石川優実氏は偉い!称賛する!:トランス女性問題〜いつまでも被害者のままでいたい一部の女性達。

私は以前、石川優実氏を批判した。ひとつはKuToo本である。

ここに書かれた見解のほとんどは今も撤回する気はない。名誉毀損になっていて、本は読者を騙している、という見解は変わらない。ツイッター上のやり取りを、形式を変更して、読者にそうしたやり取りが実際にあったという印象を与えて、実は違いますとは一言も説明していないのであるから、これを認めるわけにはいかないし、引用した「クソリプ」をそのまえがきで現代書館がまるでその人達を犯罪者であるかのごとくに表現しているのは許せない。

しかし。

トランス女性問題を巡って、石川氏が最近Tweetで示した解釈は、全くのまっとうなものであり、ほぼ非の打ち所がない。例えばこうである。

全くそのとおりなのだ。

いわゆるシス女性、すなわちマジョリティとなる生物学的女性でありかつ自認も一致する女性(そもそも自認なんか問題にもしないだろう)が、何ら不自由なく社会の中で女性として扱われて、それ自体には何の不自由もないのに、女性であるが故に性差別を受けるとか、性犯罪被害者になるから別に女性が特権であるわけではないとか、そのことを無視するというのはふざけている、・・・・というがおかしいのである。

トランス女性に向かって、自分たちは手術くらいしろと言うくせに、ペニス付けて性別変更を言われたら、君たち不平不満を言う女性は怒るだろ? と。だから石川氏はこういう。

トランス女性はトイレで苦労しているのだ。マジョリティ女性が女子トイレに入るのに悩んだりするか? バレて迷惑になったらどうしようだとか、男っぽい見栄えだから男子トイレを利用したほうがいいのかなぁだとか、そういう問題を起こさないように予定をしっかり立てて事前に多目的トイレの位置を確認しておくとか、はたまた通報されたらどうしようか、だとか、そういう事にならないよう日々パス度に気をつけるだとか、マジョリティ女性がそんな苦労をしたことあるのか? と。な~んにも考えずにただ女子トイレを利用していただけであろう。

不安になること自体は分る。トランス女性は生物学的には男性であり、いくら心が女性だと言われても、理解し難いからだ。一般世間的にもそんなに認知は進んでおらず、いくら社会の変化だとは言え、どうしてその変化にマジョリティ女性が合わせなきゃならないのか? という不満も理解出来よう。

しかし、そもそも女性差別問題だって、社会全体で、男女格差解消などの環境改善努力を図ってきたのであるし、みんなで考えてきたからこそ、改善が進んできたのである。障碍者にしたって、例えばバリアフリーだったりして、うまく共存を図ろうとしてきた努力を続けているのである。

石川優実さんから少し外れるけれど、男社会と言うけれど、男社会は見方を変えれば、女性を優遇してきたのである。これは見方の問題であるから誤解してほしくはないが、例えば家事だけをやっていたらいいと、社会の一線から外して「家内」として家事労働に付いてもらったら、お金を稼ぐという労働の苦労をする男が頑張るから、ということだ。こうした不均等な旧来の考え方が、要は駄目だったわけだ。それが却って女性差別を引き起こす一つの要因になってしまったから。

ところがこうした事を言うと、マジョリティ女性の一部は猛反発する。ひろゆきがハフトンポストのインタビューを受けて、ただの印象話をしたら、猛批判を受けた。「女性を馬鹿にしてるのか! 家事だって大変なんだぞ! 苦労を知らんのか!」みたいな。

起こる人は、この記事の一部だけを読んで他を全然読んでいないのである。ここしか多分読んでいない。

西村:僕は専業主婦の家庭で育っていて、「女の人が働かない」ことがいかにラクか見えていましたし。母はたまにパートして稼いだお小遣いで旅行に行ったりしていましたが、僕は父がそうやって旅行しているのを見たことがないんですよ。
西村:うーん、女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない。けど男性はイケメンでも二十歳過ぎたら仕事ができないと行き詰まるよな、という感じで。

上はひろゆき自身の画像としてよく出回っているひろゆきの「ただの感想ですよね?」だし、下は一般的にそう思われてるんじゃないかというただの印象を述べただけである。

話をもとに戻すけど、結局はトランス女性を嫌がるマジョリティ女性たちは、自身がこうだと思う「女性性」を絶対に手放そうとしないのである。何故ならば、彼女達を怒らせると分かりきった上で言うけれど、被害者ポジションを絶対に手放したくないから、である。それを脅かされては、困るのだ。「女性はいつも被害者なんだぞ!」とこればっかり言いたいだけなのだ。

あのねぇ・・・・いつまでも被害者でいていいわけないだろ。

だから前にも書いたけれど、悪いのは男ではなく加害者なのであって、あるいは女性蔑視的な考え方なのであって、敵は「男」ではないのである。例えば、自分の家族が交通事故にあって死んだからと言って、車を社会からなくせ! なんて人はいたとしても珍しいだろう。そうではなくて、もっと安全になるように自動車の安全対策を高めたり、交通安全運動やったり、場合によっては厳罰化を図ったりして、不幸な事故そのものを減らすことに努力は注がれるのだ。こうして、被害者は減っていくのである。実際交通事故死亡者数は激減している。

であるからこそ、マジョリティ女性は社会の全面に出てきてみんなと一緒に本質的な、性犯罪なら性犯罪の解決を考えていく一員になるべきであって、いつまでも「男は性犯罪予備軍だから私達女性は関係ない!」と言ってたって何も解決などしないのだ。性犯罪は性犯罪として酷いに決まってる。その女性の一生にまで関係するわけだから、軽く考えてはいけない。だったら安易に男を悪者にばかりしてないで、より実行力のある解決方法を模索しなければならないのではないのか。女性専用車両だけでは痴漢問題は解決しないのである。


さて、ともかく、トランス女性の件に関する限り、石川氏の言っていることはほんとに素晴らしい。で、この問題が起きて、石川氏から離反するフェミニストが次々に現れている。それまで石川氏と仲良くしていたはずの多くのフェミニストが、あっという間に手のひら返しで石川氏を批判している光景。石川氏にブロックまでされて離縁状を突きつけられている人も結構いるようだし、困惑が広がっているようにさえ見える。

私自身は、フェミニスト自体がネット上で嫌われ者の名刺のようなものになっていて、そのままヘイト対象としてのラベリングになってしまっていて、さらには、石川氏が性被害を自身で訴えたりした経緯などもあるし、フェミニストたちと連携をるような形でネット上等で活動してきたものだから、ある程度はそれらの離反したようなフェミニストたちの考え方にも影響されたりしたことも相まって、叩かれる象徴みたいな雰囲気に陥ってしまったんじゃないかと思っている。

そもそもそれらの離反したフェミニストたちだって、他から色々と影響を受けていて、全く矛盾した考え方になってしまっているような気はする。党派性ってやつだな。「うんうん、私もそう思う」みたいな、そういう協調路線を取らないと上手く世間を渡っていけない、みたいな。・・・ともかく。

さて、つい最近Netflix で素晴らしいトランスジェンダー問題の動画が公開された。ハリウッド映画の歴史におけるトランスジェンダー差別の様子を描いたドキュメンタリーである。こいつが素晴らしい。加入者なら一度見て欲しい。他にもこの問題についての関連動画はあるが、ネトフリはやっぱりいいねぇ。

Netflix:トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして



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