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やりたいことがわからない!!
一歩前に踏み出せない!!
頭ではわかっていてもできない!!
どうしたらいいかわからない!!



これ数年前の私です。



みなさまこんにちは。
「一目惚れされる世界観創り」起業家プロデューサーの松本あゆこです。
年齢や環境に左右されず、好きな仕事で、好きな人たちと仕事をしながら
充実した毎日を送りたい!!人生をもっと輝かせたい!!
そんな思いで独立をしました。


今では開催する講座や、動画レッスンは、1ヶ月で100名以上の方にお申し込みをいただけるようになり、生徒さんの結果にもつなげていくことができています。


けれど、最初から順風満帆だったワケじゃなく、
ここまで来るには、辛く苦しい時代が長く続いていました。


仕事を辞めて独立したものの、大きな成果もあげられず
30歳を超えてもナニモノにもなれていなくて、
昔の友達に会いたくなかった時期もあったり
ずっと不安で、迷っていて、どうしたらいいかわからず悩んでいた時間もありました。

結果に繋がらなかった時は
自分がやっていることに自信が持てなくて
周りの意見に振り回されたり
時には逃げ出しそうになったこともあります。

そんな私が、どうやって今にたどり着いたのか。

かつての私のように、悩んでいたり、苦しんでいる人がいたら、
私の物語で一歩踏み出せるヒントになれたら。

という思いで、私も自分の殻を打ち破り
自分の物語を綴っていこうと思います。

少し長い物語になりますが、三部作でお届けしていきます。
お付き合いいただけたら嬉しいです♪

Episode1は、今の私の原点にもなっている、
20歳の頃に選んだ仕事のお話です。


私の原点

好きなことを仕事にしたい!!

そう思っていた私が選んだ仕事は、雑貨の仕事だった。
当時は、空前の雑貨ブームで、
雑誌では毎号のように雑貨特集が組まれたり、
有名店や人気店が次々にオープンし、
「雑貨屋さん」は当時、女子が好きなものの代名詞でもあった時代。

好きなものに囲まれて仕事ができたら、きっと楽しいだろうな〜。
せっかくなら好きな会社で働きたい!!
そんな気持ちで、デザインステーショナリーメーカーに入社した。

当時、「文房具」というと、大学ノートに代表されるような機能的だけど、ちょっと地味なものが主流で、大人がオシャレにカッコ良く使える
ステーショナリーがまだ少なかった。

私がお世話になった会社は、文房具から「ステーショナリー」という文化に変えた先駆けのような会社だった。

感性を磨いていただいたのも、世界観の創り方を教えていただいたのも
この会社だった。20年経った今でも私の原点になっている。


アナログからデジタル時代へ

当時は、営業として、全国のお店を担当させていただき、見るものすべてが新鮮だった。
オーナーさんと話せることも、ディスプレイをするのも、毎日が楽しくて、本当にこの会社で仕事ができることが幸せだと感じていた。

その頃は、まだアナログの時代。営業ツールとして、ノートPCやiPadなんてなくて、営業に行く時は、全商品とたくさんのカタログをカバンに詰めて、大きなリュックと、大きなスーツケースを持っていた。

登山ですか?? 行商ですか??と言われるぐらいの荷物を持ち、
初めて伺うお店では、これ持ってきたんですか!?
と、必ずびっくりされていた。
これが私の定番スタイルだった。

アナログからデジタルに移行しようとしている時代で
社内のシステムが大きく変わろうとしていた。

当時、3年ほどお付き合いしていた彼がいて、
連休だったその週末は、大島に旅行に行く約束をしていた。

このところ週末もずっと仕事だったから、久しぶりに旅行〜!!
と、楽しみにしていたのだけれど、突如その希望は奪われた。
金曜日の朝の緊急会議。

「出荷が遅れているから、全社員この連休は出荷作業!!」

というお達しが。

ガーーン!!!
旅行無理だ〜ToT

そして、その夜、事情を彼に説明して言われた一言は・・・・

俺と仕事どっちが大事なの??

ドラマかと思うセリフ。

仕事放り出せるワケないじゃん・・・。

結局、ブチギレされてしまい。
その後お別れすることに。

仕事に生きよう。と決めた夜でもあった。


モノづくりがしたい!!

ある時、営業先で「別注」についての相談があった。

別注とは、メーカーの商品をそのお店用にオリジナルにカスタマイズすることで、知識がなかった私は、依頼されている商品が何個からオリジナルで作れるのか。作るための期間はどれぐらいかかるのか。金額はどれぐらいかかるのか。
全くわからなかった。

というよりも、「別注」という言葉をそのとき初めて聞き、何を言われているかさえもわからなかった。

そこからモノづくりに興味を持ちはじめ、モノづくりしたい!!という気持ちが高まっていった。

メーカーでいうモノづくりは、ハンドメイドではなく「商品企画」。
私自身は、「超」がつくほど不器用で、中学の時、家庭科の授業で、
ミシンで自分の指を縫う。という信じられない事件を起こした。
なので、自分で何かをつくる。ということに関しては、いまだに全くダメ。
ハンドメイドができる人は、心から尊敬してしまう。


モノづくりに興味を持った私は、あろうことか社長に直談判!!
入社して3年目。モノづくりの知識も経験もないのに、移動したい!!と、
自分の思いだけで訴え、もちろんあっけなく却下された。

転職を決意

当時まだ20代半ばだった私は、モノづくりが諦められず、この会社で無理ならば・・・。と考えた末、転職を決意。
転職した会社は、SP(セールスプロモーション)と呼ばれる業界で、販売促進の企画をしている会社だった。

女性だけの小さな会社だったけれど、美人でやり手の社長の元、誰もが知る有名アーティストの担当を任され、ファンクラブの商品や、ライブの商品などを作っていた。

モノづくりはすごく楽しくて、お金の流れや物の流れが分かり、自分が企画した商品が誰かの手に届くことを想像するだけで、嬉しくなった。


予定外の移住

当時東京で働いていた私は、まさか自分が東京から離れる日がくるとは微塵も思っていなかった。

それが、うっかり恋に落ちた相手が大阪の人で、あっという間に結婚し大阪に移住することになった。

あれから大阪に移り住み、15年以上が経つけれど、関西弁は難しくて、
今だにネイティブに話せないのが悲しい。


大阪での転機

大阪に移住後も、専業主婦になるつもりは毛頭なく、すぐに仕事を探した。
いろんな会社を探す中、雑貨メーカー時代、ご縁のあったデザイン会社に連絡をしたら、面接をしてくれた。

そのデザイン会社は、作るものすべてセンスが良くて、当時から憧れていた会社でもあった。そんな会社の社長から、

「一緒に雑貨のブランドを作りましょう!!」

と言っていただき、再び雑貨の世界に戻ることになった。

てっきりデザイン会社に入れるものだと思っていたのだけど、
連れていかれたのは、Tシャツの会社だった。
「ここで働いてください。」そう言われ、その会社の社員として
雑貨ブランドを作ることになった。


ブランドづくり編  Episode2に続く


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