なにも日記に書くことがなさそうなのでユージュアル・サスペクツを視聴した

ユージュアル・サスペクツといえば名作である。なにが評価されたのかは忘れてしまったが名作だということは覚えていた。というわけでユージュアル・サスペクツを視聴することにした。

他の候補には「MEG ザ・モンスター」や「シャークネード ラストタイフーン」があった。念のために言っておくが、私はサメ映画が好きなわけではない。ただシャークネードはシリーズ制覇したい。

※この記事には「ユージュアル・サスペクツ」のネタバレが含まれる可能性があります! 未見の方はブラウザバックを推奨します。

※人によっては不快感を抱く視聴態度であったことをここに明記します。

さて、そんなこんなでいざ視聴を始めてみるわけだが、集中が切れるのにそれほど時間はかからなかった。映画館という映画以外の娯楽から遮断された空間とは、こういう作品のためにあるのだろうと思いを馳せながらロンドンでニコラ・テスラをぶん殴り、TLに現れ出たツイートにいいね&RTし、たまに画面に目をやる。

私が視聴したのは字幕版である。ゆえにちょっとしたリスニングのテスト気分で聞き流したりもしていた。内容? もちろんあまり理解できていない。どういう流れでこの場面に至ったのか。まったく分からないこともよくあった。

それでも面白い映画というものは視聴者を画面に集中させる力を持っているのだろうか、中盤の少し前から、だんだんと展開が気になっていった。

カイザー・ソゼ

その名が出始めてから、にわかに意識が映画の方へと向く。True End研修の最中だった私は大崎甜花に仕事を二回ほど失敗させてしまった。カイザー・ソゼ。謎めいたその男の正体は誰かと、自然に私は考えるようになっていった。

妙だと思った。それでもやはり画面をちゃんと見ず、ながら見を続けたわけであるが、私はカイザー・ソゼ、彼の恐しい物語の語り部に奇妙なものを覚え、そしてグーグルにこの物語がなにで評価されていたのかを教えられる。――脚本だ。

話を真剣に追っていなかった私の脳裏に現れたのは、「信頼できない語り手」という概念だった。詳しい説明はwikipedia先生にでも譲るとして、それ以来、私は一人の男に疑念を向ける。

カイザー・ソゼ。異国で人質にとられた家族を自ら手にかけ、襲撃者の関係者を殺戮せしめた男。彼は存在するのか。存在したとして、そのような出来事は本当にあったのか? 噂には尾ひれがつくものである。しかしその尾ひれを得て笑う者はカイザー・ソゼその人なのではないか。

刑事は詐欺師に言った。「あいつこそがカイザー・ソゼだ!」と。本当に? 疑りながらに、私は劇伴の衝撃に流されかける。だってそうだろう。物語の山場、劇的な場面にはそういう劇伴が付きものなのだから。

しかし、この映画はそういう映画ではないはずだ。黒幕は、いよいよ閉幕するという最後の時になってやっと明らかになる――そういう映画だろう。なんとなく確信していた。メタ推理ここに極まれりではあったが、まあ仕方ない。真面目に視聴していなかった人間にできる推理なんてそんなものだ。

そしていよいよ黒幕が明らかになるという段になって、全ての前提が引っくり返った。それは私の予想通りで、予想の更に上を行くものだった。

感嘆した。あれほど見事な演出はそう見れるものではない。予想していた私でさえも度肝を抜かれた――そんな、美しい閉幕だった。

私の中にはカイザー・ソゼへの驚嘆だけが残った。

「ユージュアル・サスペクツ」――今度視聴するときはきっと、画面に食らいつきっぱなしで見ることができるだろう。

※追記(4月19日19:41)視聴メモなるものを用意していたことを記事を書き終えたあとに思い出したのでなにか書いてないかと見てみた。空白だった。

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