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飛行機は虫をのせて

中学生くらいに書いた処女作を見つけてしまったので、供養する。

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 昔、はまりにはまったミニ四駆のモータを、こんなときに利用できるなんで思いもしなかった。
 父さんの寝室の押し入れで、約四年間ほこりをかぶっていた。取り出すとき、箱の取っ手に蜘蛛のような足を持った虫が、にょきにょきうごめいていた。
 それを複雑な気分で、僕は手で振り払う。そこまで僕もお人好しではない。その虫の名前も知らないくせに、見た目で悪と決め付けるような容赦のないことだってする。
 人間は気紛れだ。
 それは僕も同じなのである。
 いや、僕は変わった人間なんかじゃない。
 当たり前の人間だからこそ、僕はいま、飛行機なんか作っているのだ――。

 晩飯を食べ終わり、僕は部屋に戻った。灯りも、テレビも点けっぱなしだった。まぁ電気代は僕が払うわけでないので、それに対して特別悔んだりしない。
 ベッドに放っていたビニールブクロを乱暴に引き裂いた。中から今日購入した、僕が二番目に好きな歌手の新曲を開けると、コンポの下品な口へそれを大事に差し出した。
 イントロが始まると、僕はふふんと鼻を鳴らしながらベッドに身体を投げ出した。反動でぎしぎしと四本の足が悲鳴を上げる。くるりとうつ伏せになり、さっき破ったふくろから、同じく今日手に入れた小説を取り出した。
 ワクワクしながらページの一枚目をめくると、丁度曲はイントロが終わり、しゃがれた声色の唄が始まった。その歌手は、作詞作曲、ギター、コーラスまで自分で担当している。だからこそ僕はその歌手が二番目に好きなのだ。
 いまCDでは、男が泣いてる場面だった。朝起きると、自分が付き合っていた彼女が、その辺に飛んでるような虫に変わってしまったのだという。
 だが、男は翌朝になると、何でもないような顔で朝日を迎えていた。そして別の女を部屋に連れてくると、ベッドをリズムよくきしませながら、周りを浮遊する一匹の虫を申し訳なさそうに叩き落してしまった、という曲だった。
 それは別段ブっ飛んだことではなく――人間が虫になるというのは置いといて――当たり前の人間の行動だろう。それを夏らしいメロディーにのせて、さわやかに歌いこなすのだから、僕はこの歌手を二番目に尊敬している。
 唄は終わり、僕は小説の世界に感情移入するため、コンポを消そうと床に手を伸ばした。リモコンの信号を鏡に反射させ、本に向き直ろうとベッドにふっと視線を落としたとき――その虫はいた。
 ハエとも蚊ともいえない、どこにでもいる、丁度今掛けたCDに登場するようなただの虫だった。
 何故かは分からない。本当に後から考えてみても、どうしてそんな気持ちになったのか、とても奇妙だと思う。
 ひとつ理由を付けるなら、その虫は、ひどく弱々しかったということだ。米粒ほどの身体を左右に震わせ、僕の手でも当たったのか、羽が片方だけしかなかった。
 こいつはこれからどう生きていくのだろう。髪の毛ほどの足で、どこへ行くというのだろう。ひどく興味が沸くとともに、この虫が哀れでしょうがなかった。
 そして不思議なことに、このチリほどの虫を〝助けたい〟という衝動にかられたのだ。

 机のうえで作業を始めて、もう二時間が経とうとしている。厚紙を紙飛行機のようにかたどって、前方にモーターをつないだプロペラを貼り付け、あとは前後左右の重さのバランスを調整する。と、口で言うのは簡単だが、本当に飛ぶのかどうか不安である。
 しかし人間は肝心なところでアバウトだ。はっきり言って、助けたい、と本当に命を救いたいなら飛行機など作ってる場合ではないと、工作しながらも自覚している。
 ただ虫が二度と空を飛べないというのは、僕は涙がでるほど悲しいことのような気がしてならなかった。実際僕は、一枚しかない羽を羽ばたかせて、必死に飛ぼうと身を震わせている虫をみて目が熱くなった。
「よしっ、完成だ」
 頭で想い描いていたとおりの、厚紙飛行機が出来上がった。飛んだとき重心が前のめりにならないように、後方の単三の電池を微妙に後ろへずらす。
 何となく、テスト飛行はしたくなかった。
 この飛行機に自信がなかったといえばそうなのだが、一回勝負をすれば上手くいくような、全く根拠なんてないいい加減な、それでも雲をつかむような確信があったのだ。
 ベットのシーツの上の虫は、もう歩く事さえままならないくらい力がなかった。ぐっ、と僕は胸がつまり、優しくその虫をしわしわのコクピットへ案内した。
「待ってろよ、今飛ばせてやるからな」
 窓を開けると、三日月が輝いていた。その光はとても強い。風はわざと気を利かせてくれたのか、丁度いい追い風だった。これなら、上手く乗れば、延々と空を飛んでられるだろう。
「いくぞー……、虫!」
 今さらになって、名前でもつけりゃよかったと後悔する。まぁ、図鑑でも見たら、カタカナの理科的な言葉で名づけられているのだろうが。
 その虫を、なるべく風圧を受けない場所まで指で先導させた。あまりに呆気ない幕切れは、見たくなかったからだ。モーターのスイッチを付ける。ブーンと、荒っぽい音をまき散らしながらも、プロペラは問題なく回転した。
 力の入れ具合は難しいところだったが、あまり悩まない方が成功するような気がしたので、とりあえず気持ちで押し出すことにした。
 そして、目標を定める。
 目指すは――三日月。
 
 僕は息を吸い込んだ。
 夜の空気が胸に澄みわたる。
 手にべっとりとした汗がにじみ出る。
 風が流れている。
 その流れを感じながら、右腕を頭の後ろの方まで引いた。
 攻撃的に輝く三日月が、か弱い虫を受け入れてくれることを願いながら。
 僕は飛行機を、夜の闇に飛ばした。
「……いけっ、飛べ!」
 意外なことに、飛行機はちゃんと真っ直ぐ飛んだ。しかも追い風に乗って、どんどん高度を上げている。三日月の突き刺すような光が、一筋の道に変わったような気がした。虫を乗せた飛行機は、その道をぐんぐん進んでいる。
「マジかよ……」と僕は思わず感嘆の声を漏らした。
 虫は笑っている。
 目には映らないが、僕が虫なら間違いなく笑っている。

 そして、飛行機はとうとう見えなくなった。
 それを確認すると、僕は窓を閉め、軽いガッツポーズをした。虫はもしかしたら、本当に月へ行ったのかも知れない。そんないつもなら鼻で笑いたくなるようなことも、今の僕は本気で思っている。
 ふと、上を見上げると、蛍光灯の周りにさっきと同じような虫が何匹も群がっていた。
 いつもなら顔をしかめて殺虫剤を吹きかけるとこだが、今夜くらいは好きにさせとこうと、何もしないで僕はベッドに寝転んだ。

 これもまた人間の気紛れである。
 けどまぁ……、悪い気分はしなかった。

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