」
Yくんは優しいので遠回しにそのフレーズを指摘したが、ようするに彼が言ったのは「自分の非凡さをアピールしたくて、異常な意訳をしている」ということだった。
私は衝撃を受けた。自分がそこまでイキっているということに気付いてすらなかったからだ。イキっているというのは関西の言い回しで、必要以上にいきがるというような意味である。
コンテストという場において、自分はほかの人とちがう、こんな個性的なことをやっちゃいますとアピールをすることで1歩リードしようとしていたのだ。ほかの人よりセンスがあると思ってもらいたかった。それがどれだけナンセンスなことか知らずに。
もちろん、英文を意訳すること自体がいきがる行為で鼻に付くというわけではない。むしろ意訳したほうがわかりやすい場合もたくさんある。『Bonnie and Clyde』という映画タイトルを『俺たちに明日はない』と意訳することには意味がある。
「翻訳の役割は、英語を読めない人への橋渡しではないですか?」Yくんはこうも言った。
私は、自分がどれだけナルシストになっていたのか痛感した。色んな言葉を知っているとか、言い回しが奇麗とか、おしゃれな外来語を操れるとか、そんなことはどうでもいいのだ。
翻訳コンテスト用の文章だけでなく、自分がこれまでに書いてきた文章すべてを反省した。『俺たちに明日はない』でいうなら、元のタイトルだとどんな話なのかわからないという人に向けて意訳されている。翻訳はサービス業なのだ。
もっと言うなら、文章を相手に届けること自体にサービス精神が不可欠だ。
私はこれからもたくさんの文章を書くと思う。このnoteもそうだし、履歴書、メール、LINE、手紙...そこでも、自分をアピールする文章ではなく、相手のためになる文章を書けるようになりたい。