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就活がしたくて泣いた話

シマムが納得するキャリアを歩みたくて悩み、その悩みを志に変えて就活をするまでのお話です。
前回の記事で書いたように基本的に”俺得”なnoteなので、お付き合いいただける方には感謝しかありません。

1.シマムの志


志とは、仕事を通じて社会にもたらしたい価値のこと。

僕のそれは、
「生まれに関係なく、ひとりひとりが納得のいくキャリアを創れるようにすること」

できる限り多くの人に、納得したキャリアを創ってほしい。

そしてそれを創るために納得のいく行動を起こしてほしい。
そう思っています。

では、なぜそんな志を持つようになったのか。
その変化を書いていきます。 


 2.坊主の子は坊主?


「あーじゃあ、お寺継ぐんだ」

僕は実家がお寺です。そしてこれは「実家がお寺なんです」って自己紹介すると、よく言われるフレーズです。

正直に言います。このフレーズ、嫌いです
だって、お寺に生まれた人は継ぐのが当たり前で、まるでそれが正解であるかのように聞こえるから。
僕は、そうじゃないと思うから。


お寺に生まれたシマム、ときにC of T(A Child of a Temple)なんて呼ばれます。
父は住職です。祖父もその上もまたその上も住職でした。家はお線香の香りがするし、自分の部屋の窓を開ければそこはお墓です。

こんな感じで、僕が少なからず仏教に根付いて育ってきたのは確かであって、間違いなくお寺はアイデンティティのひとつです

でも、それとお坊さんになるかどうかって関係あるんでしょうか

お寺に生まれた人はみんなお坊さんになるなんて誰が決めたの。
これまで継ぐ人が多かったから、なんとなく社会がそうさせてるんじゃないの。

継ぎたいと思うなら継ぐ。
継ぎたくないと思うなら継がない。
それだけじゃダメなの?

お寺に生まれたら自分の将来を選ぶことすらできないんだろうか。

お寺に生まれようが生まれまいが、お坊さんになりたい人がなればいい。
もっとフラットに生き方を選べるようになればいい。
「じゃあ継ぐんだ」みたいな、さも生まれによって人生が決まるような言い方を、思いつきもしない社会になればいい。

こんな思いが僕の中には渦巻いています。
個人の志向が尊重される時代にはなってきました。でも、まだまだ「坊主の子は坊主」という観念は根強いと実感しています。

坊主の子が坊主じゃなくたってべつにいいじゃない。
キャリア形成が生まれに阻まれることを無くしたい。

僕はそう思います。


「とはいえさ、ずっと寺で暮らしてたら継ごうって気になるんじゃないの?」って思われる方もいるでしょう。
はい。今でも僕自身は、お寺を絶対に継ぎたくないとは思っていません

継ぎたくないと思っているんじゃない。
ただ、生まれがキャリア形成に強く結びつくことに疑問と嫌悪を抱いているのです。

こんな思いを持つようになったきっかけがあります。


3.みんないいなぁ


そのきっかけ。
時は2018年冬。大学3年目も終わりに差し掛かったころ、大学の友人たちは就活をしていました。

「ゆくゆくは自分の手で家を建てたい!」
「転職するときに、どこでもいけるようになりたいんだ」
「フリーランスで生きていきたいと思ってるんだよね」

友人たちは悩みながらも、未来に繋がるいろんな話をしていました。

そうかぁ…みんなやりたいことがあって、それを叶えられる環境を見つけようとしてるんだなぁ…さて、俺は…

まぁお坊さんだよなぁ…
ん?そもそもお坊さん以外あるのか?
あれ、もしかしてみんなみたいに人生選べないのか??
その選択肢ないのめっちゃイヤなんだけど…
え、みんないいなぁ…

僕はそこで初めて気づきました。
それまで家がお寺だってことで、
将来はお坊さんになることだけが自分の人生だって無意識に思い込んでいたことに。
周囲にそれを期待している人がたくさんいることに。
そして自分はそのお坊さん行きの線路の上を走ってきたことに。

でも無意識が意識になり、それをイヤだと思ったその瞬間、期待はプレッシャーとなり、線路の上にいることに強いストレスを感じました

そして悩みながらも自分の人生を切り開こうと就活に励む友人を、心の底から羨ましく思いました

当時の予定では、卒業後はまた別の大学に入ってお坊さんの資格(僧階)を取り、その後はすぐうちのお寺に入ることになっていました。

僕はお坊さんの世界に入ることを、はじめて具体的に想像しました。
世間から離れて仏になることを目指す世界、異世界だと思いました。そして出家という言葉があるように、その世界に入ったら、出るのは容易ではないと思いました。

当時通っていた大学で多くの人に出会い、ダイバーシティとその共生について学んでいた僕は、どんな価値観も受けいれ、自分に落とし込み、それを発揮できる人間になることに憧れていました
当時は自覚がなかったけれど、これが僕の夢の人物像です。

だから選択肢がなく「お寺」という異世界に入ることで、その世界からの視点でしか社会を見られなくなることに、今まで感じたことのない危うさと怖さを感じました

その世界では手に入らない価値観も得たい。この世の社会人としての知見も得たい。強くそう思いました。

友人の就活は僕にそんな気づき、気持ちの変化をもたらしました。


「就活がしたい」


気づけば両親の前で泣いて訴えていました。
自分のキャリアに対して、初めて感情があふれた瞬間でした。


4.きっと似た人はたくさんいる


たくさん悩みました。たくさんの人に相談しました。
いろんな意見をもらい、いろんな考えが浮かびました。

それでもやはり自分の意志を通したいと思った結果、次の大学で僧階をとりながら就活をすることにしました。
将来の選択肢にお坊さんも含めた、合理的な判断だと思っています。

そこで、次のステップ。シマムはどんな仕事がしたいのか

食べるの好きだし食品メーカー?旅行好きだし旅行代理店?
専門を生かして日本語教師?バイト経験からホテルスタッフ?

いろいろ考えましたが、どれもピンときませんでした。

でもあるとき、ふとした瞬間、思いました。

「自分と似た思いをしてる人って、多いんじゃない?」

創りたいキャリアがある。けど生まれがそれを許してくれない。
そもそも生まれのせいで自分でキャリアを創れることに気づいていない。

そんな人ってたくさんいるんじゃないか。
生まれがネガティブに働いている状況を、自分が介在することで変えられる仕事はないのか
そんな仕事なら共感もするし、やりがいが持てる。そしてなにより、自分が描くキャリアを叶えられる人生って幸せなはずだ。応援したい。



これだ。人材業界

この業界なら、ひとりひとりのキャリアを創るお手伝いができる
ひとりひとりに自分のキャリアを描くきっかけを与えられる
生まれにかかわらずキャリアを描き、叶えられる社会にできる

それに仕事って、時間もたっぷりとれて仲間もいるから、この環境が満たされれば、思い描くキャリアにぐっと近づける

そう思いました。

こうしてシマムの志はだんだんと定まっていき、僕の志に共感してくれる環境を探しに、就活に没頭していきました。

幸いなことに、この思いと共鳴する企業、素敵だと思う企業にたくさん出会うことができました。
そんななかから、どんな基準でシマムが選ばれ、また企業を選んだか。

それはそれでまたの機会に書き出しましょう。


5.納得して生きる


生まれる側が生まれを選ぶ。
そんな時代は来ないでしょう。

でも生まれは覆せる。
僕はこの経験を経て、「行い」こそがキャリアを創り、「行い」は生まれを覆せると思うようになりました。
そして納得したキャリアを創るためには、納得した「行い」をしていく必要があると思うようになりました。

僕は泣いてまで手に入れた就活という「行い」に、とても納得しています。

ただその「行い」は、それに至るのも、行うのも、簡単じゃない。それも分かりました。

だからこそ、ひとりひとりが納得したキャリアを創るための「行い」に、全力で伴走したいと思っています。

そして
僕自身、納得した「行い」を積み、納得できるキャリアを創っていく

そうありたいと思っています。

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