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ホロコースト否認論を否認するテスト-14山崎カヲル氏による「さまよえるVergasungskeller」の痛快さ。

2000年前後頃に、西岡昌紀氏や木村愛二氏を相手にホロコースト議論をしていた高橋亨氏や山崎カヲル氏の見解はかなり痛快です。それ故、日本の否定派界隈は高橋氏や山崎氏に対し精神的優位性を保つためだと思いますが、意味不明の余裕をぶっこく以外に対抗策はなかったようです。それはそれとして議論自体はかなり痛快で、読んでいて笑いを堪えるのは難しいのですね。木村愛二氏が本多勝一氏や週刊金曜日を訴えた裁判で、完璧に敗訴しているのに「実質的大勝利」というセリフを吐いたのを見て、笑いを超えてほんとに肩を落とすくらいため息しか出なかったのですが、そのリンクで示したWikipediaでは別の裁判でも「木村の側では「形式上敗訴なれど主目的達成と波及効果で事実上の圧勝」としている」らしいので、この人は裁判に負けても勝ったとしか言わない変人なのでしょうか。あんまり言い過ぎると私が名誉毀損で訴えられかねませんので、表現は慎むこととします。

さて、今回はその山崎氏による面白い議論の中から特に個人的に面白いと思ったものを紹介します。引用は最低限度として、ほとんど山崎氏と同じことしか書かないかも知れませんが、出来るだけ自分の文章で書くこととします。元ネタはこちらのリンクの30〜33番目、です。

『アウシュヴィッツの争点』が振りまく虚偽

当然ながら山崎氏の秀逸な議論を読めばいいだけなのですけど、ともかく面白いので自分で解説したいのです。先ずこの記事のタイトルにある"Vergasungskeller"なるドイツ語は何か? です。これは「ガス室」になるようなのです。ドイツ語全然知りませんけど、翻訳エンジンによってはそうなります。

注)この記事を書いた後に判明したのですが、ドイツ語をよく知らないのでそもそものドイツ語を勉強しないととは思うのですけど、それは遠い話なので、"Vergasungskeller"なる用語についてだけ判明したことを言います。この言葉は一種の造語なのです。つまりこうであると。

         Vergasung(s) + keller

そして、"Vergasung"は英語で訳すと"gas"(ガス)、"gasify"(ガス化)、"carburet"(これは日本語が難しい、直訳は「炭化」なのですけど、キャブレターの元になる単語で空気と燃料を混合する、つまり結局はgasifyと近い意味もあります)なのです。kellerは地下を意味するようです。それで以下に出てくる話、バッツが"Vergasungskeller"とは石炭を気化する設備のが地下にあったのだ、とする話に繋がるわけです。しかし、これも後で知りましたが、バッツって正直言って、異常変態解釈魔と言って差し支えないでしょうね。他のことを知るととてもまともな人物とは思えません。電気工学の大学教授さんだったらしいですけど、信じ難いものがあります。私自身だってそんなにまともではないという気もしてますけど、流石にバッツには届きそうにありません。

実はこれ、「この1943年1月29日の手紙は、カール・ビショフ親衛隊上級大尉がハンス・カマー親衛隊上級大佐に(アウシュビッツの)クレマトリウムIIの進捗状況について書いたもの」の中に出てくる表現なのです。ナチスドイツは徹底的にガス室大量殺戮という大犯罪の隠匿に務めたため、ヤバい表現は別の言葉に「言い換え」たので、なっかなかしっぽを掴ませません。でも、油断したのか稀にこうした表現を記述した文書が残っているわけなのです。実際の文章はこうです。引用はこちらから。

Das Krematorium II wurde unter Einsatz aller verfügbaren Kräfte trotz unsagbarer Schwierigkeiten und Frostwetter bei Tag- und Nachbetrieb bis auf bauliche Kleinigkeiten fertiggestellt. Die Öfen wurden im Beisein des Herrn Oberingenieur Prüfer der ausführenden Firma, Firma Topf u. Söhne, Erfurt, angefeuert und funtionieren [sic] tadellos. Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungskeller hierfür benützt werden kann.
Die Firma Topf u. Soehne konnte infolge Waggonsperre die Be- und Entlüftungsanlage nicht wie von der Zentralbauleitung gefordert rechtzeitig anliefern. Nach Eintreffen der Be- und Entlüftungsanlage wird jedoch mit dem Einbau sofort begonnen, sodass voraussichtlich am 20.2.43 die Anlage vollständig betriebsfertig ist.
Ein Bericht des Prüfingenieurs der Firma Topf u. Söhne wird beigelegt.

クレマトリウムIIは、昼夜を問わず、言いようのない困難と凍てつくような天候にもかかわらず、わずかな構造物の細部を除いて、総力を挙げて完成しました。オーブンは、作業を担当したエルフルトのTopf & Sons社の主任技術者プリュファーの立会いのもとで焼成され、完璧に機能していました。死体安置所の地下室の鉄筋コンクリートの天井は霜でまだ打てませんでした。しかし、ガス室を使用することができるので、取るに足らないものです。
Topf u. Soehne社は、中央工事管理者の要求通りに換気システムを納期通りに納品することができませんでした。しかし、曝気・換気システムの到着後はすぐに設置工事が始まるので、おそらく20.2.43には完全に稼働できる状態になると思われます。
会社Topf u. Söhneのテストエンジニアによる報告書が同封されています。

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これは、山崎氏解説によれば、戦後の軍事裁判であるあのニュルンベルク裁判に「ガス室」の動かぬ証拠として提出された、とあります。そうするとこれは否認派にとってヒッジョーに都合が悪い資料です。どうにかして、この"Vergasungskeller"(ガス室)と書いてある理由を、ガス室などなかったことに読み替えねばなりません。

ところで、山崎氏に習って、山崎氏ほど詳細ではありませんが、ここに出てくるクレマトリウムⅡを簡単に解説しておきたいと思います。こんな構造をしています。

このYouTube動画よく出来てますね(あんまりYouTubeリンクは張りたくないんですけどね、いつなくなるか予想がつかないから)。クレマトリウムⅢも対称形ですけどこれとほぼ同じだったと思います。で、ガス室になっているところは実は設計当初は死体置き場だったのですね。図面の変更経緯があり、そうした設計図面が何枚か残っていまして、当初は死体を地上から下ろすための滑り台も付いていたのですが、設計途中でなくなりました。設計図面の変遷を見る限り、最初はガス室+死体置き場兼用を想定していたものの結局はガス室主体としてしか使う気がなかった、ようにしか思えません(最初は死体置き場が想定されていたとする山崎氏とは私は解釈が異なります)がそれはここでは述べません。ともかく、図面上には"Leichenkellers"、すなわち死体安置所としか書いてはいません。

さて、話は否認派が"der Vergasungskeller"(ガス室)をどう解釈したかです。山崎氏によれば「もっとも徹底した攻撃を加えたのは、米国の否定派アーサー・バッツ」だったそうです。私も以前こちらの記事で取り上げている、ヒッジョーに読みにくい論文で、わけのわからない解釈をした人物だと評価した、こちらで取り上げています。

一体どう解釈したかというと、ガス室と言っているのは「焼却炉で使われるガスを原料のコークスから抽出する設備だ」と解釈したそうです。山崎氏はその文献を脚注で示しておられますが、どうやらそれはこれのようです。

タイトル未設定としかサムネになりませんけど、pdfファイルリンクで、結構重いので開かなくてもいいと思います。542ページもありますので。確かに"Vergasungskeller"で文字列検索するとなんか書いてありますが、バッツの文章は読みにくいので、私は翻訳してまで読む気はありません。山崎氏はさすが大学教授であらせられます。ともあれ、石炭ガス化装置?のことだというのですが、私は科学者でもなんでもないので、どんなものなのかまでは知りません。石炭ガス化の歴史は結構古いようですが、そんなのビルケナウのクレマトリウムで何に使うんや? としか思えないんですけどね。但し、1930年代頃のドイツでは流行っていたそうではあります。以下pdfにそう書いてあります。

木村愛二氏がバッツのような、その当時には既にこんな古臭い否定論を自著に記載したのはここではどうでもいいので飛ばします。バッツがそう言ったのは1976年のことだそうです。ところが1989年にこの界隈では相当有名らしい『アウシュヴィッツーーガス室の技術と操業』という著書が発表されます。ジャンークロード・プレサックという名の薬剤師さんだそうです。読んでみたいんですけど、不可能です。日本語版がありません。国会図書館にはプレサックの別の本はあるようですが、ともかく外国語は読めませんので無理です💦

追記:『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』(J-C・プレサック)はいつ翻訳完成するのかわかりませんが私の翻訳版がここ、その原著がここにありネットで読めます。

山崎氏の記事に戻りますが、このプレサックの研究により「焼却炉の設計・建設を担当したトプフ・ウント・ゼーネ社の資料を使い、アウシュヴィッツでの焼却炉はコークスそのものを原料にしていたのであって、バッツがいうようなコークスの気化はいかなる意味でも必要とされなかったこと、したがって、クレマの地下のVergasungskellerは気化室などではありえないことを、疑問の余地なく明らかにしました」となってしまったそうです。

山崎氏の記事には木村愛二氏の話がまた出てきますがどうでもいいのでここでも飛ばします。

困り果てたバッツは、またしても珍妙な解釈を捻り出しました。なんと、

さて、バッツは1992年になると、プレサクの上記の批判を受け入れて、焼却炉の構造について自分が間違った考えに立っていたとはっきりと認めるにいたっています[4]。  彼はまだVergasungskellerは気化室だという従来の解釈にしがみついていますが、その気化室をクレマの焼却炉とは関係させられなくなったため、困難を回避しようとして、新しい見解を提出します。彼のこの新説によると、気化室はクレマのなかにあったのではなく、その外部にあったとされます。コークスの気化は必要なかったが、死体焼却炉とは異なった目的に使われるガスがビルケナウでは求められており、そのための設備がクレマ近くに建設されたのであり、ビショフの手紙はそのことに言及しているのだ、というわけです。

山崎氏仰るとおり、こんなの何の根拠もないのですが、ではカール・ビショフ親衛隊上級大尉が書いた「死体安置所の地下室の鉄筋コンクリートの天井は霜でまだ打てませんでした。しかし、ガス室を使用することができるので、取るに足らないものです」の死体安置所とガス室とはどこのことなのでしょうか?。これについては実はこんな図面があるのです。

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何に使ったのか知りませんが当時の図面です。こちらから拾ってきました。ご覧の通りLiechenkeller1(LK1)とLiechenkeller2(LK2)と引出線付きで書いてあり、ちょうどL字型に配置されています。否認論者でない人は、上の動画のようにLK1がガス室だと知っています。では、手紙で言っている死体安置所はどこになるのでしょう? というか脱衣所は? となりませんか?

当然脱衣所は動画でわかるとおり、動画で最初に入ってくる部屋ですから、上の図でいうとLK2になります。ということはつまり、手紙で言っているまだ未施工状態の死体安置所とはどう考えてもこの脱衣所、すなわちLK2を指しているとしか読みようがありません。つまり、"Liechenkeller"(死体安置所)はあくまでも、"Vergasungskeller"(ガス室)などと直接書いてしまうと図面等で記録で残ってしまうために、「言い換えてある」と解釈すべき(*)です。それ故LK1こそが"Vergasungskeller"(ガス室)になるわけです。それをつい油断してビショフ大尉が手紙に書いてしまい、誰も気づかなかった、と。

*:と、これを書いた当時は思っていましたが、そうではなく、ほんとに最初は Liechenkeller であり、図面上の記載はそのままだが、運用上の目的が変わった、ということです。しかし上の図面はよく見るとクレマの隣にバラックの長方形が記載されていて、このバラックはクレマの最初期にはここを脱衣所にしていたそうです。ということはつまり、言い換えてあると言えば言い換えてあることにもなります。

ごくごく簡単に考えれば、そう読めてしまう。でも、バッツにはそれは認められません。否認論者にはガス室がLK1だなんて絶対に認められません。ところがプレサックにここでいうガス室であるところのLK1は、コークスの気化設備のある部屋などではない、と明らかにされてしまいました。なのでバッツは困り果てて、Vergasungskellerを外へ追い出すしかなくなってしまったというわけです。でも、そんなのどんな図面にもありませんし何の記録も残ってません。

さて、しかし山崎氏は、バッツの不誠実さを見抜きます。

バッツは少なくとも92年までには、オイゲン・コゴンたちが編纂した『毒ガスによるナチスの大量殺害』という、ガス殺についての基本文献を読んでいます。92年の論文にその本が引用されていることから判ります[6]。同書には、先に挙げたビショフの手紙のほかに、43年3月31日に同じビショフがDAW(アウシュヴィッツ内にあった親衛隊の建設関係企業)に出した手紙が収録されています。したがって、バッツはそれを知っていたはずです。
 このビショフの手紙には、つぎのような文章があります。
「この機会に、クレマ3の死体置き場1のための100cm/192cmの気密ドアの供給についての、1943年3月6日の注文について、注意を喚起しておきたい。このドアは、向かい合っているクレマ2の地下室ドアの型や寸法と完全に同じに完成されるべきで、そこにはゴムのパッキングと保護金具がついた、8mmの二重のガラスの覗き穴もつけられる。この注文は緊要なものとして扱ってほしい。

余談ですが、「オイゲン・コゴンたちが編纂した『毒ガスによるナチスの大量殺害』」って、ある本にそこから引用された証言が沢山出てきて原著で読みたいなぁと思ってたら、これまた邦訳がない。ホロコースト調べてると、この外国語の壁が結構きつい。主要な文献の大半は外国語なので結構厄介なのです。せめて英語くらいはしっかり勉強すべきだった……後悔先に立たず。

話を戻すと、バッツが自著で使った参考文献には、どう考えてもガス室に使用するための扉としか読めない記録の話が載っているのに、そこを無視してると山崎氏は指摘するわけです。正直言って、私もバッツは絶対そこを読んでいるはずだと思います。なのにそれを無視するということは、結局意図ありありなわけです。LK1がガス室だと分かってて、無理やり否認論をひねり出そうとしているだけに違いありません。で、つい、まずい部分を無視するという否認論者にありがちな癖が出てしまったわけです。

しかしそれはともかく、このバッツの議論は否認派にも不評だったので、バッツもそれに気づきます。そして、自分の見解をまたもや変えてしまうのです。1997年のことだと山崎氏の記事にありますね。

 バッツによると、Vergasungskellerは今度は、毒ガス防御設備を持った防空壕なのです!

というわけで山崎氏仰るとおり、忙しいことにVergasungskellerを外に追い出したかと思うとまた中に戻ってきてしまいました。

バッツって何を考えていたのでしょうかね? ほんとにわけのわからない人です。細かい話は山崎氏の解説を呼んでください。ともかくですね、「ガス室」だから、毒ガス防御設備のある防空壕だと牽強付会も甚だしいわけです。そしてですね、このアホな議論をあの映画の『否定と肯定』でも見られたように、デヴィッド・アーヴィングが使っており裁判で突っ込まれる羽目になります。これは流石に山崎氏の記事には書いていませんが、映画見たらわかります。裁判のことはともかく、このおかしさ自体は当然山崎氏の記事にも記述があります。が、ここでは図面を使いましょう。スマホの方は流石に見えないと思いますので、以下の図をタップしピンチして拡大して確認下さい。

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防空壕が必要な親衛隊員がいる場所は" t "です。クレマトリウムⅡとⅢは" a "と" b "にあります。一体、どれくらいの距離があると思いますか? そんな遠い場所に防空壕つくる馬鹿なナチスだったのでしょうか? なので映画『否定と肯定』ではイギリスの名優トム・ウィルキンソン演じるところのリチャード・ランプトン弁護士に「そんな遠い防空壕なんかあるわけねーだろ!」とコテンパンにやられるのです。映画では4kmとオーバーに言ってましたが、2kmとちょっとくらいですかね、それでも十分遠すぎます。

なお、アーヴィングはもっとアホで、このクレマトリウムⅡ・Ⅲのガス室を、死体のシラミ処理に使ったから青酸反応が出たんだと言っては「すぐ焼却する死体をどうしてシラミ処理なんかするんだ!」と突っ込まれ、防空壕の話もしていたものですから、「死体置き場なのか防空壕なのかどっちやねん! おっさん適当なこと言ってるだけやないかい!」と盛大に突っ込まれております。

というわけで面白い議論だと思ったので紹介しました。これに続く木村愛二氏のドイツ語をまるで分かってない話はどうでもいいです。何れにいたしましても、否認論者ってどうしてこうも分けのわからない理屈をこねくり回すのか、憐れみさえ覚えてしまいます。

何なんでしょうね? 否認論大々的にやっちゃったから、引っ込みつかなくなっただけなのでしょうかね? 多分そうだと思いますけど。一旦否認論に落ちると、抜け出てくる人はあんまりいない気がしますからね。

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