おにぎり太郎

この小説はカクヨムにも投稿しています。
(https://kakuyomu.jp/works/16816410413891357677)
小説自体は無料で読めますので、記事を購入する意義は薄いです。
有料部分のあとがきにも大したことは書いてありません。

プロローグ

 ある日、婆さんが川で洗濯をしていると、どんぶらこどんぶらこと笹の葉に乗った、大きな大きな握り飯が流れてきた。

「あなや! これはこれは、もしかすると鬼の奴の握り飯! これほどの量あらば、腹一杯に食えるじゃろて、さっそく爺さんと食おうぞ!」

 婆さんが喜んで家に持って帰ると、芝刈りを終えていた爺さんもまた「なや」と仰天した。しかし、「疾く食おう」と急かす婆さんをなだめて爺さんは言う。

「……もし、これが本当に鬼の食いもんならば、具は赤子やも知れぬ」
「なんじゃと!? 鬼めが赤子を食ろうとは聞いていたが、よもやこんな、握り飯の具にするなど……外道の行いぞ!?」
「開いてみれば分かることじゃろて…………おお、やはり」

 爺さんが握り飯を割いてみると、そこには生後間も無い赤子がいた。ぐったりとしたその姿を見て、婆さんがさっと口元に手をあててみる。

「く、飯に埋もれ死ぬとはなんと……この者も、息子夫婦と同じく鬼に殺されし者。せめてわしらで弔ってやろうぞ。爺さんや」
「うむ。そうじゃな婆さんや。……とはいえ、ここも危うい。川からこの握り飯が流れてきたということは、鬼があの山の方に居を構えとる云うことじゃ。鬼どもの飯になる義理はないでの、老骨に鞭打ってでも、ここを去ろうぞ」
「そうじゃな、爺さん。この子を背負うて、皆と一緒にこの村を捨てねばなるまいて」

 その日の晩、爺さんと婆さんは赤子を背負い、村の人々と共に村を離れた。反発する者もいたが、鬼の脅威を知る者は一人としていない。結果として、誰一人欠くことなく村を発った。

 しかし。

「オォォォォォォォォォォォ――――! 己《お》れの飯を返せェェェェェェェェェェェ――――!!!」

 鬼は来た。腹を空かせた鬼だったので言葉は通じない。なすすべもなく村人たちは殺され、食われ……誰もが死を覚悟した。そんなときだ。

「…………お、に」

 婆さんの背負っていた赤子が息を吹き返した。その赤子は生まれて間も無いはずであるというのに言葉を話し、そして俊敏な動きで爺さんの持つ芝刈り鎌を奪った。
 夜の闇の中である。
 事態を正確に把握できた者はただの一人としていなかった。
 赤子は目にも止まらぬ動きで鬼に突撃して行った。瞳に憎悪を燃やし、一言。

「――――おに、きるべし」

 果たして、鬼の首は刎ね飛ばされた。
 鬼の血を浴びる村人たちが呆然と腰を抜かす前。
 そこには血まみれの赤子がただ一人、その未熟であるはずの両足で立つばかり。

 かくして、鬼神のごとき力と鬼への憎しみを魂として宿すその赤子は、「おにぎり太郎」と名付けられた。

ある町にて・前

 それから、十と六年の年月が流れ――。

 ある日、さる守護大名の治める国に、流浪の旅人が現れた。
 「鬼斬」の二文字を背負った着物纏う、無精髭の男である。腰には立派な刀が一振り。
 そんな彼を見て、民衆は口々にその名を呼び、歓待の声を上げる。

「おおっ、木崎殿だ!」
「木崎殿! あの鬼斬りの木崎殿か!」
「きゃーっ、素敵ーっ!」
「鬼が裸足で逃げ出す木崎殿あらば、町も安泰だ! どーぞどーぞ、ゆっくりしてってくんなせぇ!」

 木崎が町を歩くと、にわかに町は湧き立つ。いつもそうだ。どこに行っても、彼はこうした扱いを受けるほどになっている。その名声は、あるいは幕府の将軍、この地を治める守護大名さえも凌ぐ。

 そんな木崎がやや疲れた表情で、民衆から逃げるようにして蕎麦屋に入っていく。すると、小柄な男に声をかけられた。頬に傷のある男だ。

「大層な評判だね、あんた」

 男の前に座り、木崎はため息ついて返事する。

「……俺ぁただ、鬼を殺してるだけなんだがね。人のことをかえりみたつもりなんざ一度もねえのにこうなっちまって、少し困っちまうや」
「そういうの、まあ少しは分からんでもねえな。助けようとして助けてるわけじゃねえっての」
「なんだ、もしかしてあんたもお仲間かい?」
「おうよ。俺も同じ、鬼斬りを志すモンさ」
「俺ぁ木崎。あんたは?」
「俺はビシャってんだ。毘沙門天から取ってビシャ。……まあ、勝手に名乗ってるだけなんだけどよ」
「おいおい。怖いモン知らずかよアンタ」
「へへっ。そいつはお互い様じゃねえのか?」
「……ちげえねえ。がははは!」

 笑い合う二人のもとに、給仕を行う娘がやってきた。

「仲が良さそうでいいですね、ビシャさん。木崎さまとは御友人でしたか?」

 二人の前に蕎麦を置いて、娘は微笑みかける。そんな娘にビシャはにっこりと笑って言った。

「ああ、たった今友達になったところさ、チセ」
「左様でしたか。……えっと、その、木崎さま」
「ん?」

 少し恥じらうふうに、チセは言葉を続ける。

「……あの、鬼斬りの旅などおやめになってこの国に定住してはいただけませんか。さすれば、この国の皆も安泰かと……なにせ、木崎さまは鬼をも恐れる鬼斬りにございますから」

 頬を赤らめるチセに、木崎はがさつな手つきで頭を撫でて応じた。

「ワリィな……そいつぁできねえ相談だ」
「……理由は、お尋ね……するまでも、ありません、ね」

 しゅんとするチセにビシャが声をかける。

「分かってやってくれチセ。俺らはそういう生き物なのさ」
「ええ、はい。あなたがたは鬼を斬るために生きている。この国のためでも、愛する者のためでもなく、ひたすらに、鬼を討たんがために……」
「まあ、そういうことだ。ワリィ」

 木崎は蕎麦をすすると、皮肉げな笑みを見せた。

 ◆

 その日の夜。人のいなくなった町中をチセは歩いていた。
 無論、年頃の娘が一人で歩いていい時間ではない。勝手に家を抜け出してきたのである。
 人に見つかれば家に戻るようどやされるのは目に見えているので、人目を気にしてこっそりと歩く。そうまでして夜の町を歩くのはなぜかと言えば――

「おい。なにしてんだチセ」
「ひゃっ!? って、なんだビシャさんでしたか……」
「なんだとはなんだ。おい」
「……いえ、実は偶然にも、町を歩く木崎さまのお姿が見えましたので、あとを尾けようかと。――と、と言っても決してやましいことなど考えていませんよ。泊まるところがなければご紹介しようと思っていただけです。だけですので」
「聞いてもねえことをペラペラと……ふうん、なるほどな。この先に木崎がいるってわけか」
「ええ。ですがこの先には森以外に何もないはず……木崎さまは一体どこへ向かうつもりなのでしょう……あ、止まりました。きょろきょろと……あたりを窺ってるようですね」
「人に見られちゃ困るようなこと……女か?」
「ビシャさん!」
「しっ。何か近付いてくるぜ」

 次の瞬間、ビシャとチセは絶句した。木崎の密会相手、それは人の倍以上の巨躯を持つ怪物だったのだ。宵闇の中であろうと、人と怪物を見間違えるはずなんてない。

「……まさか……あれは、」
「ぐ、偶然です。今に木崎さまが刀で一刀両断して、見せ……て」

 木崎は現れた怪物――鬼と和やかに会話をしはじめた。内容は聞きとれなかったが、

「がははははは!」

 笑い声はしっかりと聞きとれた。しかもそのままの調子で、木崎は上機嫌に、鬼と一緒になって嘲笑してこう言ったのだ。

「バカな奴らよ! 鬼斬りだなんだと俺を持ち上げよって! 人間が鬼に叶うわけなかろうになあ! ……まあもっとも? そのバカどものお陰で俺の将来は安泰も安泰なんだが! がァーっはっはっはっは!」

 ビシャとチセの二人は、自制心を試されることとなった。義憤にかられ、衝動的に飛び出したところで、木崎と鬼を逃してしまえば状況は悪化する。
 ゆえに今は隠れ潜んだまま、様子をうかがうしかないのだ。

 怒りに震えた声を密やかに、ビシャは言った。

「……そういえば木崎の奴、昼間、やけに奉行所や見回り衆のことを気にしてたよーに見えたな。町を何周もして、あちこち見て回ってたのは鬼に襲わせるためだったのか……」
「そんな、まさか木崎さまが、鬼と共謀し、狂言を演ずることで名声を得ていたなんて……」
「金目のモンを掠め取ってる可能性もある。火事場泥棒ってやつだな。……ともあれ、このままじゃあこの町は遠からず、鬼に襲われるに違いねえ。早ければ明日にでもな」
「それは…………ええ、それだけはなんとしても防がねばなりません。ビシャさん、あなたも鬼を斬って旅しているとのことですが……協力、していただけますか?」
「こいつは驚いた。切り替えの早え娘さんだな。てっきりキーキー喚くのかとばかり」
「小娘と言えど、私はこの町を、この国を愛しているのです。懸想する方が鬼の仲間とあらば、一刀に切り捨てることに迷うことなどありましょうか。……そちらこそ、何体の鬼が襲来るか分かりませんが、迷いはないのですか?」
「へっ」

 鼻を鳴らして、ビシャは腰の刀に触れて言う。

「あなどらねえでくれ。俺は、毘沙門天の加護を賜った男。鬼斬りのために生まれた『おにぎり太郎』さ。あんな紛い物、潰すのに文句なんかねえ」

 ◆

 善は急げと云う。
 木崎と鬼が話を終えてすぐ、チセとビシャの二人も行動を開始した。
 すなわち、追跡である。
 チセは木崎を、ビシャは鬼を、それぞれ追った。
 木崎に人間の仲間がいる場合、鬼と木崎さえ討てば良いという話ではなくなってくる。そして今、鬼と接触し、おそらくは行動の計画を話し合ったばかりの木崎がそのまま、仲間のもとへ向かう可能性は高い。
 その仲間の人相と居場所を調べるのがチセの役割だ。

 また、それは鬼の方にも言える。木崎が退けた鬼が毎回一体きりとは到底考えがたい。おそらく、鬼の方は複数やって来るはずだ。
 もし、鬼も木崎と同じく旅をして回っているのだとすれば、この町の近くの森や洞窟の中に潜んで機を待ってるはずである。
 木崎に協力する鬼の群れ居場所を調べるのが、ビシャの役割だ。

 数時間後、無事に戻った二人は情報を共有した。その結果、分かったことは三つ。

 一、木崎に人間の仲間はいないと思われる。誰に会うこともなく、一人で宿に戻っていったためだ。
 二、鬼は全部で五体。大きさはどれも平均的なものばかりだが、赤鬼が三体もいる。(赤鬼はとくに好戦的で力が強く、また人間をほかの鬼より頻繁に食す)
 三、鬼たちの会話から、決行は翌朝、夜明け頃、卯二つ時(午前5時30分頃)だと分かった。

「木崎は私が相手をします」

 情報共有後、チセはそう言った。

「おいおい、娘っ子にあの男の相手が務まるのか? 名声は偽りだったが、力までもが偽物だとは限らん」
「ですが、町の皆様に木崎さまが悪党だと印象づけるには私が……彼を慕っていた私こそが、相手に相応しい」
「そりゃ……そうかもしれんが……」
「ご安心を。今現在、蕎麦屋に預けられてこそいますが私とてただの女子おなごではありませぬ。腕に覚えもありますし、きっと、奉行所へ話を通すにしてもその方が色々と楽でしょう」
「だが……」
「そも、『木崎さまが鬼と一緒に良からぬことを企んでる』……なんて話を信じてくれる方がいると思いますか?」
「それは……うむ。絶望的だろうな」

 木崎の人望は相当なものだ。町の衆に話したところで、信じてはもらえまい。

「では、決まりですね」
「……鬼を討ったら、すぐに加勢する。無理はするな」

 時間もなければ、戦力の当てもない。ビシャは渋々頷いた。

「さて、問題は鬼がどこから来るのかってことだな。チセ、あんたはどう思う?」
「と、申されましても…………そうですね。まず、木崎さまは鬼を殺してはいないのですよね?」
「だろうな。『鬼が裸足で逃げ出す』なんて言われてんだ。あいつを見た鬼は恐れおののいて逃げ出す――そういう筋書きになってんだろ。で、赤鬼が仲間であることを踏まえて考えると……木崎の野郎は鬼に何人か食われたところで登場してると見える。赤鬼は人間を食うのが好きだからな。それは確実なはずだ」
「また、木崎の方は金目のものを掠め取っていく……。どこか遠くの町で売って金にでも換えているのでしょうね」
「つーことは、金目のモンがあって人もそこそこ住んでる場所……で、奉行所や町の見回り衆の詰所から離れてるとこが理想的だな。どうだ? 心当たりは」
「むう……そう考えると一つ、心当たりがあります。でも……」
「なんだ?」
「いや、実はその心当たりというのは、私の家……あの蕎麦屋の近辺でして」
「ああ。たしかにあのあたりは子供のいる家も多かったな。しかし見たところ、武家屋敷の多かったようにも見えるが……」
「はい。それが引っかかっているのです」

 思案するビシャの脳裏に、昼の出来事がよぎる。

「――ひょっとすると、木崎の野郎、この国の武士連中に恩義を売ろうとしてんのかもな」
「え?」
「昼間はああ言ってたが、まんざらでもねえのかもしれん。旅をやめて、どっかの国に居着くってのも。民衆の人気はすでに獲得した。その上に武士の支持まで得たとなれば、家臣として取り立てられることさえ夢じゃねえ……大方、そんなとこじゃねえの?」
「なるほど。でしたら、ますます許すわけにはいかなくなりましたね……!」
「応よ。あの野郎の天下も、今日までだ」

ある町にて・後

 ――卯二つ時。

「…………よう、待ってたぜ鬼ども」
「あ?」

 蕎麦屋近辺の町と森の境目にて。
 ビシャは五体の鬼と対峙していた。
 得物は刀が一振り。それだけである。

 鬼たちは顔を見合わせると、耐え切れないと言わんばかりに腹を抱えて笑い出した。

「ぷっ、ははははははははははははははははははははははははは!!!!!!! 阿呆だ! 阿呆がここにいるぞ!」
「男の肉は好かんが、笑わせた礼に食ってやっても良いぞ?」
「大方、木崎の噂聞いて自分でも殺れると思い上がっちまったんだろうさ。あんま、笑わないで……ぷっ、やろう、ぜ…………く、ぷぷぷ」
「おいおい。そういう笑い方のがカワイソーだぜぇ? ま、面白いのは否定しねーが」
「ハン。所詮人間だろが。さっさと殺しちまおうぜ。助けを呼ばれても面倒だ。取り分が失くなっちまう」

 そう言って、一体の赤鬼が前に出てきた。
 身長10尺(およそ3メートル)ほどもある鬼特有の巨躯で、小柄で4.8尺程度(およそ147センチメートル)しかないビシャを掴み取らんとする。

 だが。

「……ほう、お前からでいいんだな」

 赤鬼を睨むや否や、ビシャは跳んだ。衝撃によって風圧が走る。思わず、鬼たちも目をつむるほどの勢いだ。ビシャを殺そうとした赤鬼もたじろいで、手で風から顔を守る。本能的に、そういう行動をとってしまう。
 それが、決定的な隙となった。

「――ア?」

 赤鬼の背後から、一閃が走る。次の瞬間、痛みを感じる間もなく、赤鬼の首はするすると滑り落ちて、肉体から落下した。首から鮮血を噴かせ、身体が倒れる。
 同時、ビシャが着地した。
 血の雨を浴びながら、残る四体を睨む。
 それはさながら、邪鬼を踏む毘沙門天がごとき形相。

「う、や、やべェ……コイツは、逃ゲッぇ――」

 一体、斬る。

「畜生ッ、夢だ、こんなのユメェェェェ――ァ」

 さらに一体。

「こーなりゃせめてガキ食って……や、ルゥ? あ、なん、で、地べた……」

「あ、ありえねえッ……まさか渡辺のォっ、」

 最後に二体をまとめて、首を斬り落とす。
 あっと言う間に、周囲は鬼の血の池と化した。

「……鬼斬り、為し遂げたり」

 五体の鬼の骸を前にして、血塗れの鬼神は宣言した。

 ◆

 ――同刻。

 東の白んだ空見上げ、木崎は鬼の登場を今か今かと待っていた。

 ……鬼斬りの男がこの町に滞在していたことには驚いたが、よもや鬼の全てが奴に殺されることもあるまい。仮に自ら宣う通りの強者つわものであった時のために、赤鬼を三体も呼んだのだ。
 赤鬼は指示をちゃんと聞いてくれるか怪しいところがあるので、あまり声をかけたくはなかったのだが――致し方ない。

 木崎が嘆息していると、チセが駆け寄ってきた。

「――木崎さまっ! お、鬼が、鬼が出ました!」

 息を切らして、片手には抜き身の長巻(薙刀のような見た目の、柄の長い太刀)。蕎麦屋の娘らしからぬ姿に木崎はぎょっとするが、すぐさま取り繕って、鬼斬りとしての仮面を被り直す。

「なんと! では早速向かわなくては」
「ええ、お急ぎになってください! 人が、人が!」
「ああ、直ちに!」

 ――と、木崎は打ち合わせ通りの場所、蕎麦屋の方へと駆け出した。
 だが。

「木崎さま? どちらへ行かれるのです?」

 チセの呼び止める声に振り返る。

「どちらとは奇っ怪な。そんなのは無論、鬼の出た方へ――」
「私は、木崎さまが向かおうとしている方向とは、違う方から走ってきたはずですが……」
「――ハッ」
「普通、私の走ってきた方へと行こうとするはずでは。それが、それとは別の方向へ行かれる。しかも、私にどこに鬼が出たとも訊かず。まるで、鬼がどこに出るか、はじめからご存知だったかのよう」

 木崎は深く息を吐き、鬼斬りの義憤に駆られる顔を捨ててチセを睨めつけた。

「……嵌めよったな、小娘」
「認めていただけますか? 鬼との共謀を」
「がははははっ!!! 応よ。認めてやるさ。だが、小娘一人の言、誰が信じるのだろうなァ?」

 開き直った木崎が刀を抜く。木崎の名声は確かなものだ。チセ一人が何を言ったところで、真に受ける者はそう多くないだろう。
 ……だが、それでも口を塞ぐに越したことはない。
 どうせ町には鬼が来るのだ。チセは鬼にでも殺されたことにしておけば良い。それにチセは女だ。切り捨てた死体は鬼の機嫌をとるのに丁度良いだろう。

 下衆の企みをし、刀を抜く木崎の前で、チセは毅然とした態度を微塵も崩さぬままに長巻を振り回した。
 ひゅん、と風を斬り長巻の刃先が弧を描く。

「……たしかに、告げる者が私一人であれば、私を殺しさえすれば良いのでしょう……然し!」

 チセの言葉に合わせるようにして、あちこちから人が現れた。一人、二人……いや、それどころではない。最早、両手で指折り数えられる数はとうに超えている。

「な、なぜこんな朝早くから……まさか、」
「ええ。夜遅くに、一軒一軒回り、話を通させていただきました。鬼斬り木崎氏、鬼と密通の疑いあり――と」

 集まった民衆の一人が大きな声で言う。

「しぃっかりと聞かせてもらったぜ木崎ィ! 手前の、本性はナァ!」

 それに続くように、民衆が口々に木崎に罵声を浴びせる。昨日の歓待がウソのようだった。
 まさに四面楚歌。しかし木崎はにやりと口の端を釣り上げる。

「……へ、だがよう。鬼が来ちまえばおめえらみんな、殺されるんだぜ? それでもいいのかよ……? ええ?」

「――鬼が、なんだって?」

 民衆の向こうから、一人の男がやって来る。全身血塗れの、小柄な男だ。彼は片手で持っていたものをぶん、と木崎の方へ向けて投げた。

 ……赤鬼の首だった。

「はぁぁぁぁぁぁ!? な、なんっ、どういうことだよ、これェッ!? あ、あか、ああ赤鬼の、くくくく、び、首がなん、なんでっ……」

 木崎は腰を抜かして、地面に尻をつく。赤鬼の首と、それをぶん投げた血塗れの男を交互に見て、

「――ア、てめぇっ、まさかビシャか!? 昨日の蕎麦屋の……」
「おっと、あんたが覚えていてくれるたあ意外だね。どんなもんだい? これが本物の鬼斬ってやつよ」
「ば、化け物…………」
「そんな言い分はねえだろ。俺ぁ毘沙門天の加護賜りしおにぎり太郎。一度は鬼に殺され、そして鬼を斬るために再びの生を得た。……俺が最初に切った鬼は、こいつの倍はデカかったぜ」
「……く。な、ならばもう…………!」

 追い込まれた木崎が選んだのは、逃走の二文字だった。近くにいるチセを人質にとり、逃げようという算段だ。
 人外の膂力を持つビシャといえど、人質を取れば迂闊に動けまい。幸いにも向こうは油断しきっている。気付かれずにチセに近寄ることなど容易なはずだ。
 実際、近付くことはできた。
 だが、首筋に当てようとした刀は弾かれてしまった。キン、と音が鳴る。木崎は手が痺れて刀を落としそうになる。
 一方でチセは振り上げた長巻の切っ先を木崎に向け、それから流れるように振り払った。
 長巻という武器の特性ゆえ、振りは遅く、大きいものとなる。だがそれゆえに衝撃も甚大である。
 刃の向かう先には木崎の脚。チセはそこに僅かも勢いを緩めることなく刀身を叩きつける。
 果たして、木崎の脚は脛が骨ごと断ち斬られた。

「がっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!」

 木崎の悲鳴が町に響く。

「逃がしませんよ。この町を、この国を脅かした咎は、きっちりと贖ってもらいます」

 チセは冷たく言い放った。

 長巻で大の男の脚を斬るなど、まず尋常の娘にできる芸当ではない。
 だと言うのに町の者はみな、チセがしたことについて驚いた様子もない。

「……すげえな、あいつ」

 感嘆するのはビシャただ一人だ。そんなビシャに向けて隣にいた男が言う。

「あの兄妹は昔っから力が強くてなあ。あいつの兄貴はこの国の家臣に取り立てられたんだ。チセも、元服したら家臣になるってぇ話さ」
「へえ……そうだったのか」

 チセの立ち姿は真実、女子おなごのそれではない。武者のそれであった。

エピローグ

 その日の昼間。
 身を清め、騒ぎも一段落したところでビシャは町を去ることにした。
 誰にも言わず、密やかに去るつもりだったのだが、

「ビシャさん。もう、行かれるのですね」

 チセに呼び止められてしまう。

「……ああ。礼だのなんだの、面倒なのは苦手でね、とっとと退散させてもらおーと思ってよ」
「あなたのような方がいてくだされば、この国は安泰なのですが」
「それ、木崎の野郎にも言ってなかったか?」
「…………意地の悪い方ですね」
「育ちが良くねえもんでな。……正直、俺ぁ家臣とかになるつもりはねえんだ。家臣になっちまえば、鬼を好き勝手に殺して回る真似なんて、できなくなるかもしれねえ」
「……人に仇なす怪物を殺すことなのに?」
「そうだな、例えば俺がこの国の家臣になったとする。守護大名殿は『今まで通り、好きに殺して回るが良い』そう言うだろう。しかし、どこぞの国の大名とケンカになって、うちの大名殿が『どこどこの国には行くな』と俺に言ったらどうなると思う? 鬼斬りの俺に、そんな命令を出すってのがどういう意味を持つか」

 チセははっとした表情で、ビシャを見る。

「まさか、そんなことが……」
「どんだけ偉かろうと人間は心の中に鬼を飼ってる。気に食わないやつの国を間接的に苦しめるため、そいつのとこだけ鬼を殺させねえようにするくらい、平気でやりかねんだろ」
「……………………」

 否定することは、できなかった。
 近年は幕府の権威も衰えつつあり、代わりに大名間の争いが激化している。
 そんな情勢をチセは知識として知っており、そしてビシャはおそらく肌感覚として――それを知っているのだ。

「……では、ご武運を祈っております」

 チセは引き止める言葉の変わりに、竹の皮で包んだ握り飯をビシャに差し出した。

「ん? こいつぁ、握り飯か」
「ええ。それは『おにぎり』とも申します。鬼斬りの、ビシャさんへの験担ぎに、と」
「おう、ありがとな」

 にっこりと笑うと、ビシャはチセに背を向けて歩き出した。

「お前も、がんばれよーっ」

 激励の言葉を一つ返し、悠々と。背負うものなどなにもないという気軽さで歩き去ってゆく。
 その、風来坊の有り様にすこしの羨望を覚えながら――チセは見えなくなるまでずっと、その背を見送った。

(了)

あとがき

ここから先は

396字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?