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子の親離れ 親の子離れ

1997年(平成9年)の1月…22歳の冬に親元を離れ、自立生活を開始してから、令和4年(2022年)で25年の節目を迎えました。10年目、15年目、20年目の頃には特になんという感慨もなかったのですが…
さすがに25年ともなると、これまでに歩んだ道のりの長さを感じます。
私自身の過去のことについては、これまでも何となく語って来たような気がしますし…
これから先も、折に触れてお話する機会があろうかと思います。
ですので今回この場では…まず
『子の自立』
という出来事を通して、
『親の自立』
というものについても、私なりの視点から
語ってみたいと思います。

若い頃、それこそ22歳の頃から、今のように明確に、言葉や文字に置き換えて語ることができたわけではありませんが…
高校…養護学校を卒業したあたりからずっと考えてきたのは、
『親の人生を親に返す』
ということでありました。
自分の親、つまり…我が子に
『お父さん』『お母さん』
と呼ばれている人たちにも、結婚前の独身時代というものが存在し、
結婚後にも…子どもを授かる前までは、夫婦水入らず、二人だけの時間というものがあったはずです。
私は、両親の子であることに間違いはないけれど…あくまで、夫婦の人生の時間の一部を借りて、同居しているだけなのだ。
この先の両親の人生を…
『Mitsuguくんのお父さん』『mitsuguくんのお母さん』
という肩書きを背負わせたままで終わらせてはいけない…という感覚は、ずっと頭の隅にありました。
両親の時間、両親の人生は、本人たち自身のもののはずです。
『いつか、まだ親ではなかったころの時間を、父と母に思い出してもらえるようにしなければ』
と、親元を離れる機会をじっと伺っていたのでした。
その考えのきっかけは、高校時代、養護学校の高等部にいた頃に生まれたものでした。
『この子の面倒を一番長く見ているのは私』『この子の笑顔が私の幸せ』…
わざわざ、ことさらに、そういうことを声に出して周囲にアピールする親御さんが、何組かおられたのでした。
そうしたアピールに熱心だったのは、大体が…重度心身障害児…
重度の知的障害と身体障害が重複したお子さんを持つ親御さんたちでした。
お子さんの障害や病気が重ければ、それだけに毎日のケアも大変であろうことは、当時、子どもだった私にも容易に察せられたものですけれど…
よく『障害児のケアには終わりが見えづらい』とか、『子育てには正解がない』なんていう話も聞きます。
今にして思えば、ああして必死な親御さんは…頑張っている自分の姿を、誰かに認めて欲しかったのであろうし…
また、自分たちの悩みを誰かに聞いて欲しかったのだと分かります。
もちろん、重度障害のお子さんが家族に居るからと言って、みんながみんな…
『大変ですよアピール』『子育てがんばってますよアピール』
をしている親御さんばかりでもないのですが、やはり、とりわけ声の大きな親御さん、アクションの大きな親御さんの姿が、
私の心に焼き付いてしまいました。

我が子は自分達の宝だ。自分の身よりも子どもが大切…ということは、私の両親も、子育ての過程で、ちゃんと私に向かって口に出してくれていましたが…
それでもやはり、親だって普通の人間です。
ときに理不尽な苛立ちが私のところにぶつけられたり、
私もまた、気持ちの整理がつかない時に、親に怒りをぶつけてしまうことがありました。
当然、障害の重いお子さんを世話する親御さんだって同じ人間なんですから…
どんなに我が子を大切にしていたとしても。
自分の身よりも子どものことを1番に考えていたとしても。
毎日の辛さやしんどさを、まったく感じないでいられる、などということは、きっとないはずだろうな。というふうに察していました。
そして、我が子と同居する期間が長くなればなるほど、行き場のない負の感情も、愛情と献身の裏側に、少しずつ蓄積されていくんだろうな。と、自分なりに結論を出したのでした。
『いい親してますアピール』『がんばってますよアピール』
というものは、ともすれば溢れ出てしまいそうな、溜まりに溜まった負の感情を、なんとか隠そうとする行為でもあったのだろう、と…。
だからこそ、親と子が別々に離れて暮らすことが必要であり…
一生懸命、いい親であり続けようとする人にこそ、なおさら自分のための人生のゆとりを取り戻させてあげることが大切なんだろう。と思い至ったのでした。

重い障害とか、もろもろの持病とか…親御さんの立場からしたら、我が子を家から出すなどということは、とても心配で怖いことかもしれませんけれど…
それでも…どのような障害や病気のある子どもさんであっても
『この子はいずれ家を出る。いつか親から自立させるんだ』というつもりで、親御さんには子離れの用意をしておいて欲しいのです。
先天性の障害者にとって…人間として、また社会人として自立する時に、最大の妨げになるものは…
皮肉にも、我が子をいかなる困難からも完璧に守ろうとする親御さんの意識ではないか、と…私は考えます。
『お父さん』や『お母さん』だって、初めから我が子の親であったわけではありませんから。
あくまでも、親としての義務は期限付きのものでなくてはいけません。
いずれ計画的に、親だけ、または家族だけで行う支援には、どこかに終わりの時を設けておくべきです。
親御さんには、我が子からから離れた時間を過ごすご自分というものを想定し、その将来の楽しみを作って欲しいのです。
自分の親に…
『親として以外の時間』
を思い出させてあげることは、きっと、どんな子どもであろうと同じように願うことでしょうから。
自立のための計画を立てたとしても、結果的に、お子さんが予定通りに自立出来ない。という場合も有り得ます。
それでも…
『いつかこの子を家から出す』
というつもりで同居するのと…
『この子の面倒を一生見る』
と思って同居するのとでは、まるで普段の過ごし方、親と子の接し方が変わってくるのではないかなと思います。
お子さんには、周りの人…出来れば親御さんやご家族以外の人たちと触れ合う時間を作るようにしてあげて欲しいのです。
周りの人と上手に付き合い、周りの助けを借りることも、自立には大事なことですよね。

↑私が以上のようにお話しても…
子どもさんと一緒にいる時間があまりに長く濃密であるために
『親として以外の時間が思い出せなくなっている』
という親御さんもおられるようです。
いきなり…
『一人の時間をうまく使ってリフレッシュ』と言われたって、そんなに器用に切り替られるものでもないと思います。
そうであるからこそ…そういう親御さんにこそ、
自分のために自由に使える時間というものを、思い出させてあげたいものなんです。
どんな子どもだって、親御さんが自由かつ幸せであることがいちばん嬉しいんですよ。

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