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ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(5):フォード車はガソリンだったという話。

ナチス・ドイツが用いたいわゆる「ガス車」については、その実物が全く残っていない上に、写真すら残っておらず(例のマギルストラックの有名な写真は証拠にならないことが判明している)、絶滅収容所のガス室のように固定された場所で活動していたわけでもないので、その実像がなかなか分かりづらくなっています。特に、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建設部に残っていた図面資料なども、ガス車には全く残っていないので、その実像に迫るには証言証拠と文書証拠に頼るしかありません。もちろん、歴史家の研究によってガス車に関する証拠は豊富であることはわかっています。

特にその証言証拠の多くが存在する「裁判記録」ですが、実際のところ、私のような門外漢には、それら裁判記録を当たること自体が難しいのが実情です。集中的にホロコースト否定問題に取り組む私ですら(ど素人の私がいうのも変ですが、敢えて)、裁判そのものの記録を読むことは滅多にありません。翻訳という壁が大きいのもありますが、どこでどんな裁判が行われているのかもあまり知らず、例え知ったとしてもいったいどうやってその記録にアクセスすればいいのかほとんど知りません。従って、ネットのど素人否定派などは、証言証拠が膨大にあることすらその存在すら知らず、プロ否定派の論じた主張を紹介するネットサイト・ホームページやブログサイトの主張を真に受けるのがせいぜいであり、結果、単純にそれら否定主張に騙されているだけなのです。

今回の翻訳記事の内容はまさにそれで、否定派のサンティアゴ・アルバレスによる詐術的主張の話です。否定派は一般にホロコーストの内容を否定することのみに特化しており、否定するためならば読者を騙しても差し支えないとさえ考えているようです。

▼翻訳開始▼

ガスバンに関するアルバレスへの反論:フォードのガスワゴン

ガスバンに関するアルバレスへの反論
第一部:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由(更新1、2)
第二部:プロデューサーガス
第三部:フォードのガスワゴン(更新)
第四部:ベッカーレター(更新)
第五部:刑事技術研究所へのラウフ書簡(更新1、2、3、マットーニョとここ)
第六部:ターナー・レター
第七部:シェーファー、トゥルーエ、ラウフのテレックス
第八部:アインザッツグルッペン Bの活動と状況報告(マットーニョについて参照
第九部:ジャストメモ
第十部:アインザッツコマンド8のメンバーに対する西ドイツの裁判
第十一部:シンフェロポリのアインザッツグルッペン D

1974年6月14日、キール地方裁判所は、元秘密野戦警察隊員ハインツ・リーについて、フォードのシャーシを殺人ガス車として使用したとする判決を下した。ホロコースト否定論者のサンティアゴ・アルバレスが、このケースをやや信頼性に欠けるものとして紹介したため、ドイツのガス車のシャーシを論じる前のパート日本語訳)では、これを無視した。そして、私は彼を信じた! しかし、判決文の全文を見直すと、ドイツ軍がフォードのガスバンを製造し使用したことは、実際に考えられることであることが明らかになった。そして、修正主義者にとって残念なことに、このトラックはガソリンエンジンを搭載していたはずなので、ディーゼルの問題はガスバンには無関係であり続けるのである。

アルバレスがフォードのガスバンの証拠をどう評価したかは、以下のとおりである。

この話の出所は不明である。判決文には「被告はこの記述に反論しなかった」とあるだけで、おそらく全く何も言っていないのだろう。判決文にある他の6人の目撃者は、この即席のガス車について他の人から「聞いた」と主張しているだけである。したがって、この話全体は、確立された事実というより、噂のように聞こえる。

(アルバレス、『ガス車』、p. 234)

このブログの読者の皆さんは、私が弱気になって、アルバレスを信頼して、少なくとも裁判の判決は、最も重要な情報を多かれ少なかれ正しく提示してくれると信じていたことを許して欲しいが、これは、ピエール・マレやイングリッド・ヴェッカートといった人たちに引き継がれたため、結局のところ、この本に対する彼の主要な貢献の1つになっている。もう二度とないことだ。

さて、サンティアゴ、「[ハインツ・リー]は次の部分を認めた:...将軍は、処刑のためにガス車を製造して使用するよう彼に勧めた。彼はその勧めに従った。その車は1週間使用されたが、2週間を超えることはなかった」(『司法とナチスの犯罪』、第29巻、p. 663 f.)が理解できないのか。被告人自身がガス車の製造と使用を命じたことを認めたということだ。ここに伝聞はない。

続けて、「証人のSeは、確かにガス車の旅を覚えていた。しかし、証人はガス車の後ろを車で走っていただけで、乗員を見ていないので...」(『司法とナチスの犯罪』、第29巻、p.663)のどの部分がわからないのか? ドイツ準軍事組織のメンバーがガス車を見たことを記憶しているということである。

最後に、「共同被告人Meiは、[…]警察に対し、ガス車を数回運転したことを認めた」の部分は、難解すぎるのか? 「証人Hanが説明したガス車の旅」(『司法とナチスの犯罪』、第29巻、p. 663)のどの部分が理解できないのか。この車について証言したのは、ガス車の運転手と運転席の隣に座っていた男以外にはいない。

判決文にある「全容」は、「噂のようなもの」ではなく、西ドイツの警察や捜査官に対するドイツ軍兵士の目撃証言によって立証され、さらに、このガス車について聞いた少なくとも5人のドイツ人によっても裏付けされたものである。

「しかし、ドイツ軍がそのようなプロジェクトに必要な量の板金を調達できたかどうかは疑問だ」とアルバレスは主張する。ドイツ軍が東部の鉄くずから、木箱に敷き詰めるのに十分な板金と言うものを手に入れられなかったと、どうして知っているのだろう? アルバレスは、その主張を裏付ける証拠を何も示していない。また、「運転席から操作できる複雑なレバー機構が、このような即席のガス運搬車のために設計・構築されたことは、確実に除外できると考えている」とも述べている。ただし、判決で言及されたレバーは、排気管に溶接されたチューブを塞ぐだけならそれほど複雑である必要はなく、ベラルーシのドイツ国防軍の車両修理工場がこれを行うことができなかった理由も明らかではない。

このガス車についての記述で最も刺激的な情報は、(Mei、Rie、Hanのいずれかが、「プロセスを詳しく説明した」ので、おそらくほとんどの記述はハンのものであろう)ガソリンエンジンを積んだフォードのトラックを捕獲したものである、ということだ。それまで東部のSSや警察に供給されていた、オペル、ダイヤモンドT、ルノー、ザウラーのシャーシをベースにした殺人ガス車とは異なり、このフォードのガス車はRSHAが製作・納入したものではなかった。もし存在するならば、1944年にドイツ国防軍の秘密野戦警察がモギリョフでパルチザンを整理するために使用されたものである。

だから、アルバレスは「この話は噂にしか聞こえない」と主張するが、何の説明にもなっていない。仮に、(議論のために)ガス車の存在に関する伝聞的目撃者しかいなかったというのが本当だとしても、そのようなガス車がなかったのに、なぜ、秘密野戦警察の5人のメンバーが、秘密野戦警察によって人々を処刑するガス車について他のメンバーから聞いていたのだろか? このことは誰かにとって意味があるのだろうか?

すでに加害者側からの伝聞知識は、ガス車が存在したことを示す良い材料であるが、さらに複数の加害者の目撃者により検証されている。このことは、秘密野戦警察の元隊員たちから聞いた。もし、それが真実でないなら、なぜ、被害者から罪に問われることもないこのドイツ人たちが、この残虐行為についてまったく証言しないのだろうか? なぜ、西ドイツの警察官や捜査官は、1960年代から1970年代にかけて、ソ連のパルチザンの殺害にかかわる残虐な物語をでっち上げ、その殺人は、その状況下では合法と見なされたかもしれないのに、法的支援を受けられる多くのベテラン男性にそれを認めさせるのか? そして、その証拠はどこにあるのだろうか?

アルバレスは、明らかに誤った噂の申し立てを行い、その問題について全く説明をしていない。何が起こったか、どのように、誰が、なぜ、ではない。また、判決を正しく理解し、どのような証拠に依拠しているのか、また、優れた証拠によって覆された個人的な不信感以外に提供できるものは何もないのである。このことは、この本の中でドイツ軍のガス車実験について、彼の主要な貢献の一つを思い起こさせるような、お粗末な扱いをしたことに表れている。

アルバレスは明らかに虚偽の噂の主張をしているが、問題の説明を全くしていない。何が起こったのか、どうやって起こったのか、誰がどうやって起こったのか、なぜ起こったのかを説明していない。彼は判決を正しく理解していないし、判決がどのような証拠に依拠しているのかも理解していないし、優れた証拠による彼の個人的な疑心暗鬼以外に提供するものは何もない。これは彼の本の中でガス車に関するドイツの裁判を粗末に扱っていたことの好例であり、彼の主要な原著を思い起こさせる。

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変更履歴。
2016年5月6日: プライバシー保護のため、Rie.を略した。
2017年1月16日: 細かい修正

投稿者:ハンス・メッツナー  2015年12月19日(土)

▲翻訳終了▲

ひっでーなw というのが素直な私の感想です。要するに、フォード車が使われていたらフォード車はガソリンエンジンを積んでいたので、「ディーゼルエンジンだから殺せない」理論は使えなくなるため、判決内容を伝聞レベルで信頼性が低い、とアルバレスが捏造した、という話です。そして無根拠に「であろう」と装飾的に理由を付加して、判決そのものを根拠として用いるのを却下してしまおうという悪質な議論をしているのです。

しかし、話は全く逆で、被告のハインツ・リーの証言を五人の証言者が裏付けた、のです。ほんとにホロコースト否定派の人たちって「裏付け」が大嫌いなようですね。困った人たちですなぁ。

ところで、このハインツ・リーが被告になっている裁判は何かというと、ドイツ国防軍の配下組織の中に「Geheime Feldpolizei(Secret Field Police)」、即ち秘密野戦警察という組織があったのです。他に野戦憲兵隊という組織がありますが、共同行動はしましたが、それとは違います。Wikipediaから引用します。

秘密野戦警察(ひみつやせんけいさつ 独:Geheime Feldpolizei De-Geheime Feldpolizei、略称:GFP)は、第二次世界大戦中ドイツ国防軍により組織された軍事秘密警察組織である。この部隊はスパイ対策、破壊工作、サボタージュ摘発、対プロパガンダ、軍事施設保護、軍法会議の捜査などといった国防軍への情報提供や占領地及び戦地における警備任務を行うために編成された。GFPの要員は「防諜警察 (Abwehrpolizei)」とも呼ばれ、国防軍防諜部の執行部隊として、占領下での対レジスタンス、パルチザン活動を取り締まっていた。GFPはまた、拷問や処刑などの戦争犯罪を行ったことでも知られている。

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組織上はドイツ国防軍の配下組織でしたが、実質的には、RSHA(国家保安本部)の管理組織になったようです。つまり親衛隊の組織です。ですから、処刑用のガストラックの話に繋がるのでしょう。裁判の詳細までは全然わかりませんが、戦後のナチ裁判の一つとして1973年から、ドイツのキール裁判所でソビエト市民に対する虐殺行為の罪で裁かれたようです。ユダヤ人への犯罪としては裁かれなかったのだとか。(英語版Wikipediaより)

否定派は、それが自分たちの仕事だから仕方ないのかもしれませんが、いらんこと調べてほじくり返して、墓穴を掘るということばっかやってますね。上の記事だと、ハンス・メッツナーだってこの裁判は知らなかったようですしね。資料があるのに嘘ついたら、後でやり返されるだなんて、誰にでもわかる話だと思うのですが……。

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