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23-45. あなたのエピソードはわたしのエピソード|自分を知ることで他者を知る

スペシャルで刺激的な体験談を見たり聞いたりするのもおもしろいですが、どちらかと言うと、その方の日常生活が高い解像度で描かれている文章を読むのが好きです。

「わたしは今日をこう生きて、こう感じた」というエピソードは、その人のフィルターを通してみえる、私にとっては新しい世界。

声の大きい人の価値観に染まったものではなく、その人独自のフィルターを通って描かれていると「おお…」と唸ります。

きっと同じ景色を見ていても今のわたしには気づけなかった世界だからなのですけど、その中にはかならず「共感」があるんです。

私には気づけなかっただけで、私の中にもそのエッセンスが必ずあるからです。

そう考えると

あなたにあるものは、わたしにもあるし

わたしにあるものは、あなたにもある。

なので、わたしも自分の日常をもっと解像度を上げて書いていきたい!!と常々奮闘しているわけなのですが、日常を解像度を上げて書くって案外難しく、特別な筋肉を使います。(noteを書く方には伝わるはず)

何を見るにしても、深く自分の中まで潜っていかなければならないし、

つねに自分に正直でいないといけないし、

自分の嫌な部分や見たくない部分を見せつけられてしまうからかもしれません。

ついつい見たくないことに抵抗してしまう自分もいたりします。

それでも、毎朝モーニング・ページを書き、こうしてnoteを書き、自分の日常にある気づきを解像度高く書き出す筋肉を、どうにかこうにか鍛えようとしているのはなぜなのか。

なぜ1円にもならないのにこんなに書くことに貪欲になっているのか、ってかんがえると自分自身の心の解像度を上げたいからなんですよね。

平たく言うと自分のことをもっと知りたいから。

自分の心がわかれば、相手の心もわかってくる。

そうすれば、他者を受け入れる器が広がるから、なのです。

わたしは自分を知ると同時に、自分を含む他者と、あらゆる可能性を受け入れたいのだと思います。

他者を受け入れるキャパが広くなるほうが、自分が生きやすくなるだろうな〜っていう魂胆です。

なので、書くことをやめないでもっと自分に興味を持ってみたいな〜って思ってます。わたしのエピソードは、きっとあなたのエピソードでもあると思うから。

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