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完璧な人なんていないんだから


文字を書きたい欲が高まったので久しぶりにnoteの記事を書くことにした。

具体的に何を書くとか全く決めてないけど、これはもう完全に自己満のための記事、感情のアウトプットなので、それでもいいやという気持ちで文字を書く。

7月が終わろうとしている。

4月に部署異動があり、それ以来仕事に追われながらなんとか日々を生きている。休みの日に外に出る気力は少しずつ減退してゆくような疲れようである。傍から見れば大したことのない仕事をしているし、残業時間だって月に20時間程度ではあるものの、私にとっては日々を生きるだけで精一杯なのである。休みの日に起き上がって外に出る日も必要だけれど、それ以上に家から一歩も出たくない気持ちがまさる。コロナ禍もあいまって、私の出不精はますます加速していた。そんな私が、7月はその休みをすべてSHOWBOYの観劇に費やした。

正直めちゃめちゃしんどかった。暑いし。東京、人多いし。遠いし。それでもクリエの中に入れば、舞台をみれば、充実した気持ちを抱いた。

楽しいし、面白いし、ぐっと来るし。演者は楽しそうで、キラキラした笑顔と客の笑いを取りに行く姿勢がすごく印象的だった。

冒頭の♪Welcome to show boatと、♪エンターテイナーを聞くとどうしても涙が出そうになるのをこらえたり、見習いくんをひたすら目でおったり、客席の統制の取れた手拍子に口元が緩んだり。

SHOWBOYの世界に再び足を踏み入れることができたことに、言葉にできない高揚感と多幸感を抱いている。もう二度と叶わないと思っていた夢がかなった。本当に、いつ死んでも良い気持ちになった。本気で死んでいいと思っているわけでもないけれど、そのくらい達成感と充実感を抱いた。

そんな中で、私は彼らを見る自分の気持ちの変化を感じ取っていた。


昨年、コロナになって生活ががらっと変わった時期があった。外出禁止が敷かれ、コンビニに行くことすら不安に感じた時期があった。仕事も無期限の自宅待機となった。当時の私は抱えていた業務が少なく、直属の上司が自宅待機を選択することで何も仕事がなくなり、1ヶ月のうち3回しか出勤しない生活を送っていた。

会社で、仕事がある場合は出勤するように。でも無理にやる必要のない仕事のために出勤はしなくて良いと言われていたにも関わらず、部内で、どうしてあの人は会社に来ないのか。なんの仕事をしているのか(本当に仕事をしているのか)という囁きが流れるほどだった。

当然精神的に苦痛だった。働かずして給料を得られる喜びより、周りに仕事をしていないやつと思われていることへの焦りが勝った。だけど本当に仕事がなかったのだ。本当に今やる必要があるのかわからないような仕事をするために出勤にこぎつけて出勤しているような、そんな生活を送っていた。

現実逃避のため打ち込んでいたアイドルのおっかけ、舞台観劇の趣味も、相次ぐ公演中止などにより行えなくなった。

そんな中で、暇な時間に見るようになったYouTubeで、今最も足を突っ込んでいるゲーム実況というジャンルに片足を突っ込んだのである。

外に出られなかったとしても、ネット環境さえあれば供給を摂取できる、画期的なコンテンツだと感じた。

オンラインで繋がれる時代に生まれてきてよかったなとさえ思えた。楽しみにしてた現場も潰れ、先の予定もない、仕事もどうなるかわからない、未来も見えない、みたいなどん底にいた私にとって、ゲーム実況は希望の光みたいに見えた。


それから約1年たった。熱を入れる優先度が、明らかに変わっている。彼らより、新たな沼を優先している。これは完全に自分の意志であり、だれのせいでもない。

だけど、私は他人と自分の比較を止めることができない。

ふぉ〜ゆ〜のことを追いかけていないくせに、ふぉ〜ゆ〜のことを好きな気持ちを、誰よりも持っていたいと思ってしまう。少なくとも、自分より後に好きになった人に、負けたくないと、思ってしまう。それをやめることができない。

我ながら呆れてしまう。私がふぉ〜ゆ〜を好きな気持ちは、誰かと比べるものではない。勝ち負けではない。だけど、だめなのだ。

現場にたくさん入りたい、配信もラジオも追っていたい、雑誌での発言も逃したくない。

その感情の前には、つねに「あの人に」という気持ちがついている。あの人、とは、特定の人を指しているわけではなく、私より後に彼らのことを好きになった人のことを指す。つまらない、くだらない、子供のような独占欲である。

だけど私は今、昔のように彼らの活動を追うことができない。仕事が忙しいことも起因しているけれど、それよりも前にゲーム実況者の動画を見たい気持ちが勝ってしまう。そのくせ、たまに見た配信でコメントを拾われている人を見ると嫉妬してしまう。新しい仕事や舞台の感想で楽しそうにTLが賑わっていると高速スクロールで流す。いいねなんてつけない。どんな感情だこれは。とんでもなく自己中で身勝手でわがままな感情だ。

私のほうが古参だ、と無駄にアピールしたくなってしまい、変に擦れた感想をつぶやいてしまう。大好きな彼らに、昔との比較だったり、あえて貶すようなことを言ってしまう。何も楽しくない。誰も幸せになれない。あなた達とは違うの、昔から彼らを見ているの、というアピールをして自分が満足になるだけである。なんて虚しいのだろう。

というか、そもそも、私自身そんな古参でもない。オタクになったのは2018年のENTA!からである。新規やないかい。でも年中無休から見てたし、とか謎に半年前から好きでしたアピールとかしてしまう。無意味に。変わんないよそんなん。

そんな自分が嫌いだ。だけど、TLが賑わっていると私も見なきゃ、私も買わなきゃ、私も行かなきゃ、という、気持ちがどうしても強くなってしまい、無理やり情報を詰め込む。見たときは楽しい。だけど、それが自分の意志なのか、他人に影響を受けているだけのことなのか、私にはもう判断がつかない。楽しさの中に、ただただ虚しさと疲れる気持ちが募る。何も考えず真っ直ぐに、彼らを最優先で応援していたときよりうんと辛い。楽しそうに純粋に彼らの話をしているフォロワーを見るのが辛い。楽しそうで、眩しく見える。自分がますます虚しく見える。

自分が勝手に実況にハマり、離れていったのにもかかわらず、新規が増えたとか、彼らがコメントばっか拾うから、とかそんなふうに誰かのせいにしてしまうことも普通に辛い。ごんなさい。誰のせいでもないんです。本当に。

私が勝手に興味なくしてるだけなのに、全部追いかけたいと思うからだめなんです。他人と比較してしまうことがだめなんです。もっと自分に自身を持ってスタンスを貫きたいと思った。


なので、ここからが本題なのだが、一度、ツイッターのアカウントをリセットしようと思う。

今まで繋がってくれたフォロワーに、めちゃめちゃ大好きな人もいる。まともに返信返せない私(これは病んでるとか嫉妬と関係なしに私が単純に人と話さないのでなんて返せばよいかわかんないみたいな状態でリプ蹴りしまくるせい)にリプをくれたり、なんでもないつぶやきにいいねくれたり、誕生日にDMくれたり、会ってくれたり、チケット譲ってくれたりする人とのつながりが切れてしまうのは本当に本当に寂しいけど!!!

あと純粋にFF0のアカウント、チケ取引のときとか色々と信頼してもらえなくて困るのでそれも怖いけど!!!

でも、もうちょっと整理したい。自分の感情も、入ってくる情報も、コントロールしたい。そして、可愛げのないつぶやきをしてしまったことをリセットしたい。人と比較することで抱いた劣等感で遠ざけてしまった絵を描く行為を再開させたい。自分のことを好きになるために、もう一度0からやり直してみたいのである。

そして、フォロワーと楽しく盛り上がれるように、劣等感を克服して、マイペースに、楽しく、オタクを続けていきたいと思うのである。

やり直すだけなら別にアカウントごと変える必要がないこともわかるのだけれど、なんかこう、過去の汚い部分を抱えてこれも私!と言えるほど私はまだ強くない。この記事も公開してもいずれは非公開にすると思う。恥ずかしいし。

ツイッターのアカウントを消す関係で、つぶやいていた諸々をなんとかしてこのnoteに残しておけないかな、と思うのでしばらくメモ書きのような記事を更新しまくるかもしれない。そしてついでにこのnoteの記事も整理して行きたいと思う。一番最初の記事とか恥ずかしすぎて読み返すと笑いが止まらん。とりあえず非公開にすれば良いのかな???と思うので、そのあたりもおいおい整理していくつもり。8月は現場が少ないので、休みの日に少しずつ進めていこうと思う。

SNSの良いところは、こういう風に、気軽に、何度でもやり直せるところだと思う。


人生は変わる。いつだって変えられるさ。

これは、私が今月人生を費やしたSHOWBOYのラストシーンで歌われる歌詞である。ここまで赤裸々に、自分の真っ黒な感情を吐露した。読んでて不快に感じた方もいるかもしれない。だけど、そんな私の人生も、意思があればきっと変えられる。いつだって新しくスタートさせることができる。

人生は変わる。この言葉をいだきながら、新しい私を、8月くらいからスタートさせられたらよいなと、今はただ前向きに思っている。






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