孕むことと、産むこと。

あたしね、あんたの制作する物のかなりのファンなのよ。と言われたことがきっと私の文章、音楽の核体験である。

幼き頃、母はほとんど何にも口も手も出さない人だった。思い返したら否定も肯定もされず。だった。
おかげで私は人の顔色を伺う事を覚え、自分を自分として律する事を覚えぬまま、今の今まで生き進んできてしまっていた。
文を書いても、どう思われたかな。
音楽を書いて作っても、どうしよう、悪く言われそうかも。心は大豪雨。目は泳ぎまくっていた。

数曲作って、何十もの言葉を重ねて、そんな自分から湧き出た者たちが増えていっても、心の底は何処か他人からの評価を求めていて、想いに反するものを産んでしまい、その度に心が痩せていくような気がしてた。求められているものと自分の想いとが
共鳴出来なくて、満足出来るものを孕んでも中絶の繰り返しで、もう想いを孕むことすら不安になって来ていた。

そんな時期に出会った人の、最初の言葉。
あたしね、あんたの制作するモノのかなりのファンなのよ。音楽を途切れさせないで。言葉を沸かせ続けて。と。

何年もの角質がその一言でボロボロと壊れていって、もう涙さえも姿は現しちゃくれなかった。
どうしようもなくその言葉を抱き締めていたくて、
体をきゅっと丸めて、ありがとう、貴方の事が大切になると思う。としか零す事が出来なかった。

ありがとう、おかげで私は言葉と音楽とを産み続けておりますよ。大家族の母として。
あなたの事が今も大切です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?