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ASDの中にADHDの要素があると何が起きるのか?②

さて、ASDのなかにADHDの要素を持つと、どんな大変さがあるのかの続きです。

本題に入る前に、ASDという呼び方についてですが、最近「アスペルガー」って聞かなくなったな、と思いませんか?

2013のDSM-5以前は、ASDは自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー症候群などのいろいろな名称で呼ばれていました。
(DSM-5は、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersというアメリカ精神医学会で出版された診断・統計マニュアルです。)

2013年のDSM-5の発表以降、日本でも医学書院、滋賀医科大高橋教授、 認知行動療法センター大野裕先生などの有名な先生がたや、日本精神神経学会によって翻訳作業が行われました。
結果として自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder)として上記をまとめて表すようになっています。

発達障害についての診断基準は、アメリカで発行されているDSM-5とともに、WHOが発行しているICDが有名です。ICDは、ICD-11(2022年11月に発行)が最新の基準となっています。いずれも国際基準となっており、日本でも臨床の場で採用されています。
ICD11の資料がないので、ICD-10からいくつか抜粋して紹介します。

ICD-10によると、ASDは

① 発症が常に幼児期か児童期
② 中枢神経系の生物学的な成熟と強く関連した機能の発達における障害や遅れがある
③ 軽快や再発を伴わず一定した経過をとる、
④ 症状は年齢とともに変化する、
⑤ 適応の程度は、環境や療育などによって大きな幅が生じる、
⑥ それぞれの特性はスペクトラム(連続体)である。

 ASDとADHDは、神経発達症のなかでお互いに併存することが多いともいわれています。

わたしのように、ASDの診断を受けている人でも、ADHDの要素を持っている方はけっこう多いんではないかなと思っています。

上記の①、③~⑥について、過去のことを振り返りながら自分に当てはめて書いてみます。

① 発症が常に幼児期か児童期

思い返すと、幼稚園に入ってから(集団に入ってから)わたしのASD的な傾向はあったのかなと思います。
私は、ほかの子が面白いということをあまり面白いと思っていませんでした。みんなが庭で遊んでいるときは、砂場で黙々と作業をしたり、先生が終わりだよと言っても、ずっと絵を描き続けていたり。
タイムスリップできるわけではないので詳細をすべて覚えているわけではありませんが、一つ今でも覚えているエピソードがあります。

劇で、蛾がやりたい、と決意固くこだわったことです。

図鑑や美しいものを見るのが好きで、
劇で蝶をやるとなったときに、
私は先生に、「私は蛾がいいです!」といいました。

なぜ当時の私は、蛾がいいといったのでしょうか?
それは、図鑑で見た青い色の蛾がそれはそれは美しく、
自分の中ではそれが「一番きれいだ!」と強く思っていたからです。

みんながちょうちょをやるのに自分は指定した蛾。
(ちなみに、今は蛾は大の苦手です。)
しかし、発表会の前の晩に、
ひとしきり悩んだのちに、
「せんせい、やっぱりちょうちょでいいです。」
と言ったことも覚えています。

うっすらとした記憶なのですが、感情として、最後の最後で
蛾だというのが恥ずかしいとか、みんなと違うことに恥の感情のようなものがあった気がします。
妹がいたので、姉としてこうあるべき、
のようなものも物心ついた時から意識していた私。
「真面目」でありたかった…逸脱しているということが少し 
いけないことのように思ったのかもしれません。

当時から「〇〇であるべきだ」というべき思考がつよく、これだけは譲れない、というのは絵や発表会の役などでよく起きていました。

ほかには、

『みんなの夢は?お絵かきしよう』
という時間にも、

「夢というのは、現実に叶わなくてもいい、むしろ現実に存在しないものをいうのだ。将来なりたいもの、でなく、『夢』というテーマなのであれば、現実世界にありえないものを描くべきだ」とかたくなでした。

5歳にしては、自分のなかのこだわりが強かったと思います。
というわけで、完成した作品のテーマ、
みんなが、
「お花屋さん」「ケーキ屋さん」「ピアノの先生」
などを描く中、
わたしは
「空をとびたい」というタイトルで、
女の子(自分)が、虹の上を羽をはやして飛んでいるという絵を完成させたのでした。


幼稚園のころからなんだかちょっと違う

そして、過集中の強かった私は、
食べることを「面倒くさい」と思っており、
食べるよりも絵を描く、ということで、
ずっと絵を描き続けていました。
そのためガリガリに痩せていました。

ASDはバランスの悪さがあるといいますが、
運動はというと、中学まで、全般的には5段階の中で4をとるようなかんじ。
足は速いほうでしたが、鉄棒や縄跳び、マット運動は苦手でした。足をかけて回る前回りや、木登りは全然できませんでした。

この辺りはASDのためかどうかはわかりませんね。環境の影響で育っても行くので、何でもかんでも、神経発達症と結びつけるのはちょっと違うかなとは感じます。

球技に関しては、元野球部の父親にキャッチボールの仕方などをよく教わっていたのと、小学生の頃は地元のソフトボール、ハンドボールのクラブに入れられていたので、苦手意識はないのですが、
練習しても、極めるというところまではどのスポーツも行けずに80点どまりです。

ADHDの要素があるためか、「かっこいい」「すごい」など、興味がわくとすぐに始めるので、大人になっても色々な習い事をしました。
20歳以降にやったことというと、
HIPHOPのダンススクール、ヨガ、水泳、乗馬、お茶、多肉植物、ガーデニング、スノーボード、ボディーボード、シュノーケリング、ベリーダンス、パン教室、ケーキ教室、ピアノ、フラフープ、登山、バドミントン。
が、ある程度できるようになるとすぐに飽きてしまってなかなか継続はできません。

現在続けているのはピアノで、1年半弱習っています。
ピアノは、独学の歴史がちょっと長く、教室に行き始めたのは39歳になってからでした。
ピアノと語学の勉強は独学で波があるのですが、トータルすればながくやっているような気がします。飽きたときは数年やらず、火が付いた時にやって、つまづくと嫌になるのでやめて、の繰り返しです。(笑)


次回は、下記の③から⑥について書いてみたいと思います。

③ 軽快や再発を伴わず一定した経過をとる、
④ 症状は年齢とともに変化する、
⑤ 適応の程度は、環境や療育などによって大きな幅が生じる、
⑥ それぞれの特性はスペクトラム(連続体)である。

ASDの中にADHDの要素があると何が起きるのか?①はこちら




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