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ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(3):ガス車はガソリンエンジンだった。

ナチスドイツが殺人に用いた毒ガスを生成するエンジンとして用いた、そのエンジンの種類はディーゼルエンジンだったとする説が現在もまだ一応は主流の説となっているようです。しかし、Holocaust Controveriesブログサイトの執筆者たちによると、ディーゼルエンジンだったとする説は特にエンジンの種類を特定するために精査されたわけではなかったのであり、エンジンの種類について証言や文書資料を精査すれば実際にはガソリンエンジンであった可能性が高い、とのことです。

修正主義者が、このエンジンの種類をディーゼルに限定して論ずる目的は、以前にも話した通り、ディーゼルエンジンの排ガスは一酸化炭素の濃度が低いので殺人には適さないため、定説側がディーゼルエンジンを殺人に用いていたとする説は間違いであり、その元になっている戦後の証言を中心とした根拠も嘘だと主張したいためです。

この論理には、ディーゼルエンジンである限りは多少の説得力はあるのですが、実際にはガソリンエンジンの可能性の方が高いとされると、一気に否定論の効力を失います。ガソリンエンジンであれば致死量濃度の一酸化炭素を排出するので、ディーゼル否定論は無意味になります。したがって、修正主義者たちは、ディーゼルエンジンしか使えなかったはずだとの理屈に縛られます。

特に、ガス車の領域では、ザウラー社製トラックが当時の代表的なトラックだったため、ザウラーはディーゼルの代名詞的な名前でもあったためか、修正主義者は「ザウラートラックはディーゼルだった」と論じさえすればガス社については否定論の立場を保てたようです。ところが、Holocaust Controversies の執筆陣によるとどうやらそうではなかったようです。

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ガスバンに関するアルバレスへの反論:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由

ガスバンに関するアルバレスへの反論
第一部:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由(更新1、2)
第二部:プロデューサーガス
第三部:フォードのガスワゴン(更新)
第四部:ベッカーレター(更新)
第五部:刑事技術研究所へのラウフ書簡(更新1、2、3、マットーニョとここ)
第六部:ターナー・レター
第七部:シェーファー、トゥルーエ、ラウフのテレックス
第八部:アインザッツグルッペン Bの活動と状況報告(マットーニョについて参照
第九部:ジャストメモ
第十部:アインザッツコマンド8のメンバーに対する西ドイツの裁判
第十一部:シンフェロポリのアインザッツグルッペン D

ドイツの殺人ガス車に対する修正主義者サンディアゴ・アルバレスの主な主張の一つは、ほとんどの車両(すなわち、ザウラーのシャーシを持つ車両)がディーゼル・エンジンを搭載していたとされており、ディーゼル・エンジンの排気は(ガソリン・エンジンの排気とは違って)殺人に適さないという主張と結びついているということである。

この投稿は、ザウラー社のシャーシをベースにした殺人ガス車が、ドイツ占領下のフランスでガソリンエンジン付きで製造されたという証拠を紹介するものである。実際、最も信頼できる情報源によってガス車の可能性があるとされたブランドは、すべてガソリンエンジンを使っている可能性が高いか、少なくともその可能性があることが判明した。さらに、利用可能な証言の証拠は、ディーゼルよりもガソリンエンジンを強く支持している。したがって、殺人ガス車の現実を見る限り、「ディーゼル問題」は実に無関係日本語訳)である。

ディーゼル問題

ディーゼル論」を最も積極的に主張しているのは、ホロコースト否定論者のフリードリッヒ・ベルクである。それは、a)ディーゼルエンジンの排気は殺傷力が不十分、あるいは殺人に適さない、b)それが本当なら殺人ガス処刑にディーゼルエンジンが使われた、としており、a)とb)は矛盾するので、エンジン排気による殺人ガス処刑は事実ではないことになるのである。

仮にAという前提が正しく、科学的、技術的事実に基づく「ハード」な知識とみなせるとして、2番目の前提はそうではない。傍観者や操作していない人の記憶によるエンジン型式判別は、特に信頼できる情報ではない。しかし、議論は、最も弱い要素があればこそ、強くなる。したがって、「ディーゼル論」は、ディーゼルエンジンに関する資料が誤っていたと説明できる限り、殺人ガス処刑に対してはどうしても弱い議論になる。一般的な反論は、セルゲイの「何故「ディーゼル問題」は無関係なのか?」(日本語訳)を参照して欲しい。

定置型ガス室では、アイドリング時の一酸化炭素の排出量が少なく、酸素量が多いことから、ディーゼルエンジンの使用は考えにくいが、エンジンに負荷がかかる可能性のあるガス車では必ずしもそうとは言えなくなった。

普通のトラックなら、重い荷物を積んで、急な坂道をアクセル全開で走れば、エンジンには全負荷がかかる。この条件下では、無分室ディーゼル車の排気管から、致死量である0.4%/vol.程度のCOが排出されているはずである。

(フリードリッヒ・ベルク『ディーゼル・ガス室:拷問には理想的だが、殺人には不条理』)

したがって、議論は「ディーゼルは殺人に最適な選択ではない。したがって、それは殺害のために選択されなかった」に還元される。定置型ガス室の変種よりさらに効力が弱いー但し、ガス車はアイドル運転が想定される場合を除く。

さらに、シャシーのブランドや種類だけで、エンジンの種類や燃料が書かれていない資料もある。エンジンは交換できるものなので、かなり不確定要素が増える。ディーゼルトラックのシャシーには、実はガソリンエンジンが搭載されていた可能性がある。また、ガス車のシャーシが実際にいつ生産されたかも定かではない。古い車体ほど、ガソリンエンジンを搭載している可能性が高いからである。

ガス車、ディーゼル車、ホロコースト否定派

ホロコースト否定派は通常、殺人ガス車に関する2つの文脈でディーゼル問題を持ち出す。第一は、殺人ガス運搬車にディーゼル・エンジンが採用されたとするソ連のクラスノダール裁判とハリコフ裁判(1943年)である。これらの裁判からは、ディーゼルに関する具体的な証拠がほとんど出てこないので(エンジンの種類に関する証言証拠の項を参照)、ここでは省略することにする。より深刻なのは、ガスバン・プールの大部分を構成していたスイスのブランド、ザウラーのトラックに関する議論である。ザウラートラックが殺人目的で製造・使用されていたことは、ここ日本語訳)に紹介する複数のドイツの当時の史料によって示されている。

ホロコースト否定論者の第一人者カルロ・マットーニョは、ザウラーのトラックはすべてディーゼル・エンジンを搭載していたと主張している。

この文書は、「アインザッツグルッペン」が殺人のために「ガス車」を採用したことを何ら証明していない。実際、すべてのザウラートラックはディーゼル・エンジンを搭載しており、その排気ガスは殺人にはまったく適さないものであり、この事実は、先に見たように、正史派の歴史家たちでさえ認めている。

(マットーニョ『ガス室の内実』113ページ)

その主張を裏付けるように、サンティアゴ・アルバレスを引き合いに出している。アルバレスは、ガスバンに関する著書の中で、「ディーゼル論」を多用している。ここではその中から有益な例をいくつか紹介する。

「1942年のドイツの文書には、ディーゼルエンジンを搭載したオーストリアのザウラートラックのシャーシに、30個の特殊な貨物箱を取り付けたことが証明されている。こうして装備された車両は、いわゆるアインザッツグルッペン(東部戦線でドイツ軍の後方で活動するパルチザンとの戦いを公式に担当するドイツ軍)によって、特に「ガス車」として使用されたと主張されている」(p. 18)

「この研究の間、私たちは、「ガス車」による大量殺人がディーゼル・エンジンの排気ガスで行われたとされる主張に何度も遭遇することになるが、それは、使用された車種(ザウラー)によって明示的に、あるいは暗黙的に語られている。…これは特に、スイス・オーストリアのトラック製造会社ザウラーが、ディーゼル・エンジンだけを搭載していた場合に当てはまる」(p.24)

「この文章は、ガス処分がトラックが停止している間に行われたことを示唆している。なぜなら、走行中のトラックが常に、あるいはほとんどの時間、「フルスロットル」で運転されることはあり得ないからである。つまり、エンジンは無負荷で動いていたことになる。ディーゼルエンジンを搭載したザウラートラックの場合、このような状況では排気ガスに有毒な量の一酸化炭素が含まれないので、窒息による殺人には適さない」(p.53)

「戦時中、ドイツ国防軍は10万台近くの中型トラック(3トン)、オペル・ブリッツを入手した。この車輌に適切なカーゴボックスを装備すれば、「ガス車」として使用することも可能であった。しかし、RSHAは、代わりに、ディーゼル・エンジンを搭載し、したがって、意図した犠牲者をゆっくりと拷問して死なせることしかできないザウラー社の大型トラックの購入を決定した」 (p. 87)

「問題の車両は、この文書ではザウラートラックと指定されているが、それゆえ、殺人目的には適さないディーゼルエンジンを搭載していた」(p.93)

「さらに、もしザウラーディーゼルエンジンがシェーファーと評決が主張するようなこと(15分以内の殺害)ができなかったとしたら、したがって彼の証言が真実でないとしたら、なぜ彼はそんなことを言うのだろう?」 (p. 182)

「ただ、ザウラー社のトラックはすべてディーゼルエンジンであった。そのため、中庭でアイドリングをしていても、危険なレベルの一酸化炭素を発生させることはない…アイドリングのディーゼルエンジンの排気ガスでは誰も死なないということも知っていた。では、なぜ犯罪技術の医師たちはそうでないと証言したのだろうか?」(p.213 f.)

「ザウラー社のトラックはディーゼルエンジンを搭載しており、のんびり走っていても30分もすれば誰も死なないし、移動するにしても、なるべくなら重い荷物を積んでいないと無理だ。そのためには、たとえば険しい山を車で登り続ける必要があったが、第二次世界大戦中にドイツ軍に占領されたソ連のほとんどの地域では、そのような山はほとんどないのである」 (p. 264)

「一方、図26(p.378)は、関連文献に記載された、ザウラーディーゼルエンジンの排気ガスを金属ホースで荷箱の床に配管した「ガス車」のあり得ないドラフトを示したものである」 (p. 272)

「ディーゼル・エンジンと低い荷箱を備えたザウラー社の特殊車両が移動式殺人ガス室として機能することができなかったことを考えると、当初の要請が何であったのか--それが存在したならば--を知ることは興味深いことである」 (p. 298)

「問題点:1.ディーゼルエンジンは、アイドリング中や低負荷での運転では、20分以内に致死量となるガスを発生しない」 (p. 378)

(アルバレス、『ガス車』)

このザウラーに関する合唱には、修正主義者のイングリッド・ヴェッカート(「ザウラーの車は常にディーゼルエンジンだった」)、ユルゲン・グラーフ(「ザウラーの車はすべてディーゼルで走っていた」)、トーマス・ダルトン(「ディーゼルでしか走らないザウラー・・・これらは絶対にガソリンではありえなかった」)、スコット・スミス(「ザウラーは常にディーゼル」)も加わっている。

アルバレスは、スイスのアルボンにあるオールドタイマー・クラブ・ザウラーのホームページにあるザウラー年表を紹介した。サイトには、ザウラーがBシリーズにガソリンエンジンとディーゼルエンジンの両方を採用していたと書かれている。 Cシリーズではディーゼルの「インジェクションシステム」が導入されたと説明されているが、ガソリンエンジンも引き続き使用されていたことを否定するものではない。要するに、このサイトはザウラー=ディーゼルという証拠で成り立っていない。

このホームページから、ザウラー社が本国スイスで生産しているディーゼルエンジンとガソリンエンジンの比率を推し量る方法はない。さらに、ドイツ占領後の外国工場で生産されたエンジンの種類の比率を推定する方法はない。このことから、殺人ガス処理のためのコーチ・ワークスを備えたシャーシが提供される前に、工場で作られたエンジンの型式が変更されなかったと結論づけることは、いよいよ不可能である。したがって、ザウラー社のガス車が実際にガソリンエンジンであったことを否定する方法はない。

ザウラーシャシーとそのエンジン

スイス・アルボンのザウラー工場が納入したガソリンエンジンとディーゼルエンジンの比率を図にしたものはここにある(ウィプフら、 『スイス東部の小さな会社から、国際的な技術集団へ(Vom Ostschweizer Kleinbetrieb zum internationalen Technologiekonzern)』)。ガソリンエンジンが着実に衰退していることがわかるが、1940年になってもまだ生産されているものがある。

ザウラー社のライセンスで生産していたオーストリアの工場では、オーストリアがドイツ帝国に編入された1939年にCシリーズを停止している。Cシリーズは、1934年から1939年までガソリンエンジンとディーゼルエンジンの両方が採用された。ドイツ政権下では、Bシリーズをベースとしたトラックを中心に生産されていた。1940年から1942年にかけてオーストリアで生産されたザウラートラックは、ディーゼル駆動の4BTDv-SとBT4500で、積載量は4.5トンから5トンだった (コパックス、『オーストリアのザウラー社製トラック(Die Österreichischen Saurerwerke. Lastkraftwagen) 1906 - 1948」 参照)。エッカーマン (Fahren mit Holz, p.184) は、オーストリアのザウラー工場は1942年7月からディーゼルエンジンをガソリンに換える必要があったと述べている (ただし、どの程度実施されたかは不明である)。

1940年になると、ドイツ軍はパリ近郊のスールヌにあるザウラー社の工場にアクセスし、ザウラー社のライセンスで生産を行っていた。1941年から1942年にかけて、工場は年間750台から950台のザウラーシャシーを生産した。5tの3CTトラックのディーゼルをガソリンエンジンに換えるなど、Cシリーズのシャシーを改造したものが多く生産された。

「合理化の名の下に、車種は激減し、ザウラーディーゼルの代わりにガソリンエンジン搭載の5トントラックが主に製造され(CT1 3台)、1940年から1944年の総生産量の4分の3以上を占めた」

(ウィプフら、ザウラー 東スイスの小さな会社から国際的な技術集団へ、ページ番号なし)

したがって、RSHAが第二世代殺人ガスバン用に購入した30台のザウラー製シャーシ日本語訳)にガソリンエンジンが搭載された可能性は、ディーゼルからガソリンエンジンへの置き換えはさておき、2つの可能性があると考えられる。

  • シャーシはオーストリアやスイスのガソリンを使う1940年以前のモデルである。

  • シャーシはシュルーネ(フランス)にあるザウラー社の工場からガソリンエンジン付きで購入した。

第二の仮説は、ガス車運転手ハインツ・シュレヒテの証言によって強く支持されている。彼は、自分のザウラー車にフランスのガソリン・エンジンが搭載されていたと回想している(「エンジンの種類に関する証言証拠」の項参照)。

その他、殺人ガス車に使用されたシャーシ

ヘルムノのガス車運転手ヴァルター・ブルマイスターの証言によると、ルノー・トラックが採用されていた(コゴンら、『ナチスによる毒ガスによる大量殺戮』、p. 114)。ウェアー、『ドイツ国防軍のトラック』 p. 200 ff. によれば、ルノーはすべてのクラスのトラックにガソリンエンジンを採用していた。ルノーはすべてのクラスのトラックでガソリンエンジンを多用していた。このことは、戦争中のルノー・トラックに関するフランスの記事(残念ながら引用はされていないが、よく調査されているようだ)で確認できる。

オペルのガス車については、ガス車検査官のアウグスト・ベッカーが......

なお、ガス車は2種類あった。「オペルブリッツ」3.5トンと、私の知る限りでは7トンの大型「ザウラーワゴン」である。

(エルンスト・クレー『美しい時代』p.71、拙訳)

...また、治安警察犯罪技術研究所のヘルムート・ホフマンも。

オペルブリッツ3トンだった。

(1959年1月27日のヘルムート・ホフマンの尋問、Bundesarchiv B162 / 5066, p. 95、私訳)

オペルはガソリンエンジンを搭載した 3.5 トンクラスのトラックを提供した (例えばウェアー、『ドイツ国防軍のトラック』、p. 204 & フランク、 『ドイツ国防軍のラフトクラフトワーゲン』, p. 124)。

1942年6月15日付のハインツ・トゥルーエからRSHAへの電報によると、アメリカのダイヤモンドT社のシャーシをベースにしたガス車が使用された...

Sワゴン既存3台分(ダイヤモンド2台、ザウラー1台)のエキゾーストホース20本

殺人ガス車に関する当時のドイツの資料日本語訳))

...ガス車運転手のヨハン・ハスラーの証言は...

この車両はアメリカの3トントラックで、メーカーはダイヤモンド

(アルバレス、『ガス車』、p.152)

...そして、ミンスクでガス車の責任者であったウィリー・シュミットの証言。

私がミンスクにいたころは、ガス車が2、3台ありました。ダイヤモンドというブランドのトラックや、鹵獲したイギリスの車もありました。

(1961年2月23日のヴィリー・シュミットの尋問、Bundesarchiv B162 / 5066, p. 261b、拙訳)

ダイヤモンドTは、西方作戦でドイツ軍に捕獲されたようである。ダイヤモンドTのシャシーやエンジンについては、あまり信頼できる情報がなかった(読者の皆さんは、関連文献へのヒントを投稿していただきたい)。しかし、ダイヤモンドTsがガソリンエンジンも使用していたことを示す十分な証拠があり、トラックが常にディーゼルで走っていたとは断定できないのである。

ここで、ダイヤモンドT型トラックのガソリンエンジンに関する文献をいくつか紹介する。ウィキペディアによると、201型は「ヘラクレスQXシリーズ6気筒エンジン」(=ガソリン)を搭載していたそうだ。このブログでは、「ほとんどのTがコンチネンタルエンジンの他、ヘラクレスQXシリーズを搭載していた」と書かれている。この1948年以降の306型の工場仕様には、「キャブレター」が記載されている。この(註:リンクは既に存在しない)モデル969Aは、ヘラクレスエンジン「RXC 6気筒ガソリン」を搭載している。このオークションリストには、「1941年式ダイヤモンドT406消防車、CBJXCヘラクレスエンジン搭載」など、30年代から40年代のガソリンエンジン搭載のダイヤモンドTsが数台出品されている。このサイトでは、ダイヤモンドT968に「ヘラクレスRXC 6気筒」ガソリンエンジンが搭載されていたことに触れている。

エンジン排気を利用した殺人ガス車としてマギルストラックを使用することは、信頼できる資料による裏付けがない。

ガスバンのエンジンの種類を証明する証言

ガス車がディーゼルであったという具体的な証拠はほとんどない。ドイツの準軍事組織のために働いていたヴァシリー・ティシェンコは、1943年7月のクラスノダール裁判で「車両が駆動していたディーゼル・エンジン」に言及している( 人民の評決。クラスノダールおよびハリコフ・ドイツ残虐行為裁判の全過程報告書、p. 17)。ティシェンコがガス処理に技術的に関与し、エンジンの種類を知らなければならなかったということはない。

これに対して、ガス車に使われているガソリンエンジンについては、有能な証人による証言が多数ある。

1)ハインツ・シュレヒテ、ガス車の運転手。

車両はザウラーというタイプの大きな箱型ワゴンでした。フランス製のオットーエンジンを搭載していたと記憶しています。オーストリアの車両はもっぱらディーゼルエンジンを搭載していたので、オーストリア製ではありませんでした。

(1963年8月27日のハインツ・シュレヒテの尋問、Bundesarchiv B162 / 5066, p. 645, 拙訳)

2)ヴァルター・ブルマイスター、ガス車の運転手。

ワゴンは、オットーエンジンを搭載したルノーの中型トラックです。

(コゴン他『国家社会主義者の毒ガスによる大量殺戮』p.114、拙訳)

3)1945年5月、ヘルムノ副司令官、ヴァルター・ピラー。

それらは、ガソリンエンジンから発生するガスです。

(コゴン他『国家社会主義者の毒ガスによる大量殺戮』p.138、ロベルトの翻訳

4)ヘルムート・ホフマン、治安維持警察犯罪技術研究所の化学者。

ウィドマン博士は、できるだけ早く致命的な混合気を得るためにキャブレターを調整することを話していました。私の知る限り、これは点火を遅らせることによって達成されました。

(1959年1月27日のヘルムート・ホフマンの尋問、Bundesarchiv B162 / 5066, p. 95 f., 拙訳)

ディーゼルエンジンにはキャブレターがなく、自己発火性であるため、ここでホフマンが説明したのは明らかにガソリンエンジンであった。

5)フリードリッヒ・イェッケルン、クリスティアン・ゲルラッハによる

元SS・警察東部方面総監のフリードリッヒ・イェッケルンは...ガソリンの消費量が多すぎることと、清掃の問題を挙げている。

(ゲルラッハ『計算された殺戮』p.767、ロベルトの翻訳

6)ブルーノ・イスラエル、ヘウムノでの大量殺戮に関わった警察官。

排気管は床から車内に入り、エンジン始動後の排気ガスが車内に入り込み、車内にいた全員が死亡したことを指摘したいのです。ガソリンにクロロホルムやエーテルなどが混じっていたかどうかは分かりません。

(パウリッカ・ノヴァック『ヘルムノの証人は語る』p.197、ロベルトの転記

7)ザルマン・レヴィンバック

運転中、モーターのガソリンの燃焼によって発生するガスや排気ガスによって、人々は毒されているのです。

(コゴンら、『国家社会主義者の毒ガスによる大量殺戮』、p.91、ロベルトの翻訳

8)モルドカ・ズラフスキー

バンの中から死体を引っ張り出して、内部を見るだけである。ドアが開いてから、中に入るまで8分ほど待たされた。ガソリンに何か(化学)物質を混ぜたのかどうかは分からなかった。

(パウリッカ・ノヴァック『ヘルムノの証人は語る』p.131、ロベルトの転記

結論

殺人ガス車に搭載されたエンジンの種類は、証拠から容易に推測することができる。

  • ほとんどの証人(最も有能な証人を含む)は、ガソリンエンジンやガソリン燃料について述べている。

  • 最も信頼できる情報源によって確認されたガスバンのシャーシは、おそらく、あるいはかなりの確率ですでにガソリンで工場生産されたものであった。

  • ガソリンエンジンの排気ガスは、ディーゼルエンジンの排気ガスよりもはるかに殺人ガスに適している。

したがって、ドイツの殺人ガス車はガソリンエンジンで動いていたと合理的な疑いを越えて結論づけることができる。ガス車に改造されたザウラー社のトラックは、ドイツ占領下のフランス、シュレーヌにあるザウラー社の工場からRSHAが入手したものと思われる。

ホロコースト否定派の有力者がこぞって、ザウラーは常にディーゼルだと主張しているが、とんでもない間違いである。ザウラーとディーゼル車を同一視する確固たる根拠はなく、長年にわたる工場出荷のデータもなく、ディーゼルエンジン搭載のシャシーがガソリンエンジンのトラックになれないという根拠もないのである。これは、否定派が自分たちの仮説を支持するものに対して示す証明の基準が低いことを物語っている。ドイツの残虐行為に関する彼らの他のばかげた高い、方法論的に欠陥のある基準とは全く逆に、それを満たすことは不可能なように特に設計されている。例えば、様々な状況下で提供された被害者、傍観者、加害者の多くの証言によって裏付けられた多数の当時の文書でさえ、殺人ガス車を立証するには不十分と考えられているのに、ザウラートラックはすべてディーゼル車だという強力で絶対的な主張のためには、アルバレスとマットーニョは無学な推測と出典不明の曖昧なインターネットサイトしか必要ないのである。

投稿者 ハンス・メッツナー 日曜日, 2015年11月15日 

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ガスバンに関するアルバレスの反論の更新:ディーゼルの問題はなぜ関係ないのか?

ガスバンに関するアルバレスへの反論
第一部:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由(更新1、2)
第二部:プロデューサーガス
第三部:フォードのガスワゴン(更新)
第四部:ベッカーレター(更新)
第五部:刑事技術研究所へのラウフ書簡(更新1、2、3、マットーニョとここ)
第六部:ターナー・レター
第七部:シェーファー、トゥルーエ、ラウフのテレックス
第八部:アインザッツグルッペン Bの活動と状況報告(マットーニョについて参照
第九部:ジャストメモ
第十部:アインザッツコマンド8のメンバーに対する西ドイツの裁判
第十一部:シンフェロポリのアインザッツグルッペン D

ディーゼル問題は何故無関係なのか?日本語訳)によれば、ドイツの殺人ガス車はガソリンで走っていたこと、ザウラーのシャーシは必ずしもディーゼルではなかったこと、ガソリン駆動のザウラー製殺人ガス車はドイツ占領下のフランスから入手されたものであること、とされる。これまでに、この発見を完全に裏付ける資料をいくつか入手したので、別記事で紹介することにする。

本を読まない方法

新しい資料を始める前に、まず、すでに知られている資料について補足説明する。私は、ウィプフらのモノグラフ(『ザウラー スイス東部の小さな会社から、国際的な技術集団へ』)により、占領下のフランスで生産されたザウラートラックはほとんどガソリンエンジンで走っていたことを立証し、ザウラーは常にディーゼルだったという修正主義者の主張(戦争中にドイツ軍が購入した新車について、古いシャーシや操作されたシャーシについては以前から誤り)に反証したのである。

しかし、修正主義者であるガス車の「専門家」であるサンティアゴ・アルバレスにとっては、私が以前考えていた以上に不幸なことであることが判明した。私はアルバレスがこの本のことを知らないだけだと思っていた。しかし、「ザウラー社は何十年にもわたってディーゼルエンジンのパイオニアだった」ことを裏付けるように、「ザウラー社はディーゼルエンジンだけをトラックに搭載していた」(『ガス車』p.24)と主張した直後に、この文章が引用されていたのである。つまり、アルバレスは、ある情報源を使って、些細な、そしていささか無関係な点を支持し、同じ情報源が、同じ文の中で述べた彼の主要な点に反論しているのだ!

もちろん、なぜ第2次世界大戦の章は読まずに、戦前のウィプフらの章だけを読んだのか、その理由を知りたいと考えている。ガス車は戦時中に使われたものなのだから、戦時中にザウラーが何をしていたかを見るのは、ある程度意味があったのではないだろうか? あるいは、本を読んでもいないのに、本の関連する章の読み方を知らない誰かから情報を渡されたのだろうか。何が問題だったのかは、アルバレス本人にしかわからない。

ガソリンエンジン搭載のフランス製ザウラー

以下は、同じ指摘をする新しいソースである。

ドイツ軍のフランス戦車計画では、ザウラー社は終戦まで4.5トン車の生産者として登場しており、6気筒キャブレターエンジン、7970ccの3CT 1型と6気筒ディーゼルエンジンの3CT 1 D型である。

(シュピルベルガー 、『ドイツ国防軍の鹵獲された自動車と戦車』、p.77、拙訳)

なお、アルバレスはシュピールベルガーの別の本(『ドイツ軍の特殊装甲車』;アルバレス、『ガス車』、p. 97参照)を引用したが、殺人ガス車の一部は、例えば、ダイヤモンドTなど、鹵獲シャーシに基づいていたと思われるので、これは鹵獲車に関する本よりもはるかに関係がない。

殺人ガス車のガソリンエンジン

アインザッツコマンド8のモータープール、ヘルマン・B.

すでにGワゴンはガソリンを大量に使うため、「やむを得ない」運用にしか使われませんでした。

(1964年3月2日のBの尋問、ヤド・バシェム文書[以下、YVA]、TR.10 File 1118 item 3528038, p. 104, 拙訳;1963年5月20日の以前の尋問で、Bはガス車がザウラー社製であったと供述している)

ガス車は100キロメートルあたり約35リットルのガソリンを使い、ガス処理の間は高回転数で走っていたので、私はアインザッツコマンド8のリーダーと会いました。ガソリンがなかなか手に入らず、Gビークルの使用量を減らすことを実現したかったのです。

(1964年5月21日の尋問、YVA TR.10 File 1118 item 3528038, p111、拙訳;ガス車運転手ヨーゼフ・ヴェンドルによると、彼のザウラーは100キロで約30リットルのガソリンを消費した、1970年10月6日の供述、YVA TR.10 File 1118 volume 9、p688;ザウラー2CRv 5トントラックは、工場仕様では100kmあたり約28ℓのガソリンを消費した(コパックス、Die Österreichischen Saurer-Werke, vol. 2, p. 163参照

ハインツ・シュレヒテ、アインザッツコマンド8のガス車運転手。

Gワゴンは、ザウラーというメーカーの非常に強力なガソリン・エンジンを搭載していた。4500〜5000ccだったでしょうか。

(1963年1月25日のシュレヒテの尋問,YVA TR.10 File 1118 5, p537,拙訳)

... これはガスワゴンだと聞いていました。ただ、こんな大きな車にディーゼルエンジンではなく、ガソリンエンジンが搭載されていることが不思議でした。

(1964年11月6日のハインツ・シュレヒテの尋問、YVA TR.10 File 1118 5、p581)

ヴィルヘルム・フィンダイゼン、ゾンダーコマンド4aのガス車運転手。

キャブレターのサイトグラスはいつも凍っていました。

(1967年11月23日のフィンダイゼンの尋問、Bundesarchiv [BArch], B162 / 18154, p.102)

ドイツ国防軍も使っていたノーマルガソリンで、ガスワゴンを走らせたんです。

(1968年12月30日のフィンダイゼンの取り調べ、BArch, B 162 / 17919, p. 111, 拙訳)

ビクターW、ゾンダーコマンド4aモータープール。

ブローベルの命令で、私はただガスワゴンにガソリンとタイヤを供給することになりました。

(1966年5月11日の尋問、BArch B162 / 18154, p.107)

彼[ブローベル]は、この車は我々のコマンドのものではない、私はただガソリンを供給する必要があると言いいました。

(1969年2月17日のW.の取り調べ、BArch B 162 / 17920, p. 468)

フリードリッヒ・メルバッハ、ゾンダーコマンド1bのモータープール/ミンスクの治安警察司令官。

また、ガスワゴンに必要なガソリンがあるかどうかも確認しなければなりませんでした。

(1959年10月12日のメルバッハの尋問、BArch, B 162 / 4776, p.56)

アインザッツコマンド6のコマンドリーダー、ロベルト・モア。

ガス処理はドライブ中に車内で行うべきでした。私の部隊は全体とは何の関係もありませんでした。ザッケンロイターは数人の部下と一緒に、私の部隊からガソリンと食料を調達する可能性があっただけです。

(1960年3月22日のモーアの尋問、BArch B 162 / 1570, p.59)

ヴァルター・V、アインザッツコマンド6。

ロストフではガソリンを節約するため、ガス車は使われなくなったようです。

(1961年12月1日の尋問、BArch B 162 / 1570, p.232)

ザウラーガス・バンの起源はフランス+もうひとつのガソリンエンジン

ヨーゼフ・ヴェンドル、アインザッツコマンド8のガス車運転手。

フランスの「ザウラー車」、5トン、箱型の車体・・・6気筒のガソリンエンジンを搭載していた。

(1964年3月10日のヴェンドルの供述、YVA TR.10 File 1118 item 3528038, p.28, 拙訳)

投稿者:ハンス・メッツナー@2016年03月01日(火)

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ガスバンに関するアルバレスの反論の更新2回目:ディーゼルの問題はなぜ関係ないのか?

ガスバンに関するアルバレスへの反論
第一部:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由(更新1、2)
第二部:プロデューサーガス
第三部:フォードのガスワゴン(更新)
第四部:ベッカーレター(更新)
第五部:刑事技術研究所へのラウフ書簡(更新1、2、3、マットーニョとここ)
第六部:ターナー・レター
第七部:シェーファー、トゥルーエ、ラウフのテレックス
第八部:アインザッツグルッペン Bの活動と状況報告(マットーニョについて参照
第九部:ジャストメモ
第十部:アインザッツコマンド8のメンバーに対する西ドイツの裁判
第十一部:シンフェロポリのアインザッツグルッペン D

ザウラーや他のガスバンのガソリンエンジンについて、「ディーゼル問題」が無関係であることを示す3つのさらなる追加事項。

ゼノン・ロッサ、コウォにあるクラフト社の自動車整備士。

エンジンはザウラー社の6気筒で、ガソリン(ベンジン)を使っていました。

(1945年6月15日の尋問、国立記念研究所アーカイブGK 165/271, Volume I, p.43)

ルドルフ・シュ、アインザッツコマンド11b。

ガスバンはガソリンエンジン[Benzinmotor]を搭載した3.5トンか5トンのトラックでした。

(1962年7月23日の尋問、Bundesarchiv, B162/1053, p.1226)

フリードリヒ・Pr.、治安警察自動車部部長。

最初の車両はGa.親衛隊長の5台のザウラーで、他の10台のザウラーはBal.親衛隊長のものでした。[...]以前、Ju.さんが「この車はどうしたらいいんですか」と聞いてきたことを今でも覚えています。私は、「この車両はロシアでは使えない。せいぜいドイツで使うくらいだ」と答えました。しかし、このガソリン車(Benzinfahrzeuge)の容積が5リットルであったため、問題になる可能性がありました。

(1961年9月26日の尋問、Niedersächsisches Hauptstaatsarchiv, NDS. 721 Hannover Acc.97/99 Nr.10/13, p. 4)

▲翻訳終了▲

以上、ガス車については、ディーゼル否定論でやっつけようとしたところで、全くの無意味であることがわかります。ここでも、修正主義者たちは、歴史的事実を精査しようとはせず、否定説をどう組み立てていくかにしか考えが及んでいないことがわかります。もし以上のように、ガス車についてエンジンの種類に言及したほとんどの証言がガソリンエンジンであることについて知っていたのなら、ディーゼルエンジン説をしつこく唱えるはずはなかったと思います。

いずれにせよ、ガス車について、「ディーゼルエンジンだからウソ」説は脆くも崩れ去ったのでした。


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