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アウシュビッツⅡ/ビルケナウの火葬場の煙突から炎が出ていたとする証言の検証。たまには少し真面目なマットーニョ大先生w

アウシュヴィッツⅡ/ビルケナウの火葬場の煙突から炎が出ていたとする目撃証言があります。それら証言については、何人かの証言があるようですが、私自身は特にそれら証言を収集していないので以下で紹介している記事中にあるヘンリク・タウバーのものしか知りません。

修正主義者たちはの多くは、「そんなことはあり得る筈がない」としてこれら証言者を嘘つきに仕立て上げます。例えば、ゲルマー・ルドルフは『ホロコースト講義』の中で以下のように述べています。

ルドルフ:次に、プレサックがアウシュヴィッツでの殺人ガス処刑の最高の証言者と呼んでいる、ビルケナウの第二火葬場のゾンダーコマンド(特別火葬部隊)の元メンバーとされているヘンリク・タウバーについて検討してみましょう[1174]。
タウバーの不条理な証言には、次のような主張が含まれています[1175]。

「一般的には、1つのマッフルで4、5体の死体を一度に燃やしますが、それ以上の数の死体を装填することもありました。最大で8人の「ムゼルマン(註:痩せ細った囚人のこと)」を装填することが可能でした。空襲警報が発令された時、火葬場長に内緒で焼却し、煙突から大きな火を出して飛行士たちの注意を引くためでした」

聞き手:「大きな火」というのは、タウバーによれば、常に煙突から炎が出ていたことを意味するのですね。
ルドルフ:そのとおりです。
聞き手: だから、彼はそのことについて嘘をついているのですね。

ゲルマー・ルドルフ、『ホロコースト講義』、p.451

タウバーは確かに考え方を誤っていたのかもしれません。たくさんの死体を一度に焼けば、その分燃焼エネルギーが人数分だけ増大するので、煙突から大きな炎を出すことができるであろうと。しかし、煙突から炎が出るのかどうかはさておくとして、タウバーは火葬場の中で働いていたゾンダーコマンドですから、その証言の部分では想像でそう思っていただけかもしれず、煙突から炎が出たのを「見た」とは一切証言しておらず、「嘘をついている」とは言えません。

ヘンリク・タウバーは、上記引用でも触れられているように、プレサックが「アウシュヴィッツでの殺人ガス処刑の最高の証言者」と評価するほど、極めて詳細な証言をしたことで有名です。例えばそれはこちらこちらで紹介しているとおりです。従って、修正主義者にとってはアウシュヴィッツ収容所所長であるルドルフ・ヘスによるアウシュヴィッツでのユダヤ人絶滅の全容証言と同様、絶対に嘘つきにしておかなければならないのです。そこでルドルフは、この煙突から出る大きな炎の件を持ち出して、タウバーが嘘をついているかのように思わせようとし、その一つの材料として使ったのでしょう。

しかし、煙突から死体を焼いた炎が出るとは、どういったことを意味するのでしょうか? 科学的な説明をしないで素人的なイメージで述べると、火葬炉の中で燃える死体から出る炎がものすごく大きくなって、煙突からはみ出るほどになっている、かのような状態だと思われます。本当にそんなことがあり得るのでしょうか? 例えば、この記事のトップの画像(映画『灰の記憶』より)や元ゾンダーコマンドのダヴィッド・オレールが描いたこの絵のように。

素人的ではありますが、いくら何でもそれはあり得なさそうに思えます。ビルケナウのクレマトリウムⅡやⅢにあった5つ(マッフルの数としては15)の炉の全てで限界まで死体を装填して燃焼させたとしても、そこまで大きな炎になるとは信じられません。もちろんそれを見たわけでもないし、実証したわけでもないので、断言まではできませんが……ところが、その実証実験をした人がいるのです。2023年現在、今もなお精力的に執筆活動を続けるプロ修正主義者のカルロ・マットーニョです。

しかし、先に述べておきますが、ここで述べたようなあり得なさそうな煙突からの炎のその要因、つまるところ、炉内で燃えている死体から出た炎が煙突から出ていたというその考え方、それ自体に誤りはないのでしょうか? 例えば煙突からの炎と言えば以下の写真のようなケースはよく知られているでしょう。

これはとある工場の煙突からの炎ですが、火葬炉のものではありませんが、煙突から炎が出ている実例の一つではあります。専門的にはこれは「フレアスタック」と呼ばれ、余剰に生ずるガスを燃やして無害化するためだそうです。アウシュヴィッツ火葬場の煙突から出ていた炎がそうだと言っているのではありません。しかし考え方としては、死体燃焼それ自体から生ずる炎以外にも煙突から炎が出る理由はあるのではないのでしょうか? ―実は他にもあるのです。むしろ、そちらの理由で炎が出ていたのではないかと思われるのですが、それについては翻訳後でお話しします。

ともあれ、まずはマットーニョ先生の論文を翻訳紹介いたします。なお、今回はマットーニョ先生に反論するつもりで紹介するのではありません。マットーニョ先生は修正主義者なので、それっぽいことは確かにこの中でも述べてはいますが、先生は割と真面目なのです(笑)

▼翻訳開始▼

火葬場の煙突の炎と煙

第三帝国強制収容所における実際の火葬の光学的現象

カルロ・マットーニョ著

1.煙突から炎が噴出する問題

火葬場の煙突から炎が出ているのを見たという目撃者が何人もいる。専門用語で言えば、「質問」ということになるが、 は、煙道内だけでなく、煙道外でも未燃焼ガスの燃焼が起こり、煙突から炎が出る現象が起こりうるだろうか?

この問題を、アウシュヴィッツ・ビルケナウの第二火葬場と第三火葬場、特に、最も短い煙道のあった3号炉と4号炉を基準にして検討することにする。これらの煙道の断面積は0.42㎡(0.6×0.7m)、長さはそれぞれ6.5mと10.5mであった。いずれも、長さ約2m、断面積0.8×1.2mの中央ドラフトブロワーのダクトに送り込まれる。その結果、最短の煙道では平均断面積0.46㎡、煙突を含めた全長は24mとなった。

煙突内の燃焼ガスの速度は喫水の平方根によって変化し、コークス炉を備えた火葬場ではおよそ3m/秒[1]、工業炉では3~4m/秒のオーダーである[2]。このうち高い方の値を仮定すると、2本のダクトのうち短い方のダクトでも、燃焼ガスは(24/4=)6秒間、煙ダクトに残ることがわかる。

都市ゴミの焼却炉では、950℃の燃焼室に2秒間[3]燃焼ガスが滞留するように設計されている。現在、スイスのブラウン・ボベリ社(BBC)が提供している電気加熱式プラントでは、再燃焼は排気ダクトで行われ、その中に燃焼ガスが1.3〜2.3秒残留している[4]。

ビルケナウの火葬場IIとIIIの場合、これは、最も短いダクトの中に、煙が完全燃焼に必要であった時間の3倍も長くとどまっていたことを意味する。したがって、これらの煙突の上部で炎を観察することは不可能であった。

1.1.炎の煙突の実験

この結論の正しさを確かめるために、私は動物性脂肪を使った燃焼実験を野外のオーブンで何度か行い、煙突から炎が出ることを確認した。下は薪をくべる炉床、上は脂を取るための格子という2つの構造になっている。後者の上に、ラード(豚脂)400gを入れた33×25×5cmのアルミ鍋を置き、下段のグリッドで薪に火をつけた[5]。

脂肪が溶けると、やがて沸騰し始め、その蒸気はたちまち火に包まれた。炎は沸騰した脂肪の数センチ上で発生し、その様子ははっきりと見えた(写真1、2参照)。

写真1
写真2

最も激しい燃焼の時には、煙突から炎が吹き出し、煙突の上端から1.5m、脂肪の煮えたぎる鍋から2m以上の高さまで到達した(写真3、4参照)。燃焼は約5分間続いた。

写真3
写真4

この現象は、次のように説明することができる。脂肪の分解により発生した燃焼ガスの体積流量が燃焼速度よりも大きいこと、そのため、完全燃焼に必要な時間よりも短い時間しか燃焼室内にガスが滞留することができない。そのため、燃焼は燃焼室の外、さらには煙突の外でも行われていた。

この説明を検証するために、さらに2つの実験が行われた。

1.2.短い煙突を持つ燃焼室での動物性脂肪の燃焼試験(1995年1月10日)

実験は凝灰岩のブロックから作られたフィールドオーブンで行われ、2つのグリッド(下側が木材用、上側が脂肪用)を備えている。燃焼室の容積は約0.05㎥で、断面積0.27×0.27m、高さ0.54mの煙突がつながっており、上部グリッドから約10cmの位置に設置されていた。その上に、200グラムのラードを入れた22センチ×17センチのアルミニウムの容器を置いた。そして、炉床に積み込み、薪に火をつけた。数分後、沸騰したラードに火がつき、煙突の根元から70cmの高さまで炎が上がった(写真5、6参照)。脂肪の完全燃焼には3分かかり、最も活発な段階は約2分45秒であった。

写真5
写真6

1.3.長い煙突を持つ燃焼室での動物性油脂の燃焼試験(1995年1月10日)

この場合、オーブンの煙突からタフブロックを1層取り除き、そこに長さ2.10m、断面積0.40×0.20mの普通のストーブパイプを設置した。そのため、燃焼室の総体積は約0.20立方メートルであった。上の格子には、前回と同じようなアルミ製の容器にラード300gを入れたものを置いた。そして、炉床に積んで薪に火をつけた。前回同様、すぐに脂に火がついたが、煙突から炎は出ず、個々の炎も出なかった(写真7参照)。 脂肪は3分45秒以内に消費され、最も集中する段階は3分30秒であった。

写真7

1.4.まとめ

2つのテストは同じような内容で、違いは2番目のケースでストーブパイプを使用したことである。2回目の実験では、脂肪を多めに使ったにもかかわらず、煙突の開口部から炎は出なかった。というのも、4倍の大きさの燃焼室で脂肪を分解して発生したガスを、煙突の中で完全に燃焼させることができたからである。

これらは物理化学的なタイプの結果なので、ビルケナウの火葬場に適切な割合で適用することができる。

1.4.1.クレマトリアⅡ及びⅢ

最短の煙道(煙突を含む)の体積:0.46 ㎡ × 長さ24 m = 11.04 ㎥ = 約11 ㎥

燃焼室:1.5 ㎥ × 3 = 4.5 ㎥

総体積:11+4.5㎥=15.5㎥

最初の実験の条件を適用すると、3分間で0.05㎥の体積に0.2kgの脂肪、つまり1時間あたり0.05㎥に4kgの脂肪に相当し、1時間あたり80kg、総燃焼量にして15.5×80kg=1,240kgの脂肪を燃焼させることができる。

3つのマッフルで1時間あたり1,240kgのラードを燃やせば、煙突から炎が出ることがわかる。

2回目の実験結果を応用する。4分間で0.2 ㎥の体積に0.3 kgの脂肪、1時間で0.2㎥の体積に4.5 kgの脂肪に相当、すなわち1時間で1 ㎥あたり22.5 kgの脂肪、または総燃焼量では1時間で15.5 × 22.5 kg=約350 kgの脂肪が燃焼することになる。

したがって、この炉の3つの部屋で1時間に約350kgの脂肪を燃焼させても、煙突の上部に炎が出ることはなかったのである。

私たちはここで純粋な脂肪について話している。したがって、煙突から炎が出る現象は、そのオーブンの3つの部屋で1時間に3体の死体を焼却した場合には、物理的に不可能であったろう。実際、それぞれ約70kgの3体の死体の脂肪量は約25kgにすぎないが、350kgの脂肪はそのような死体約42体に相当するからである。タンパク質は脂肪よりも燃焼速度がかなり遅いので、体内タンパク質の燃焼は考慮していない。

1.4.2. クレマトリアIV及びV

火葬場IVとVには、それぞれ2本の煙突があり、4つのマッフルのグループごとに1本ずつあった。燃焼ガスが利用できる総体積(チャンバー、ダクト、煙道)は約18立方メートルだった。先ほどと同じ推論を適用すると、次のようになる。

a) 最初の実験の場合

チャンバー容積1㎥あたり1時間あたり80kgの脂肪、すなわち4チャンバーでは80×18=1,440kgの脂肪となる。

4つの部屋で1時間に1,440kgの脂肪を燃やせば、煙突の上の炎を観察することができたはずだ。

b) 2回目の実験の場合

チャンバー容積1㎥ あたり1時間あたり22.5kg の脂肪、すなわち4チャンバーで22.5×18=405kgの脂肪となる。

4つのチャンバーのそれぞれで100 kgを超える純粋な脂肪 (12 体の死体に相当) が燃焼されたとしても、炎は観察されなかっただろう。

1.5.おわりに

以上は1時間を単位とした考察であるが、死体に含まれる脂肪の総量を焼却すれば、もっと短時間で済むことは明らかである。一方、この脂肪の燃焼を、本明細書に記載した実験で可能であったのと同じように制御することはできないことも同様に明らかである。死体の外脂と内脂は、気化率や燃焼率によって、時間をかけて不規則に融解、蒸発、燃焼したのだろう。したがって、死体の脂肪分をすべて燃焼させるには、少なくとも30分以上かかる。しかし、この現象(煙突からの炎)の非検証性の上限は、火葬場IIとIIIでは30分で175kgの脂肪を燃焼させることになるが、実際には25kgの脂肪しか燃焼されなかったので、この結果は無効とはならない。火葬場IVとVでは、30分間で202kgの脂肪を燃焼させるのが限界であるのに対し、実際には34kgの脂肪しか燃焼させることができない。

以上の議論は、これらの煙突から炎が出ることはなかったという意味ではなく、単に焼却、すなわち死体の焼却とは直接関係ない現象であると主張するものである。この点については、焼却の間接的な副作用として、すなわち、これらの炉の燃料として使用されるコークスの燃焼の結果として、この現象が発生する可能性は十分にある。

炭素系燃料が不完全燃焼を起こすと、炭素粒子が発生し、煤の形で煙道壁に付着することはよく知られている。適切な条件下(煤煙層が十分に厚く、温度が十分に高い場合)であれば、煤煙は発火し、確かに煙突から炎が出る。

戦前のヨーロッパの一般家庭では、暖房はほとんど薪やコークス、石炭を使っていたため、このような現象はよく見られ、科学的研究のために意図的に作り出されることもあった。例えば、1933年初頭、ベルリンのほぼ廃墟と化した4階建ての建物で、そのような実験が行われた[6]。ある図では地上1mの1階で煤に着火してから95分後、煙突内の煤の燃焼温度が1060℃に達したことを示している。煤は発火温度700℃の炭素で構成されているので、これは驚くことではない。

もちろん、この現象は継続的に起こるものではなく、ある時だけ起こるものである。なぜなら、この現象は基本的に十分に厚い煤の層の蓄積に依存しており、それにはある程度の時間が必要だからである。この現象は、死体焼却の直接の結果として燃え盛る煙突を語る目撃者の報告とは無関係であることは明らかである。このような声明の中で最も示唆に富むのは、1945年5月24日にヘンリク・タウバーが証言したものである[7]。

1つのマッフルで最大8つの「ムゼルマン」を装填することが可能でした[8]。空襲警報が発令されたとき、火葬場の責任者に内緒で焼却し、煙突から大きな炎を出して飛行士の注意を引くためでした。

このような虚偽の陳述の目的は、明らかに、ガス処刑されたとされる犠牲者の大量焼却に関する虚偽、つまり、そのような巨大な焼却によって煙突から炎が噴出することを信用させることであった。


翻訳者註:すでに冒頭で述べたとおり、単にタウバー自身がそう思っていた(誤解していた)だけとも言え、火葬場作業員が作業中に外から煙突を確認できたわけはないと思われるので、「ガス処刑されたとされる犠牲者の大量焼却に関する虚偽を信用させる」目的の虚偽陳述と断定することなどできない。


2.煙突の煙の問題

煙突の煙が出る現象は、上記の観察結果と密接な関係がある。燃焼室内の可燃性混合気の流量がその着火速度より大きい場合、条件が一定であれば、混合気は燃焼室内では着火せず、燃焼室の外で着火する。 しかし、条件が一定でない場合、つまり煙道や煙突の温度が混合ガスの着火温度より低い場合、ガスは未燃焼か煙の形で一部だけ燃焼して煙突を出ることになる。

アウシュビッツの煙突の煙の問題は、2000年に論じたジャン・クロード・プレサックを除いて、公式の歴史家は誰も考慮に入れていない、真っ向から否定している。以下では、彼の技術的な主張と拒絶の理由の両方を検討することにしよう。

1995年6月15日、プレサックはヴァレリー・イグネに長いインタビューを行ったが、その内容は出版前に明らかに言い直されたものだった。プレサックは次のように述べている[9]。

1878年にドレスデンで開催された火葬に関するヨーロッパ初の会議では,焼却の手順について厳しい規則が設けられた[[10]]。このようなオーブンを作る会社[[11]]は、そのルールを尊重しなければならなかった。その中で、「焼却の生成物は環境に害を与えてはならない」という規定があった[[12]]。煙や悪臭を出すことは禁止された。

トプフ社は、創業当時から炉の製造に携わっており、煙の発生は炉の機能低下を意味するため、非常に注意深く見ていた。あるチラシには、こう書いて客にアピールしている。「煙突が煙れば、損をしていることになる」。トプフ社の焼却炉は、競合他社の焼却炉も含めて煙が出なかった。[...]

1946年3月に逮捕された後、ソ連から強制収容所の火葬場について尋問を受けたクルト・プリュファーは、その設計の詳細を説明した。民間のオーブンは、あらかじめ熱した空気で焼くので、煙も出ず、死体が早く焼ける。

収容所のオーブンは、設計が違うので、このような措置はとれない。死体の燃焼は遅く、煙が出る。これを防ぐには、焼却室に空気を送り込めばよいのである。

アウシュビッツ捕虜収容所にある火葬場Iの3つの二重マッフル炉には、確かに送風機が装備されていた。これは、ブーヘンヴァルトの三重マッフル炉、ビルケナウの火葬場IIとIIIにも適用された。プリュファーは、鍛冶屋の火を蛇腹で扇ぐのと同じ手法で、民間の炉に近い燃焼時間を実現し、煙の発生を防ぐことができたのだ。一方、火葬場IVとVの8マッフル炉には送風機がなかったが、2本の16メートル煙突から発生する強いドラフトによって、この不足が補われた。ベルリンのコリ社のオーブンについては、重油やコークスで焼成し、送風機なしで製作・建設された。

火葬場は、推進者の敬虔な願いによって、煙が出ないようになっていたことは間違いない。しかし、どの炉も、特にコークスを燃料とする炉は、多かれ少なかれ煙を上げていたのも事実である。プレサックは、火葬の図を見る代わりに、「規則」で自分を満足させた。

例えば、1926年と1927年(ドレスデン会議から50年後)に技術者リヒャルト・ケスラーがデッサウの火葬場で実験に使ったオーブンは、コークス、ガス、練炭などどのような燃料を使っていても必ず煙が出たという。ケスラーは、火葬の分野では当時のドイツで最も権威のある人物の一人であったことは忘れてはならない。テストには、オッフェンバッハのベック・ブラザーズ社製のオーブンを使い、独自の改良を加えたが、トプフ社のオーブンと比べても何ら遜色はない。

オーブンの操作説明図には、「煙の発生を表す」グラフがあり、煙の色を「黒」「濃い」「薄い」の3色に区別していた。グリッドのドラフト表示は2種類あり、「通常燃焼」時と「煙燃焼」時のドラフトの強さを区別していた。ガス(ガス発生装置に加えてガスバーナーを装備したオーブン)を使った最初の燃焼では、1時間くらいは煙が出た。2回目と7回目のコークスによる火葬では、約20分間煙が発生した[13]。

1940年代に入っても、この問題は深刻で、1944年に火葬の専門家であるスイス人技師ハンス・ケラーが、火葬を科学的に研究することを決意したほどだ。彼はその結果を「火葬時の煙の発生原因」と題する論文で発表している[14]。つまり、民間の炉では定期的に煙が発生していたことになる。

ここで、ソ連の反スパイ組織スメルシュのシャタノフスキー大尉とモルシェンコ少佐によるトプフ社の技術者クルト・プリュファーの尋問を考えてみよう。1946年3月5日、プリュファーは次のように供述している[15]。

民間の火葬場では、特殊な蛇腹を使って予熱された空気を注入し、遺体を素早く無煙で焼却することができる。強制収容所の火葬場は設計が違っていた。というのは、空気の予熱ができないので、死体の燃焼が遅くなり、煙が出るからである。煙の発生量と焼死体の臭いを抑えるため、換気装置を採用した。

プリュファー氏によると、強制収容所に設置されたトプフ社のオーブンの煙突は確かに煙を出し、送風機(ロシア語では「ventilatsia」、換気と誤訳)を設置しても、煙は減るが完全に無くなるわけではないとのことである。

これに対して、プレサックは、煙を除去するためには、「焼却室に空気を送り込む」(de pulser de l'air dans le creuset incinérateur)だけでよいと主張し、まるで、この現象が単に燃焼用空気の不足によって引き起こされるものであるかのように言っているのである。実際には、コークス炉は非常に過剰な空気で稼働していた。経験上、煙の原因は

  • これは、燃焼ガスがレキュペレーターや煙道内で冷却されすぎて、再燃焼が行われないため、

  • あるいは、煙突がガスを処理できないから(ケラー氏の主張)、

  • あるいは、(エアフルト火葬場のためにトプフが作った最初の電気オーブンがそうであったように)。これは、煙突のドラフトが高すぎて、目に見える煙やススを構成する石炭の粒子が燃焼されずに煙突から出て行ってしまうため、

いずれにせよ、マッフルに冷たい空気(アウシュビッツのトプフ社製オーブンは燃焼用空気を予熱する装置を持っていなかった)を注入すれば、問題は悪化し、さらに煙が増えるばかりであった。プリュファーの説明は、技術的に根拠がない。煙を減らそうとした彼の試みは、煙を減らせないばかりか、事態を悪化させた。

アウシュビッツのトプフ社製オーブンという特定のテーマに関して、それが煙を出さなかったと主張することは、技術的に間違っており、明白な事実と矛盾している。これらのオーブンは、これまで見てきたように、民間のオーブンが持っていた煙の発生を監視する装置(煙道ガス分析器)や煙を防ぐ装置(デッサウで使われた煙を燃やすリサイクルループなど)を備えていなかったのである。その粗雑で単純な設計は、必ずや煙の発生を招いたのである。

この点で、ビルケナウでもっとも一般的であった3重マッフル炉は、マッフルに燃焼空気を送り込む送風機を各室ごとに制御することができず、3つのマッフルの燃焼は一つの煙道ダンパーで制御されていたことを理解すれば十分であろう。したがって、3つのマッフルの最適な燃焼制御は実際には不可能であったが、それでも煙をなくすことはできなかった。火葬場IVとVでは、1つのダンパーが4つのマッフルに対応していたので、状況はさらに悪くなった!

一方、1943年夏に撮影されたビルケナウの第二火葬場の写真について、プレサックは最初の著書で次のように書いている。

煙突の頂上付近の煤からわかるように、火葬場はすでに使用されていたのだ。

確かに煙突の外側には、15m以上の高さに煤が堆積しているのが確認できる(写真8)。

写真8:ビルケナウの火葬場Ⅱの煙突の外側に付着したすす(下:拡大図)[16]。

つまり、オーブンが稼働していたとき、煙突は煙を発生させていたのであり、しかもほんの少しではなかったのである。従って、プレサックは事実と矛盾しているだけでなく、自分自身とも矛盾しているのである。

プレサックの議論-火葬場IVとVの8マッフル炉は、16mの2本の煙突によって可能になった「強力なドラフトによって」、吸引ブロワーの不在を補っていたという-は、火葬場II/IIIとIV/Vの煙突の高さが実質的に同じ(15.46対16m)で、その断面積も比例的に同じであるので、きわめてばかげた議論となっている。火葬場II/IIIでは、煙突を構成する3本の溝の断面積はそれぞれ0.96 ㎡で、6本のマッフルが使用されていたが、火葬場IV/Vの2本の煙突の断面積はそれぞれ0.64㎡で、4本のマッフルが使用されている。単純に比較すると、1マッフルあたりの相対面積は同じ(0.64÷0.96=4/6)だったのだ!

最後に、アウシュヴィッツの火葬場では、送風機のおかげで、民間の炉に近い燃焼速度を達成することができた(すなわち、焼却時間が短縮された)というプレサックの主張は、技術的根拠を欠いている。アウシュビッツに納入されたトプフ社のオーブンでは、送風機から来る空気ダクトが煉瓦の背面上部を横切るように通っていた。これと直交するように、マッフルの吹き抜け天井の上に二次ダクトが縦に走り、この天井の4つの開口部に接続されている。

そのため、マッフルには上から燃焼用空気が送り込まれていた。同様の空気注入システムは、チューリッヒの火葬場のガス燃焼炉IとIIですでにテストされていた(1931-1932年)。ポール・シュレープファー教授(1938年)によると、このシステムは経験上、非効率であることが判明した[17]。

さらに、マッフル内に上部から送り込まれた空気は、側壁に沿って熱を吸収しながら流れ落ちる。こうしてマッフルは内部で冷却される。燃焼ガスが直接下向きに流れるようになり、マッフルの重要な初期加熱が行われなくなりる。[...]また、オーブンタイプI、IIの場合、上部からの給気は逆効果になる。燃焼時間が1時間から1時間半に延長され、焼却のたびに短時間の再加熱が必要になるためである、

プレサックは、ビルケナウの3重マッフル炉と8重マッフル炉を設計したプリュファーに言及するが、彼の努力は水の泡となり、フランス人研究者は矛盾の網に絡めとられてしまうのだ。彼は、2冊目の本の中で、ビルケナウの火葬場II/IIIの能力が24時間あたり1,000体の死体に達していたと主張していた[18]。これを、プレサックが引用した1946年3月5日のプリュファーの尋問での発言[19]と比較すると、こうなる。

質問:アウシュビッツの火葬場では、1時間に何体の死体が焼かれたのでしょうか?
回答:5つのオーブンや15個のマッフルのある火葬場では、1時間に15体の死体を焼くことができました。

つまり、5つの3重マッフル炉の各マッフルで1体ずつ、理論上では24時間で360体の死体を焼却することができるだけである。

要約してみよう:ビルケナウの炉が稼働していたとき、火葬場の煙突は絶えず煙を上げていた。これを避けることができなかったのは

  • 3連マッフル炉と8連マッフル炉には、燃焼用空気を予熱するためのレキュペレーター(復熱装置)がなかった。

  • 3連マッフル炉の場合、マッフルごとに送風機を制御することができなかった。

  • 上方から送り込まれた冷たい空気がマッフルの壁を冷やし、温度を下げてしまう。

  • 3つのマッフルの燃焼を1つのダンパーでコントロールしていた。

  • 8連マッフルでは、1本のダンパーで4つのマッフルの燃焼を制御していた。

しかも、第二火葬場の煙突の上は煤で真っ黒になっていた。

しかし、プレサックはなぜ、写真という明白な証拠さえ無視したのだろうか? 答えは簡単だ。ビルケナウの火葬場の煙突から煙が出るのを許せなかったのだ。なぜなら、彼が知っている航空写真(煙突から煙が出ていない)は、大量ガス処刑と焼却が行なわれたと思われる時期に撮影されたものであり、したがって、火葬場はいかなる状況でも休止していることはありえないからである。

この問題については、さらに論文で調査する予定である。

▲翻訳終了▲

さて、この論文で私が示したかったのは、途中で私が強調した以下の部分です。

これらの煙突から炎が出ることはなかったという意味ではなく、単に焼却、すなわち死体の焼却とは直接関係ない現象であると主張するものである。この点については、焼却の間接的な副作用として、すなわち、これらの炉の燃料として使用されるコークスの燃焼の結果として、この現象が発生する可能性は十分にある。

炭素系燃料が不完全燃焼を起こすと、炭素粒子が発生し、煤の形で煙道壁に付着することはよく知られている。適切な条件下(煤煙層が十分に厚く、温度が十分に高い場合)であれば、煤煙は発火し、確かに煙突から炎が出る。

そう、マットーニョ大先生は、煙突から炎が絶対に出ないとは主張していないのです。散々実証実験を行って、実証実験とは異なる現象でそう仰っておられるのです。この、アウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬場の煙突から炎が出ていたという証言について初めて調べていた時、真っ先に思いついたのもこれでした。これを一般に「煙突火災」と呼びます。

https://www.sweepsmart.co.uk/chimney-fire-how-to-prevent-them-and-what-to-do-if-you-have-one/より

この煙突火災の原因は、マットーニョ大先生の仰るとおり、煙突内に煤が溜まって層となり、これが発火することにより火災を起こすのです。煙突内に溜まった状態は例えば以下の写真です。

https://www.highschimney.com/creosote-chimneys-part-1-creosote-education/より

薪を使った暖炉で屋内を温める欧州などでは、年に一度の煙突掃除と点検は必須なところもあるようです。この一般にクレオソートと呼ばれる堆積層は、可燃性であり、煙突火災を引き起こすからです。煙突火災だけで済むわけではなく、家全体の火事の原因にすらなってしまいます。

で、多分、アウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬場は煙突火災を起こしていたんじゃなかろうかと、そう思ったのです。すると、海外の人も同じことを考えていたのをすぐに見つけました。

この「煙と炎を吐き出すアウシュビッツの煙突」というスレッドでは最初に、修正主義者らしき人物が以下のように主張しています。

煙と炎を吐き出すアウシュビッツの煙突。
#1投稿者:robota " 2006年03月13日 07:13
アウシュヴィッツ/ビルケナウのクレマに関する多くの目撃証言の中で、より不思議な特徴の一つは、煙突から絶えず炎が出ていたという主張にしばしば遭遇することです。オーブンが常に煙突から少し離れたところにあったという事実を考えると、これはありえないことのように思われます。

しかし、この投稿のたった15分後に以下のように回答がなされています。

#2投稿者:David Thompson " 2006年03月13日 07:28
市町村の屋根火災は、煙突の上部にたまった煤煙に着火して起こることが多いのです。火災の炎は、炉床から直接出るのではなく、煙突の上部に溜まった煤煙が過熱された空気で発火します。定期的に掃除していない煙突では、この現象は当たり前のように起こります。そのため、私は、クレマの煙突から炎が出ているという目撃者の証言が奇妙であるとも、ありそうもないとも思いません。

他の人からも煙突火災の指摘がなされています。マットーニョもその可能性を否定していません。マットーニョ先生の主張をものすごく簡単に言えば、

  • 大量の遺体を焼却することで煙突から炎が出るのは理論的にはあり得るが、アウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬場でそのような大量焼却は不可能だったので、実際には煙突からは炎など出なかっただろう。

  • 煙突火災ならあり得る

なのです。私もそれなら賛成です(笑)。ですから、上のスレッドでもHolocaust Controversiesブログサイトの執筆者の一人でもあるセルゲイ・ロマノフ氏からもこのマットーニョ論文を読め、と勧められているのです。

要は、この「煙突からの炎」を嘘とするのは、証言者を嘘吐きにするための戦術の一つに過ぎないのです。

しかしその嘘吐きに仕立て上げなければならないタウバーの証言は、単なるタウバーの誤解であるとするだけで、マットーニョの多大な努力は無価値になってしまいます。しかも、マットーニョはこの論文では真面目に語り過ぎて煙突火災のことまで述べており、丁寧に気をつけてこのマットーニョ論文を読みさえすれば、煙突からの炎はあり得るという結論さえ導き出せます(笑)。

なお、マットーニョ論文の後半については、プレサックは航空写真で火葬場からの煙がはっきりとは写っていないことについて、その火葬場の能力的な説明で対処しようとしたようですが、これもマットーニョの指摘通り、プレサックの誤りのように思えます。ただし航空写真に火葬場からの煙が写っていなかった件については、以下で対処されていますのでご参考に。


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