見出し画像

「ママ」という代名詞。

私はいつも不機嫌である。

それは「ママ」である事によるからなのかも?(それとも元来の性格か?)

もし子供が将来誰かに、「あなたのお母さんはどんな人?」と聞かれたら「太陽みたいに、いつも笑ってる人!」と答えて、いや、即答して欲しい!なんて昔は思っていけど、地球が滅亡して生まれ変わってもう一回滅亡してもそんな事になりゃしない。

「ママ」という業種が向いていないことを自覚している私にとって、「ママ」でいることは大変辛いことの方が多い。業種と書いたが、それはもはや仕事と思っているから。その仕事は毎日24時間を無給にて行い、イレギュラー対応なんて日常茶飯事。不満や夜間対応も受け付けます。こちらの体調不良はお構いなし、体力と精神力と記憶力をフルに活用し疲労困憊する。そして気付けば、何も達成感がない。

「大変だけど、その中に喜びもあるでしょ?」と良く言われる。あるよ。なきゃやってられん。子供が喜ぶ姿はやはり嬉しい。いくら面倒でもキャラ弁とか作ってあげちゃおうと思う。でもその喜びはお互い一瞬。仕事量が減るわけではなく、むしろキャラ弁という仕事を課しているので仕事は増えるのだ!

外に行けば、「〜ちゃんママ」と呼ばれ、自分は存在してるけど存在していない。大抵は温かく見守って頂けるが、その中にも批判の対象になる瞬間があるので気が抜けない。スナイパー的眼差しはどこにあるか分からない。

でも「ママ」は私の名前ではないの。私は名前があって、そこに自分もいたのよ。今はほっとんど隠れてしまっている。

自分がいての、「ママ」だったはずなのに、なぜかその繋がりが見えなくなっているこの頃。だって誰も「私」を見て、「私」のする事に興味を持って、話を聞こうと思ってくれない。「ママ」というでっかいぬりかべが私の前に立ちはだかっている。

隠れている「私」が負のオーラを放ち「太陽みたいなママ」にしてくれない!


たまにはこんな事吐き出してもいいよね。


さぁ、洗濯物乾かないからコインランドリー行こ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?