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歌詞について解説するなんて

前回、『たいせつな一日』という新曲を書いた経緯について書きました。
今回は歌詞と、その意味というか解説的なことを、と思ったのですが。

そもそも、自分の作詞したものに説明を加えるのって、どうなんだろう?
そういうのって、きっと「野暮」なんだろうなぁ。

でも結論から言っちゃうと、このnoteではそういうことを記録として残しておきたいな、と思っているのです。


歌詞の解説がなぜ「野暮」なのか。
「聴き手に解釈を委ねるべき」、というのが多いんじゃないかなぁ。

ぼくは以前、「リリくじ」というのをつくったことがあって。
引いたくじに格言なんかが書いてある、あれの歌詞版です。
(上の写真がそれです)

リリックのくじなので、「リリくじ」と命名。
いわゆる「投げ銭ライブ」の、ちょっとしたお礼として思い付いたもの。

これを引いてくれた方が、ぼくからしたら意外というか、想定外な捉え方をしていたことがあって。
とても興味深いなぁ、と思ったことがあります。

歌詞の一部だけを抜き出しているから、余計にそういうことが起きやすいのでしょう。

ぼくはそれを聞いて、「自分ではそういう意図はなかった」とその相手に伝えました。
これは別に、相手の解釈を否定したわけではありません。

その方が「そう感じた」ということは、その歌詞に新たに解釈を足してくれたようなもの。
そして、それがとても嬉しかった。
(そう感じてしまった、とぼくに伝えてくれたことも)

ぼくも必ずしも「歌詞の意味」をはっきりとわかっているわけじゃなかったりします。
え?書いた張本人でしょ?と言われるかもしれませんが。

歌詞もメロディーも、どっか自分以外の要素から「借りてきた」ような、そんな感覚があるのです。

特に、語呂合わせ的につくった歌詞は、どこに着地するかわからないことがよくあります。
そういうときは、とにかく軟着陸させるみたいなイメージで、どこに降ろすかまでは考えていない、という感じ。


だから、ぼくの「歌詞の解釈」が「正解」だとは限らない。
(そもそも「正解なんてない」というのはとりあえず置いといて)

ぼくもまたひとりの受け手として、後になって「こういう意味もあったのかも?」と氣付くこともあります。

そんなわけで、そのときの自分がどう思っていたのか、どういう意図をもっていたのか、書き記しておきたい。
それはそれで「正しい」のだし、でもそのときどきで「変わっていく」ものかもしれない。

まあ、ぼくはメジャーなソングライターではないので、こういうこと自体が杞憂なのでしょうけどね、そもそも。

                    とむやん


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