火事場環状感情記(かじばかんじょうかんじょうき)

※GN放送局の番組、『GNライブラリー』内で放送された朗読劇の文章です。

時代劇は苦手だったりします。


『”世渡りの火”五(ご)度(たび)! もはや火(ひ)祭(まつり)は世直しにあらず! ネズミがうろついたような小さな火事を、”世渡りの火”と商人たちが伝え漏らしてからしばらく、五度目の火が家(か)屋(おく)と人を飲み込んだ。火事は仕事と食い扶持(ぶち)を与えるためありがたく、それ故(ゆえ)に世直しと広く呼ばれる江戸の火事だが、五度の火の程(ほど)はなんとも情けないものである。消しても消しても火の沸(わ)いて出るこの祭(まつり)、町人(ちょうにん)が活気(かっき)満ちる様子は見られず、腹(はら)を抱(かか)えへたり込む者も現れる。武家(ぶけ)の遣いで行列を作り参勤(さんきん)する時期で大火(たいか)が起こるのならまだしも、芋(いも)をこさえて食らうより早く、取るに足らぬ火を起こされては、石(こく)がとれても身が持たぬ。これを世直しといえるのか』

 ここまで書き進めたところで、今日で何度目かの町人の元気な馬鹿騒ぎが耳をつんざく。そして己が書いた読売(よみうり)の書(しょ)を眺め、はぁ、と息をつく。「我ながら的外れな文だ」と。わかっておる。町人たちは間違いなく火がおこることを喜んでいる。わかっておる。商人あたりが欲を持って火事を仕込み、それを暴き立てちやほやされようなどと、俺がふと空(くう)に描く虚(きょ)に過ぎないと。いやしかし足で調べた真(まこと)で固(かた)めず得体(えたい)も知れぬ世迷(よまい)い言(ごと)で読売(よみうり)を飾ることのなんと愉(ゆ)快(かい)たるや。淡々とした事(じ)記(き)が町人たちの目を栗(くり)にする娯楽となる。書く俺の頬もつり上がる上に、その誼(よしみ)で腹が少し膨らむのだ。
 と、うぬぼれていると何やら外の連中の声が”飛奴波乱(ひやつはらん)”と吠えるオオカミのような乱(みだ)れを含んできたので、俺も大工の一味から頂戴(ちょうだい)した板きれに読売の文字を刻むのをやめ戸を開けた。火事だ火事だと言葉が聞きとれた。俺は飛び上がって空(くう)をかきむしる足に急かされながら人だかりの方へと走る。

 そうして現れたるや黄金色(こがねいろ)の粒を金(きん)が成(な)るかのようにはじけ飛ばしながら燃え上がる炎。燃えた中には大店(おおだな)の長者などと呼ばれる輩の大(おお)店(だな)屋敷もあるがゆえ、大火(たいか)と呼ぶには足らずとも、この火事は華(はな)たりうるであろう。そう思うと、俺の目までもお天道様に照らされた水のようになり、鼻筋に風が激しく通る。
 しかしそこで見つけた俺の馴染みの様子は違っていた。間違っても”飛奴波乱(ひやつはらん -書いていてふと思いついた「ヒャッハー」の意味を持つ造語であり当時にそのような言葉は存在しない-)”と気を乱(みだ)して騒いでおらず、それどころか火の手で焼け落ちる家屋(かおく)も目に入らぬように、どこを見ているか分からぬ顔を浮かべている。程(ほど)なくして出足(であし)が遅く火事場での手(て)柄(がら)喧(げん)嘩(か)が常(つね)である町火消(まちひけし)たちが、よりにもよって火事場の遙(はる)か手前(てまえ)から、やれ大店(おおだな)の長者からもうちっと待てといわれただの、そう言って長者から褒美もらうためだろだの、殴り合いをしてやってきた。火消(ひけし)が来たと他の者に首根っこつかまれて引きずられようとも、馴染みはまるで蝉(せみ)の抜け殻(がら)のようにぴくりともしない。何故(なにゆえ)そうなのかは大工の一味(いちみ)が口にしたところ、馴染みの馴染みが燃えた家屋(かおく)と心中(しんぢゅう)を果たしたらしい。そいつは確かに気の毒な話だ。しかし俺は、町火消(まちひけし)どもが殴り合いに刺又(さすまた)や鳶口(とびぐち)は使わない礼儀に関心を示し、そこから先など考えなかった。

 明くる日、俺は燃え切った家くずをどけて新しく建てる仕事に精(せい)を出していた。しかし大工仕事で出る飯(めし)も食わず、俺の馴染みは昨日の時のようにただ呆(ぼう)けている。仕事も、時に大店(おおだな)の長者がどうのの話に顔を向けることはあっても、腰を入れぬで空(そら)を拝(おが)んでいた。そのような馴染みを見たことはないわけで、一味(いちみ)は珍しそうに見るのもおれば、俺のように心配する者もいた。
 だがまた明くる日には、張り詰めた顔でノミをせっせと、否、精励(せいれい)していたではなく、ただただのぼせ上がったようにノミを乱暴に打ち鳴らしていた。そこまで仕事になった覚えはない。解せぬ情(じょう)が混じった俺の心配は、その言葉の通りの意味になっていった。馴染みが自分の馴染みを失ったことだけで、ここまで心を乱すとは。結局、馴染みは一味(いちみ)の奴らから体を休めろと追い払われた。

 それから馴染みの様子はますますおかしくなっていった。大工の帰りに散歩していたら、ただの喧嘩じゃ聞かぬ殺気(さっき)だらけの怒鳴り声に驚かされた。馴染みの声だ。先の火消の奴らに、何を知ってやがんだてめぇらと、殴りかかるほどに食らいつき、かと思えばその明くる朝迎えたとき、馴染みの青白く魂(たま)をとられたような顔を見た。肝が抜けたことを通り越し、もう最後にはどうなっちまうのかと、我ながら面(おも)憎(にく)いことを考えるようになった。ヤツは、あいつはおわりだ、あいつはおわりだなどと訳の分からぬことを一(いち)念(ねん)につぶやくだけである。見れば見るほど、聞けば聞くほど今のこいつに魂(たま)はないとうなずいてしまう。そして、いよいよ魂(たま)までとられてまだ動いているのだから、時たてば白目をむき、牙のように歯が鋭くなり、結(ゆ)われた髷(まげ)も無残に崩れてゆらゆら振り乱しながら歩く、夢にまで見た"どざえもん"になるに違いないと、馴染みに人でなしな思いを抱く。

 だがそのような考えは吹き飛んだ。次にヤツを見かけたときには、鬼と見まごう顔つきで駆け回っては、町の連中にけったいなことを叫び散らしていた。やれ大店(おおだな)の長者がなんだの、やれこれで敵(かたき)が討てるだの。言葉尻(ことばじり)でない所はそれしか浮かばぬ。しかし、そのときのヤツの怒気(どき)と狂喜(きょうき)する様は、人前をはばかったり偽(いつわ)っているなどと考え浮かばぬほどおぞましく、また惨(みじ)めであった。とすると馴染みは大店(おおだな)の長者を討ちにいくのだろうか。あの金太(かねぶと)りした、焼けば頬の脂が特にうまみを含んでしたたる贅沢な食い物になりそうな旦那こそが、馴染みの馴染みを殺したというのだろうか。その晩、俺は床(とこ)につけなかった。

 あばら屋の中でお天道様の暖かみを広げた目と共に感じるのは久(ひさし)しかった。そろそろ読売(よみうり)を正して売り歩こうかと考えていたときである。またも火の手が上がったと町人が騒いでいた。足が空をかきむしるほど急いて走ったが、今日は俺の目が火の気に乾かされても頓着(とんちゃく)せずに、遮二無二(しゃにむに)足を回し続けた。何故(なにゆえ)か俺の馴染みのことがはっと浮かんだ。

 巻き上がる炎の轟音(ごうおん)に負けじとけたたましい足音を立てて火事場へと着いた。俺の馴染みたちが寄せ合いで苦楽(くらく)を共にした長屋(ながや)が……燃えていた。家の連中も、俺の馴染みも、みんな焼け死んだと近くの町人が言った。

 驚くほど……何も感じやしなかった。否、それを聞いたときから、何も感じたくなくなった。町の奴らの目が、お天道様に照らされた水のようになろうと、鼻筋に風が激しく通ろうとどうでもよい。強いていうなら、今日俺の目は、火の気で乾ききったに違いない。火消の連中がまた火事場の遙か手前で殴り合っている。何を言っているかはよく分からない。大店(おおだな)の長者も人使いが荒い、という声以外は。

 明くる日の大工仕事。腰を入れぬで空を拝んでいた。一味(いちみ)は珍しそうに見る者いれば、心配する者もいた。時折聞こえる大店(おおだな)の長者の話にはぎょぎょっと顔が向いた。
 また明くる日には、張り詰めた顔しながらノミをせっせと、ただただのぼせ上がったようにノミを乱暴に打ち鳴らしていた。そこまで仕事になった覚えはない。否、なるはずもない。結局、一味(いちみ)の奴らから体を休めろと追い払われた。

 それから俺の調子はますますおかしくなっていった。雑魚寝(ざこね)をしても体の節々(ふしぶし)が痛むので少しは冷えたであろう風に当たりにいくと、先の火消がため息をつきながら大店(おおだな)の長者のことを話していた。俺の馴染みもあいつに関わってかわいそうという言葉を聞いた時、俺は奴らにつかみかかっていた。何知ってやがんだてめぇと、殴りかかるほどに。だがいいことも聞いた。俺の馴染みを殺したのも、馴染みの馴染みを殺したのも、全部大(おお)店(だな)の長者らしいということだ。今度やってくるらしい行列の者たちに、長者の屋敷に焼き捨て損(そこ)ねた書(しょ)を見せれば長者は終わりだと。
 それから明けた朝のことは思い出したくもない。青白く魂(たま)をとられたような顔で、見たヤツは肝を抜かすのを通り越し、最後にはどうなっちまうのかと考えるに違いない。俺も自分の顔を見たくなかったので水辺がどこにあったか思い出せないまま、見かけただけでひぃひぃおののき逃げながら、疲れて頭を揺らしながらどざえもんのように歩いた。気がつかぬうちに、あいつはおわりだとぶつぶついっていたかもしれない。

 その晩はどこかも分からぬ所に来てしまっていた。夜(よ)風(かぜ)が冷え込むことをかろうじて感じることに、まだ俺にも正気(しょうき)は残っているのかと考えつく。長屋(ながや)から怒鳴り声が聞こえると、そこからどいつかが出て行った。確か町火消(まちひけし)の一人だ。その後を滑稽(こっけい)な走りで追おうとするは大店(おおだな)の長者。息を切らして長屋(ながや)の居心地悪さに文句をたれている。そして、もう遠くへ行ってしまった火消(ひけし)が長者の例の書を持っているらしいことも。それを聞き、すぐさま俺は足をかき回し走り出した。これぞ”飛奴波乱(ひやつはらん)”というものか。

 夜明けになって、俺はいてもたってもいられず、町の連中が聞いたら怪訝な顔をするだろう声を上げて走り回った。けったいなことを叫び散らしていたことだろう。やれ大店(おおだな)の長者がなんだの、やれこれで敵(かたき)が討てるだの。言葉尻でない所はそれしか浮かばぬようなことを。しかし、俺の怒気(どき)と狂喜(きょうき)する様(さま)は人前をはばかったり偽(いつわ)っているなどとみじんも考え浮かばぬほどにおぞましく、また惨(みじ)めであるはずだ。俺は大店(おおだな)の長者を討ちにいくのだ。あの金太(かねぶと)りした、焼けば頬の脂が特にうまみを含んでしたたる贅沢な食い物になりそうな旦那こそが、馴染みも、馴染みの馴染みを殺したのだ。だが俺はその晩にもこぎつかぬまま、不意な眠りにつくことになった。

 起きたときには見たこともない屋敷に縄(なわ)で縛(しば)られていた。俺の隣には、あの晩に見た、長者の書を持っているであろう火消。訳が分からず辺りを見回す俺を、火消が哀れんでいた。お前はわしと、この屋敷と共に大(おお)店(だな)の長者に焼かれるのだ。なにやら書状(しょじょう)をくくりつけられている火消はいった。お前が長者を疑(うたぐ)り回っていることも、わしが長者をおとしめようとしていることも、全部お見通しだったのだ。災難だったな。なんと無情(むじょう)な。俺は、俺の馴染みと、馴染みの馴染みと同じ道をたどってここで死ぬというのか。疑(うたぐ)っていた大店(おおだな)の長者に。俺の馴染みたちを同じく焼いた大店(おおだな)の長者に。なんと邪(よこしま)な長者か。なんと、愚かな俺か。だが火消は、おもむろに縄をほどいて見せた。そして屋敷にある堅(かた)いものを見つけてきて、壁を掘り始めたのだ。お前も火であぶって縄をほどけ。壁を掘れ。気づくと火の手はもうそこに迫っていた。言われたとおりに火に縄を近づけたが、熱い。飛び上がって暴れ回り、火が一息もせずに俺に回っていった。見かねた火消が俺の布きれをはぎ取り、自分の道具を渡して壁堀りを急かした。そこを壊せば外へ出られる。そう言ってもう一つ堅(かた)いものを探しているとき、うわべからしたたる炎が火消を襲った。火消は自分の身を守る事なく、とっさに書状(しょじょう)を床に滑らせ火から逃がした。俺の代わりにそれをもって逃げろ。そういうとヤツは息絶えた。書状にも火が移っていたが、俺はかまわずもちさって、ばったばったと壁を堀った。

 そうして一晩。そのときの火事は、近頃と同じほどの小さなものだったらしい。焦げた屋敷たちの骸を片付ける中、町の連中は俺と火消の一人が死んだことを語っていた。大店(おおだな)の長者がほっと一息ついた。
 ……俺はにやりと笑った。書状は少し焼け焦げたが、火消の恩は無駄にはならなそうだ。だがまだだ。見つかったら終わりだ。馴染みの無念も、馴染みの馴染みの無念も、見つかっては晴らせない。多くの無念を知った俺には、それを背負う義務がある。俺は町の連中から隠れて逃げて、来(きた)る行列を胸を躍らせながら待ち構えた。

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