日記のような感情メモ0810

今日の東京都心は体感気温40度近くなるらしい。
公共の喫煙所は会社から約5分。喫煙するにも命がけ。
一番近くの喫煙所は今日で閉鎖らしく、また手の中から何かが滑り落ちる音がした気がする。
久々にスポドリを買って飲むと、体の中に冷たさが流れ込んで沁みていく感覚があった。

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久々にコストコへ。あとからわかったが、友達の新居がめちゃ近かったらしい。
店内飲食が禁止になっていたので、入り口まで出て強風の中、ホットドックを食べた。
180円で飲み物とでっかいホットドックが食べられるのは本当良い。サイコーすぎ。
冷凍庫の容量を考えて、食品は必要最低限にして日用品中心に買い物した。
夕飯はハイローラーBLTとバカでかティラミスをつまむ。
当分の間は嫌なことがあったら冷凍ティラミスをつつけばいいやって気持ちになれそうだ。

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病院は相変わらず混んでて、一時間くらい待った後に主治医と近況を話す。
本当は「私、いつになったら治りますか」って聞きたかったけど、すぐに治る病気でもないし、多分濁されるだろうなと思ってやめた。
投薬量は変わらないし、最近は日差しのせいか途中覚醒も多いし、踏んだり蹴ったり。
切り傷みたいに目に見えて塞がるものでもないし、目に見えてわかる病気でもない。だから面倒臭くて、つらい。
いつまでこの生活が続くかわかんない。それでも、また昔のように思う存分飲酒できる日が来るといいなと思う。

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1時間ちょいは長電話なのだろうか。まあまあ長いか。
この歳になると、友達は減っていくばかりで増えることは滅多にない。
TwitterやNovelJamでかなり友達は増えたけど、そういうとことに行って能動的に動かないとダメなんだろうね。
そう思うと、NJに参加したことは生涯の転換期だと思う。今の恋人もそこで知り合ったわけだし。
いつまで経っても頼り方が下手くそなままだ。頼らないか依存するか、二択でしか選べないままこの歳になってしまった。
先日から抱えていた問題は解決したが、何かを諦めないと別のところで同じことを繰り返す羽目になりそうな予感がする。

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精神的ねむたいが多い。ちなみに印刷用語のねむたいは「濃淡差がなく、ぼんやりしている」という意味だ。
ぼんやりしてるといえば、いつから30歳で多分死ぬだろなというぼんやりとした線引きがなくなったんだっけ。
50歳まで生きてるイメージはまだ湧かない。あと10年ちょい、40くらいまではなんとなくわかるような、わからないような。
「漠然と死にたくなることってない?」と聞いたら、「俺は死んでほしくないよ」と返される。
「本当に死んだら笑ってね」「死にたくなるたびに踏みとどまってくれ」なんて軽口を叩きながら、台風の余韻の強風と一緒にレモンサワーを飲み干した。
いつ死ぬかなんて全然わからない。これを書いている一時時間後に、って可能性だってある。
先日の電車殺傷事件だって、居合わせた可能性は存分にあった。交通費の関係によっては、あの路線を使っていた可能性が高い。
自死するときはどっかに飛び込んで迷惑かけるのもあれだし、自宅を事故物件にするのも忍びないので、公園みたいな場所でODが一番いいのだろうか。
まあ、そんなこと考えているうちは絶対に死なない自信がある。

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