バンブーエルフの森に行ってきた話

☆独自解釈注意☆
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https://kakuyomu.jp/works/1177354055209456145/episodes/16816452220957792695

 令和の世に、竹槍で武装した人を見ることがあるとは思わなかった。
 いや、正確には人ではない。アジア人とも欧州人とも異なる肌の白さ。ホモ・サピエンスらしからぬ横に長く突き出た耳。瞳は北極の空にかかる天幕《オーロラ》を思わせる翡翠色。そして金糸のごとき麗しき髪。
 間違いない。彼女はエルフだ。
 ここは、神秘によって文明の火から隔絶された憩いの森。竹の生い茂る、人ならざるモノたちの住処。あり得べからざる幽世《かくりよ》。
「ああ――」
 乾いた喉から声が漏れる。目頭が熱い。
 いけない、これでは困惑させてしまう。
 あふれる涙を拭い、私は姿勢を正した。大丈夫、この日この瞬間のために言葉は抜かりなく勉強したんだ。
 頭を下げて、私は自己紹介をする。
「はじめまして。私は外界から来たものです。■■■■のご機嫌よろしければ、是非に、あなた方〈竹の民〉と行動をともにさせていただきたく存じます」(注:バンブーエルフの神の名を外界人に教えるのは禁じられている)
 彼女は無表情な瞳に少しだけ好奇の色をにじませて肯いた。
「構わない。外界人には施しを与えるのが族長の望みだ。して、貴様の名は?」
「感謝を。私の名は――」

 こうして私はバンブーエルフの少女と一日だけ行動を共にすることとなった。
 これは、その記録である。

 バンブーエルフと呼ばれる生物種が発見されたのはほんの一年前のことだった。その竹林は突如として東京の山奥に出現した。ほどなくして、民間人によるドローンで撮影された映像がネット上にアップされることとなった。
 そこに写っていたのは、笹と竹を食べる色白の民族であった。老若男女問わず美形、その北欧の妖精のごとき容姿と神秘的な存在感から人は彼らを『エルフ』と呼んだ。
 それも、ほんの一週間程度のこと。東京の竹林を皮切りに世界各地に次々と異常な領域が出現しだし、その中にもエルフたちが暮らしていることが判明したのだ。生活スタイル、生活領域の様子をもとに人々はエルフたちを区別するようになり、ここ、東京に出現した竹林で暮らすエルフはバンブーエルフと呼ばれるようになった。

 私が参加したのは、そのバンブーエルフの調査とコミュニケートを目的とした第五次【大竹林】調査である。民俗学の知見をもってしてことに望んでほしい、というのがこのたびの光栄極まる選出の理由であった。

 これまでの調査で、バンブーエルフの言語については基本的な文法から頻出語彙までおおよそのことが明らかになっている。文法は概してシンプルな孤立語とされ、一部に屈折語のような語形変化を残している。また、詳しく調べてみると中期漢語から輸入したと思しき語彙があることが明らかになった。バンブーエルフは、どうやらたびたび人類と交流を持っていたらしい。
 この森で頻繁に遭遇するパンダも、おそらく、元を辿ればそういった交流の形跡なのだろう。

「外界人も随分と変わったものだ」
 私に竹筒を差し出して、バンブーエルフの少女が言った。
「私が幼かった頃は、今の我々と然程変わらぬ出で立ちであった」
 竹筒から水を飲む私の姿を、彼女はじろじろと見る。水はよく冷えていて飲んだ瞬間、全身の疲れがどこかへと飛び去るようだった。
「その水には竹気が浸透している。心地良いだろう」
 バンブーエルフは竹に神秘の力が宿ると考えている。この領域において竹は全ての恵みの源であり、最も尊き神の化身なのだ。
「ええ。素晴らしい水です。どこでこの水は得られるのですか?」
「それは民の知らぬことだ」(この言葉はバンブーエルフたちの間で頻用される慣用句である。「教えられない」「知らない」といった意味がある)
「それは失礼を。ところで、今日はなにをなさるのですか?」
「歩哨を行う。近頃、黒虫が飛び回っているのでな」
 それを聞いて私は胸が痛ましくなった。黒虫とはおそらく、我々の世界の人々が放ったドローンのことだろう。この竹林領域は国によって厳重に警備されている。それでも、一部の人間が無許可でドローンを飛ばすという事案が絶えないのだ。
「その竹槍で打ち落とすのですか?」
「ああ。この竹槍は十分に竹気をたくわえたものだ。狙い誤たず黒虫を破壊するだろう。そうが、破片の処分はそちらに任せても良いか?」
「お安い御用です。しかし、なぜ?」
「あのようなものを森に放置しておくと竹気の影響で化生と変じる可能性がある。そうなればこの槍でも仕留めるに苦労するだろう」
 どうやら、ドローンが彼らの生活に与える影響は想像以上に深刻らしい。
「黒虫どもは我々こそが責任をもって処分せねばなりません。族長さまにお伝えください、黒虫を破壊したらその処分は外界人に委ねさせるようにと」
「そうしよう」

 それからしばらくは、会話のない時間が続いた。私が見慣れない植物を見付けては「これはなんですか?」と尋ねて彼女が答える——そんなやり取りが散発的に発生するのみの時間が。
 私は珍しい植物や動物を見かけるとデジタルカメラで写真を撮影した。それが気になったのだろう。彼女は私がカメラを使うたびに無関心を装いつつも、そわそわとした様子を見せた。
「これはカメラと言って、瞬間的に絵を描いて光景を写し取る機械です」
 私は説明した。バンブーエルフにこちらの文明の情報を伝えることは、ある程度は許容されている。
「瞬間的に絵を描く?」
「ええ。絵師が時間をかけて行うことを、この機械は一瞬でなしてしまうのです」
「そのようなものがあるとは耳にしたことがあるが……信じがたいな。私の父は水墨画の達人だ。父は長い時間を水墨画の研鑽に費してきた。その父と同等のことを一瞬で行うと?」
 彼らの言う「長い時間」は人間が天寿をまっとうするのに十分以上の時間を意味する。私は言葉を慎重に選んだ。
「いえ。お父上の水墨画には及びますまい。この機械はただ、この機械の目に写るものをそのまま写し取るだけの機械なのです」
「……貴様、その表現はなんのつもりだ?」
「はい?」
「…………いや、いい」
 顔を見ると、彼女は少しばかり顔を赤らめていた。
 これはあとになって気付いたことなのだが、バンブーエルフの習俗では一般に、他人の家族のことを「母」や「父」といった姻戚関係の名称で呼ぶことはないのだ。普通、「あなたを生みしもの」や「あなたを育みしもの」という言い方をする。
 他人の親を「父」とか「母」とか呼んでいいのは多くの場合、これから家族になるもの——つまり婚約者だけだ。
 私は、迂闊にもこちらの世界ではセクハラと取られかねないような言い回しをしてしまったのである。
「そうですね、これなら分かりやすいのではないのでしょうか」
 失言に気付かぬ私は鞄の中から、インスタントカメラを取り出した。
「それは? タケウサギのような風体だ」
「これもカメラです」
 私は、適当な森の一角をインスタントカメラで撮影する。するとほどなくしてカメラからフィルムが排出される。
「黒い」
「しばらくすると、カメラが写し取ったものが…………ほら」
「おお」
 バンブーエルフの少女は感嘆の声を漏らした。それから安堵の声で言う。
「これであれば、父の仕事の邪魔にはならんな」
「そうだ。あなたを撮影しても構いませんか?」
「ん。私か。この機械が私をどう写し取るのか、興味がある」
「では。手をこうしてください」
 私はピースサインを作って言った。彼らの間でこのサインに特別な意味がないことは、事前に調査済みである。
「こうか?」
「ええ。そう。ではいきますよ」
 いーち、にー、さん。とカウントしてシャッターを切る。間も無く、フィルムが出てくる。それを見た彼女はなんとも形容しがたい顔になった。
「少し不満だ。この絵は私が預っても良いか? あと、もう一度撮り直してくれ。今度は笹を食べてるところだ」
「え、ええ。構いませんが」
 私は彼女に促されるままにシャッターを切った。ここにその写真を掲載する。

(指なし)(笠なし)バンブーエルフアニバーサリー

 そんな楽しい交流が終わりを告げたのは、我々がインスタントカメラで一頻り遊んだ直後のことだった。
「黒虫だ。それも化生となっている」
 少女の視線の先にいたのは、構成パーツの節々が竹のように節くれ立った、異形の虫だった。竹気は恵みにして厄災でもある。竹気のもたらすものが、必ずしも良いものとは限らない。
 竹気を受けたドローンは、人間に操作されているとは思えぬ、自然に生息する虫のような動きを見せた。それが無機物感を際立たせて私の恐怖心を煽る。
 足がすくんだ。アレはたしかにヒトの作り出したモノのはずなのに、命を得て動いている。それは、私が遭遇した出来事のなかで最も悍しきものの一つであろう。
 だが、少女は迷わなかった。
 叫びと共に駆け出し、その柔くしなる竹槍を黒虫めがけて放つ。神秘の力が作用しているのだろう。その竹槍は光を帯びて黒虫の翅を抉らんとする。
 翅が爆散する。しかし、一枚だけだ。黒虫はなおも飛び続け、赤のLEDライトを点滅させる。
 バンブーエルフは槍の柄の端を地面に叩きつけた。その勢いを利用して飛翔する。
「■■■■——」
 彼女が神の名を唱えると、周囲の竹が不自然にしなり足場を形作った。全身に光が満ちる。竹槍の先端部が黒虫の核を捉える。
 その一瞬を経て、少女は弾丸のごとく放たれた。輝き纏う少女と槍はきっと、この世のなによりも神々しい。
 私は竹槍が黒虫を完全粉砕するのを見た。
 少女は黒虫が塵と消えた後で向かいの竹を利用して跳躍すると、空中で身を翻して見事な着地を決めた。五輪出場の体操選手もかくやというほどの身のこなしであった。

 そこから先、特筆するべきエピソードはなかった。夕刻が近付くと、彼女は私に村に招待しようと提案してくれたが、バンブーエルフの村に入ることは今のところ、我々に許されていない。私は提案を断ってそのまま別れを告げた。
 習俗や植生についての詳細な情報は別の章にて語っている。
 私の体験記は以上である。

(了)

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