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求めるものと求められるもの

先日会話をしているときに興味深い話題になりました。
簡単に言うと「自分が美しいと思う状態」とは違うことを要求されることもあり、自分がそれに合わせることに疑問を感じたり、そもそもオーダーをいただく内容が純粋な「その人の書く文字」ではなく「こんなスタイルにしてほしい」という、送られてきた参考写真からはその人が想像できない文字でのオーダーが来るということでした。

これに対してのわたし自身の考えとしては、まずひとつ目の要因として「あなたに依頼したい、あなたに書いてほしいんです!」という状態になっていないこと。「カリグラフィー、モダンカリグラフィーで書いてほしい」、そこに「あなたに」はつかない。なので例えばそこから価格競争になることもあれば、納期に厳しい条件があって、それを満たせるかどうかで判断してあっさり見送られることもある。

もうひとつ別の要因としては、是非「あなたに」書いてほしいのだけどカリグラフィーやモダンカリグラフィーのことはあまりよくわからないし、誰が書いても全部同じに見える...もしくは「あなたに書いてほしいんだけど、カリグラフィーのことはよくわからない...でもあなただったら書けるでしょ!」という安心感からくる依頼かなと。

自分が書くこととどう向き合いたくて、どんな道をこれから歩んでいきたいのか...それを考えながら自身で答えを出すのがいいと思うのだけど、見方を変えるとカリグラフィーに触れる機会や目にする機会が以前より増えたことから興味を抱いてくださる方の数がそもそも増えているのでは?とも考えられる。
それってとっても嬉しいこと♡
実は2013年...始めた頃のわたしもそうで、こんな風に書いてほしいと海外アーティストの画像が添付されているということが多かった。
今はない...と考えると、先に進む過程として通る道なのかもしれないなぁとも思います。

そんな依頼が来た時のわたしはと言うと、仕事はどんな時も断らないことを基本方針としてやっていて、それに加えて「自分が心底書きたい作品(相手に何かを譲ることなく)」「求められたものに合わせて書いた作品(かつ、それによってモノが売れる作品)」のどちらにも振れるアーティストでいることが常々の目標だと思っている。
両者とも誰が見てもわたしが書いたと一瞬でわかるものであれば嬉しいけれど、後者に関しては何か別のものを踏襲しての表現だから、わたしが書いた事実より、求められたものを最大限表現できているか...ということが重要になると思っています。

もうひとつ、「自分が美しいと思う状態」「求められている状態」ではない場合があるということについて。

これはWEDDINGでの書く仕事について話していた内容です。
ポインテッドペンで書くカリグラフィーでは消え入るような細くて繊細なヘアラインがとても美しい...それを目指して練習している人も少なくないと思う。
そこに「美」があるわけだけど、それは場面が変わると必ずしも必要な「美」ではなくなる場合があるということ。

例えば、WEDDINGやパーティーの席札。
席札は誰がどこに座るのかをスタッフも列席者も分かりやすく把握するために用いるアイテム。
そこに本来の「美」「こだわり」を追求したものが並んだとき、ある程度離れた場所からスタッフや列席者がその文字をすべて視認・可読できるか...というとわからない。
多くの人が行き交いながら、時間と戦いながら準備をするWEDDINGの現場において、見えにくい・読みにくいは書いたもの自体が素敵でもマイナスな面も出てきてしまう。

「もっと細い線を太く書いてください」と言ったり言われたりしている場面を何度も見たことがあり、ここは求めるものと求められるものの興味深い差だなぁと今回改めてnoteに書いてみました。

でもこれも知っていてそうしている人と、できなくてそうなっているのとではすごい差だと思うわけで...上で述べたような「自分が心底書きたい作品」「求められたものに合わせて書いた作品」に通ずるところがあるのではないかなと思います。

あくまでわたしの考えなので、押し付けるわけでもなくサラッと聞き流してくれればいいですが♩着眼点が場合によって違うということを知っておくのは大切なことだと思いました。
わたしも仕事をしていて常々思うけれど学びのないものなどないのだから、好きなことならば精いっぱいチャレンジしたいなぁと。

この先のカリグラフィージャーニーも楽しみ!

※最後に...
わたしはこれだけWEDDINGに色の文字や様々な字のスタイルや素材が取り入れられるようになって選択肢に困っちゃう!という状態になっているだけでも、自分がプランナーをしていた時と比べると進化したなぁと...感慨深くなります♡

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