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自分の気持ちは自分で守っていい:「唯一許される他責思考」を読んで

Hello, y'all!  It's me, えびちゃん先生!!

今日は、「唯一許される他責思考」という記事の感想です。

この記事を読んで欲しい人は

○I'm OK, you are OKで他人との関係を築いていきたいひと
○子どもに関わる仕事をしている人
○他人の噂話に振り回されて疲れちゃう人    です。

じゅんやさんの記事に共感したポイント

○「あの人とは、関わらないほうがいいよ」と言われても、自分の価値観でその人の良い部分を見ないまま、その人を否定できない。
○どうしても合わない人がいれば離れてもいい。

詳細については、じゅんやさんの記事をお読みいただければと思います。

自分の価値観でものを見る

学校に勤めていると、「○○ちゃんがあなたのこと嫌いっていってたよ」という余計な一言に端を発したトラブルによく出会います。これまで何件のケースに触れてきたことか… 平均したら年間10件位あるのでは?

そしてそのたびに生徒に伝えてきたのは、「△さんが、『○○ちゃんがあなたのこと嫌いっていってたよ』と伝えてきたという事実を、よく吟味しよう」ということ。

①まず、それを事実だと思うか
事実であると判断するのであれば、なぜそう判断するのかという根拠まで明らかにする必要があると思います。
②△さんはそれをあなたに伝えてどうしようと思ったのか
人は何か目的があって言葉を使うものです。そう伝えてくる目的はなんだろうかと考えてみましょう。

①を伝えると、大抵「本当かどうかは分かりません」と返ってきます。そりゃそうだ。○○ちゃんがそう発言していたのを見ていない限りは本当かどうかは分からない。だから、「誰かが伝えてきたことが本当であるかどうかをまず吟味する」ことが必要です。

私自身も、「次に来る教頭先生、めっちゃ怖い人らしいよ」なんて言われると震えて眠れなくなってしまう時がありますが、そんな時「いやまてよ。怖いというのは主観的な感想であって、その教頭先生のことを万人が怖いと思うかどうかは分からないじゃないか。自分で判断するのを忘れてるな。」と思うのです。

また、たとえ自分が教頭先生と合わないからと言って「めっちゃやな人」という個人的な感想を他人に話すことも控えています

まぁ働いていたらね、グチのひとつやふたつやみっつやよっつ…あるのは仕方がないじゃないですか。そんな時、ついつい主観的な物言いである人を断じてしまいがちですが、「自分がいやだと思った出来事」と「その人への評価」は切り離して話をするよう心がけています。

②についてですが、「あなたへの悪い評価をあなたに伝えることって、あなたを傷つける行為だと思うのだけれど。△さんはなぜそんな行動をとったのかな。」と問いかけることがあります。すると、「もしかしたら△さんは私をきらいなのかな」とか「△さんを怒らせたりしてるのかな」なんて答えが返ってきます。

逆に、△さんの方にも「どうしてそんなことを伝えようと思ったのかな」と問いかけます。相手を傷つける話題だったと思うけれど、と言うと、大概「よく考えてなかった」と… いや、考えんかい!と思いますが、子どもですからね。そんなことはよくあることです。

「今回のことをきっかけに、『聞く人を傷つけるような話題』ということには気をつけていけるようになりたいよね。」とはよく使う言い回しです。


どうしても合わない人がいたら離れてもいい

じゅんやさんの記事から引用します。

僕が思う、合わない人と離れるメリットは、こう考えます。
①感情的になって、その人の良いところを見失わずに済む。
②その人のことを、それ以上嫌いにならずに済む。
③その人から離れることで、その人のことを理解してあげられない自分を責めずに済む。
④離れることで、今は合わなくても、この先お互いが人として成長して「数年後巡り合った時、もしかしたら仲良く過ごせるかもしれない」という希望を残したまま離れられる。

嫌な人との付き合い方って悩んでしまうことが多いですよね。
特に私は③その人のことを理解してあげられない自分を責めずに済む。というところに心ひかれました。

基本的には他者の価値観も尊重したい、と思っているのですけれども、時にどうしても理解できない相手もいます。そりゃ全知全能ではないですからね。でもそんな時「相手を理解できない自分」「相手を受け入れられない自分」をすごく責めてきたんです。でも、そんなことはないんだな、と記事を読んで思いました。

疑問をあげるなら

じゅんやさんの記事には概ね同意なのですが、もしその「合わない人」が「家族」だった場合はどう考えたらいいのでしょうか。

学校にいると、親子とは言え全く合わないというケースに出会うことがあります。そんな時は一体どう対処していったらいいのでしょう。

物理的にも社会的にも、子どもの側から離れていくことはできないですよね… まぁ、虐待とかは話は違ってくるのですけれども。そうなると、「離れる」ということが難しいのですが、どんな風に気持ちをもっていればいいのでしょうか。「親を受け入れられない自分」を責めて、傷ついている子どもたちにかける言葉は日々模索中です。

まとめ

○ 自分の価値観を大切にする。
○ 合わない人と離れることは、自分を守ることになる。


思考を刺激されるよい記事でした。じゅんやさん、ありがとうございました。

本日もお読みいただいてありがとうございました。

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