ゲッベルスの日記は捏造?/日本人によるオリジナルのホロコースト否定論の紹介。
註:この記事は、はてなブログの方で書いた記事をただ単にこちらに自分自身で転載したものです。但し、転載の前に若干追記しておきます。「ゲッベルスの日記 捏造」でググると、2023年8月現在、一番トップは以下のページが検索ヒットするはずです。
これは、レビュー欄に以下のような記述があるためです。
そんな通説は一般にはありません。一部の人の間でだけ通説になっているものと考えられます。詳細については後述の転載部分で説明していますが、それを読むとわかると思いますが、ゲッベルスの日記に書かれたカチンの森に関する問題の記述の元は何かというと、実はゲッベルスの日記それ自体ではなく、日本の小説家である逢坂剛氏が一九九二年十一月号の『中央公論』で書いた記事が発端のようなのです。
で、以下のようにこれが日本のホロコースト否定派に伝わります。
逢坂剛氏が、カチンの森事件は既にソ連の犯行だと判明していた時期に、ゲッベルスの日記にそれとは間逆の事実(つまりドイツがやったと認めている)が書いてあることを知り、その記述に首を捻っているというようなことを中央公論に書く。
それを、狂信的スターリニストが発見し、ネットに逢坂氏の記事のその一部を引用し、事実はドイツの犯行であった!のように書く。
ある日本のホロコースト否定者が、欧米の歴史修正主義者の中にゲッベルスの日記に信憑性に疑義を呈している人が人がいることを知りつつ、しかしその疑義の示し方が弱いと感じたのか、ネット検索でその狂信的スターリニストのホームページを発見。
カチンの森事件はソ連の犯行とソ連自身が証明していたので、カチンの森事件をドイツの犯行と記述したゲッベルスの日記こそが捏造に相違ないと判定した。
推測が混じっていますが、まぁこのような流れで間違いないと思われます。上で示したAmazon掲載の本も、もちろん読んではいませんが、2の人と同じ仲間なのかもしれません。ともかく、発端は逢坂氏の記事なのです。
ゲッベルスの日記にはホロコースト否定派には認めたくないような不味い記述があるので、ゲッベルスの日記が捏造であれば喜ばしいことになります。で、上のような流れで目出たく否定派にとっては、捏造として良さそうだと思われたのでしょう。
ところが、Amazonにある本の著者はどうしたかは知りませんが、おそらく誰一人、上の流れの中でゲッベルスの日記それ自体(と言っても原本それ自体ではなく出版物ですが)を確認した人はいないようです。唯一が逢坂氏です。でもですね、このような場合、普通は最低でも逢坂氏が参照したであろう出版物くらいは確認すべきなんじゃないでしょうか? 後述する通り、出版物名こそ明確にはされていないものの、逢坂氏はゲッベルスの日記には当時、四種類があったとは記述していたのですから、問題の部分が日本語版にはなく英語版だったとしても、調べようと思えば可能だったはずです。
というわけで、原典を確認していないという杜撰さはあるものの、このゲッベルスの日記捏造説は数少ないホロコースト否定論における日本オリジナル説ではあります。一応調べましたが、ゲッベルスの日記におけるカチンの森事件ドイツ犯行説を利用した捏造論は、少なくとも英語圏には見つかりませんでした。
実際そんなのあるわけありません。この説の大元になっている逢坂氏の疑問は、単純に逢坂氏の考察不足、要するにほんの少し考えが足りてないだけ、だからです。
では以下転載です。なお、単純なコピペですのではてなブログの方で勝手に入ってしまう語句説明用のテキストリンクがついていますが、関係ないリンクになっているものもありますのでご注意願います。
ゲッベルスの日記は捏造?
1.ゲッベルスの日記の出所
ヨーゼフ・ゲッベルスと言えば、ナチスドイツの国民啓蒙宣伝大臣として有名ですが、彼はまめに日記をつけていたことでも知られています。一般に、日記は歴史史料として非常に価値があるものとされることが多く、その理由は日記は通常、その日のことはすぐに記録されるからであり、しかも当事者自身が書いていることもありますし、さらには日記は普通は公開を前提としないプライベート的な意味合いも大きいため、それだけにやばいことが真実味を持って書かれていると考えられることが多いのです。ゲッベルスはナチスドイツの政権中枢にいて、しかもヒトラーの側近の一人ですから、ナチスドイツの真実を知る上でゲッベルスの日記は極めて重要な史料なのです。
ゲッベルスの日記は1926年からつけられていたそうですが、うち、政権を取った時期の日記については、ゲッベルス自身がまとめて、1939年に出版しています。では残りの部分についてはどうなったのでしょうか? 実は、日記の原本はちょっと特殊な経緯を経ることになります。英語版ウィキペディアから以下にその解説を紹介します。
これによるとゲッベルスの日記として知られる原稿には2種類あって、
マイクロフィルム化された原稿(ガラス板の箱入り)
手書き及びタイプされた紙原稿
があることになります。一応、ドイツ語版Wikipediaも確認しておきましょう。
ドイツ語版Wikipediaでも日記の原本は同じですね。
しかし、発見者がデヴィッド・アーヴィングじゃなくてエルケ・フレーリッヒになってますね。どっちが正しいのかまでは知りません。但し、アーヴィングがソ連からそのガラス板を勝手に持ち出した事実は、リップシュタット裁判で争点の一つとして出てきますので、アーヴィングが発見者の一人であったことは間違いなさそうです。
しかしその後、学術的資料として、ゲッベルスの残した膨大な量の日記を出版物に編纂したのはエルケ・フレーリッヒ(他)です。
2.ゲッベルスの日記には何が書いてあるの?
私自身はゲッベルスの日記を読んだことがあるだなんて到底言えないレベルしか知りませんが、ホロコーストに関し、否定派にとっては非常にまずい記述があることは知っています。有名な1942年3月27日の一説は以下のとおりです。
時期と内容から、これは明らかにラインハルト作戦のことです。つまり、どうにかして否定派にはこれらのまずい記述を否定する動機があると言うことになります。
3.ゲッベルスの日記を捏造と主張したツイッタラー
この種の投稿を初めて見たのは2021年だったかと思うのですが、一体どういうことなのか調べたくなって、その付加されているリンクを踏んでみました。すると、確か今年(2023年)の4月頃に存在しなくなった、かつては有名なホロコースト否定論サイトだった「ソフィアの逆転裁判」がネタ元だったのです。Webアーカイブには保存されていますので、当該部分をスクショしましょう。
当該ツイッタラーは、これもまた有名な否定派の小冊子であるリチャード・ハーウッドの『600万人は本当に死んだのか?』の主張をガチで信じている人なのですが、反修正主義者の間では、デタラメばかり書いてあることはよく知られています。私も自分自身で調べて呆れ果ててしまいました。
それはさておき、上のハーウッド本の引用文はなんと書いてあるかと言うと、
ブラウニングとは、日本では『普通の人々: ホロコーストと第101警察予備大隊』で有名なホロコースト研究者のクリストファー・ブラウニングのことです。ウェーバーとは、かつてはホロコースト否定派の総本山だった歴史評論研究所(IHR)の所長であるマーク・ウェーバーのことです。但し、『600万人』の頃はまだIHRはありませんでした。
ところで、先に当該ツイッタラーの主張の中にある「正史においてもこの日記は偽書とされている」について述べておきましょう。答えは、そんな事実はありません、で済みます。すでに、エルケ・フレーリッヒによって日記全てが編纂されている、と示したとおりです。多くの歴史家がそれを利用しています。また後述しますが、実はマーク・ウェーバーでさえ本物だと認めているのです。
さて、「ソフィア」の著者は「アメリカ政府自身は、日記の正確性については一切責任を取らないと表明」だけでは、偽造とするには根拠が薄いと思ったのかもしれません。他の論拠をどうにかネット検索を駆使して探し出してきたようです。それがツイッタラーの書いている「その複製には「カチンの森は我が国ドイツの仕業」と書かれ」です。
追記:ちなみにこの「カチンの森」の記述を根拠にしたゲッベルス日記の捏造説は調べた限りでは日本のネット上でのオリジナルの説のようです。結構頑張って検索してみましたが、少なくとも英語で検索する限りではそんな議論は全く見つかりませんでした。
カチンの森事件は、ソ連崩壊の直前、当時のソ連共産党書記長であったゴルバチョフが実施していた、情報公開政策であるグラスノスチで、カチンの森事件はソ連の犯行であるとそれを証明する文書を唐突に出して世界を驚かせていたのです。それまではソ連はカチンの森事件はナチスドイツの仕業だと主張していました。従って、カチンの森事件の真犯人はソ連であるとわかっているので、ゲッベルスの記述は事実に反していることになります、もし本当にそう書いてあったのなら。
4.ほんとにゲッベルスは「カチンはドイツの仕業」と日記に書いたの?
で、例示したソフィアのページのその下を読んでいくと、以下のような参考資料の引用があります。
ソフィアの著者はこれを見つけてきっと小躍りしたに違いありません(笑)。しかしまぁ、確かにそう書いてあるようには見えますが、その「アドレス」として示されたリンクはどうなのでしょう? ……と思って、Webアーカイブにあるそのページの冒頭を見て椅子からひっくり返りそうになりました。
少し読み進めるだけで眩暈がしそうな、スターリニストの共産主義者の主張が怒涛の如く続いています。「もっと他になかったの?」と思うところではありますが、このページから、「ゲッベルス」をよく間違えられる「ゲッペルス」に変更してテキスト検索すると……ありました。引用は上で済んでいますので再度は示しませんが、確かにそう書いてあります。
しかし、そこでさらに登場してくる小説家の逢坂剛氏がそんなことを書いたのは本当なの? がまだ未確認です。ええ、図書館行ってきました、わざわざそれだけのために(笑)
図書館で「コピーするまでもないな」と写真撮ってきただけだったのですけど、綴込みの部分がうまく撮れていないことに気づかず、失敗(笑)。しかし、確かにそう書いてありました。逢坂氏も、グラスノスチでソ連の犯行説は確定しているのにこれは変だと「カチンの森の事件をナチス・ドイツの犯行と自認したのは、いったいどういうことなのだろうか。ゲッベルスの日記の全貌が明らかにな った今、ぜひ専門家のご意見を聞かせてほしいと思っている。」として首を捻っておられる様子です。
ただ、残念なことに、逢坂氏がいったいどのゲッベルスの日記資料を読んだのかまではこの記事には書いていなかったことです。
また、逢坂氏がその後、専門家の意見を聞いたのかどうかも定かではありません。この日記の記述部分に関する真相を確かめる方法はないのでしょうか? しかしゲッベルスの日記の当該部分を含む資料本は日本にはありません。一体どうすれば? 途方にくれるしかないのでしょうか?
……いえいえ真相を調べるのは意外と簡単でした。
5.英語版ウィキペディアにあるカチンの森事件の解説から。
逢坂氏も早合点過ぎるか、あるいは逢坂氏が参照したであろうゲッベルス日記の資料をちゃんと読んでいないのではないか、と思われます。逢坂氏は同記事で、1992年以前からすでに出版されていた四つの日記本のうち、その二つが「邦訳されていない」と不満を漏らしておられます。その邦訳されていないうちの一つの記述期間が1942年1月21日〜1943年12月9日まで、とご自身で記述されているのです。これは、逢坂氏の示している日記の範囲が含まれています。
英語版ウィキペディアのカチン虐殺に、同じくその範囲に含まれている別の日のゲッベルスの日記に以下のような記述があるのです。
まず、この脚注53は何かというと、「Goebbels, Joseph; Translated by Lochner, Louis (1948). The Goebbels Diaries (1942–1943). Doubleday & Company.」とあり、これは逢坂氏が同記事で邦訳本がないと不満を漏らしているうちの一冊なのです。上の引用で強調した「GPU」とは何かと言いますと、日本語では「国家政治局」や「国家政治保安本部」と呼びまして、あのKGBの前身組織の一つなのです。つまり、ゲッベルスははっきりここでカチンはソ連がやったと言っているのです。多分ですけど、逢坂氏が見ていたのはこの本のはずなので、同じ日記の中で、一方ではソ連がやったと言い、一方ではドイツがやったと書いていること、先ずはそれ自体がすでに矛盾していると気づくべきだったのです。
そして、問題の箇所のゲッベルスの日記の記述です。同じWikipediaの記述から。
逢坂氏の当該記事でも同じ箇所が以下のように示されています。
カチンの森事件をよく調べたわけでもない私が掻い摘んで解説すると、当時、ドイツがカチンの森でポーランド将校が大量に埋葬されていることを発見すると、これを世界中に大々的に報道します。ゲッベルスは宣伝大臣ですから、それがお仕事なわけです。
その宣伝目的を解説すると、先ず、ポーランド亡命政府がロンドンにあり、発覚する前から、ソ連に捕虜になっていて解放されたはずのポーランド将校が行方不明になっていることを訴えていたのです。もちろんソ連が捕虜にしたことはわかっているのですから、ソ連が大きな疑惑の対象でした。ソ連は当然知らんぷりです。満州の方向にでも行ったんじゃないか?とかすっとぼけていたようです。
そうした状況の中で、先にソ連が占領していたカチンの森地域を、独ソ戦開始とともに一気に占領したドイツは、1942年末か1943年初頭ごろ(時期については諸説あり)にそれら大量埋葬墓を発見したのです。そこで、それを聞きつけたゲッベルスは計略を思い立ちます。同英語版Wikipediaによると、
とあります。要は、カチンの森事件を利用して連合国であった米英とソ連の分断を図ろうということです。しかしゲッベルスの目論見は外れます。連合国の最優先事項はナチスドイツを打破することにあったので、連合国はソ連がたとえカチンの森事件の容疑者であろうとも、ソ連との関係を切ろうとはしなかったのです。これらの諸事情は、上で紹介しているWikipedia英語版「カティンの大虐殺」に詳しく書いてありますのでご一読願います。
ソ連はソ連で、カチンの虐殺はドイツの仕業だとアピールし続けました。そして、カチンの森をソ連が取り返すと、ゲッベルスが上の日記のように予想したとおり、今度は逆にソ連が現地調査を行なって「カチンの森はやはりドイツの仕業だった!」と宣伝を行うに至るのです。
こうして、歴史事実に即して解釈するだけで、ゲッベルスの日記に書かれたそれは、要するに、カチンの地域をソ連に奪われるのは間違いないので、今度はソ連が「われわれが調べたらやはりドイツの仕業だった!」と発表するに違いない、と英語版Wikipediaの引用解説にあるように「予測」を述べているだけであることがわかります。ソ連は確かに、ブルデンコ委員会によってドイツの仕業だったと結論づけ、それを世界に喧伝しました。
逢坂氏もこれらの経緯についてご存知なかったはずはないと思われますので、もうちょっと考えて欲しかったなと思うところです。
6.IHRのマーク・ウェーバーも本物だと認めていた。
さて、そのマーク・ウェーバーは確かにツンデル裁判の証人として出廷した時に、ゲッベルス日記について、ハーウッド本の記述に従うようなことを述べたようなのですが、実は完全にゲッベルスの日記を本物だと認めているとしか読めない発言を行なっています。なんと、その論述はIHRのサイトに今もあるのです。それは以下で読めますが、この記事の本題は、マーク・ウェーバーが、ホロコースト否定は成功していないとして「ホロコースト修正主義は助けになるのと同じくらい邪魔になることが証明されている。」とまで述べて当時物議を醸していたことにあります。
この中で、ゲッベルスの日記から三つほど、肯定的に引用されています。
以上、「アメリカ政府自身は、日記の正確性については一切責任を取らないと表明した」ことなど、一部はっきりさせられなかったことはありますが、ゲッベルスの日記が捏造であった証拠などかけらもないことくらいはお分かりいただけるかと思います。
たった百文字と少しのツイート文章に、実質八千文字も費やさないと論証できない(手間も結構かかってる、図書館調べとかw)のがなんだか納得できないものもありますが、ファクトチェックはこればかりは致し方ありません。
追記:実は、マーク・ウェーバーがもっとはっきりゲッベルスの日記の信憑性を認めているネットの記事があったのですが、見失ってしまいました。確か、その記事の中ではマーク・ウェーバー自身が出ている動画があって、そう話しているのです。見つけた方いらっしゃったらコメント欄にでもご教示願います。私自身どうやってそれを見つけたのか思い出せません(笑)。
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