四季

徐々に気温の高い日が多くなり、夏の訪れを感じる日々です

俳句や短歌に季語というものがあるように、
日本人が古くから四季を身近に感じていたことが分かります
清少納言が枕草子で綴った四季は、日本人が変わらず四季を愛でてきた様子が伺えて、なんとも美しく感じます

日本のように四季があって、
それを表現する方法に音楽をあてがったのがヨーロッパなのだと思います

例えばイタリアのアントニオ・ヴィヴァルディ『四季』
ヴァイオリン協奏曲で四季を表現しています

ただ、清少納言とヴィヴァルディの四季の捉え方は幾分違うように感じます
一言で言うと、
清少納言は「静」、ヴィヴァルディは「動」でしょうか

以前、鈴虫の音の捉え方で聞こえ方が違うという話を聞いたことがあります
周波数を左脳で受容すると 言語として認識し、
周波数を右脳で受容すると 音楽として認識する

言語として捉えるのは、日本人とポリネシア人なんだとか

つまり、
清少納言の四季への感じ方は その四季が示す言語的なメッセージで、
ヴィヴァルディの場合は   その四季が示す音楽的なメッセージを表現している

特に「冬」が個人的には顕著だなと感じます

”冬は つとめて”
冬の良さを早朝に込めているところが静かで繊細

一方のヴィヴァルディ、
冒頭から勇ましさというか、激しいというか、
動的で力強い

同じ事象をどう感じ、どう表現するか
面白い違いだと感じます



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