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2度目の自殺未遂とそれから

こうかい
【後悔】
1. 《名・ス自他》してしまった事について、後から悔やむこと。 「―先に立たず」(事が終わって後にくやんでも取返しがつかない)


今回は2度目の自殺未遂の話をして行こうと思います。
それは去年の8月の出来事でした。

当時私は、同年5月に東京から地元にコロナで避難して帰省していました。
居心地の悪い実家に帰り、仲の悪い親との生活で私のメンタルの状態はボロボロでありました。

何かきっかけがあればすぐに発狂して、自分のコントロールが全くできていませんでした。
ものを投げたり自傷行為をしたり声を荒げたり…。
包丁持って暴れたこともあります。


そんなある日、またメンタルの状態が悪く親と揉めていた時のことでした。
口論もヒートアップし、私は目の前の窓から体を乗り出しました。
きっと止めて欲しかったんでしょう。試し行為です。
母親もただの脅しだと思って呆れてるだけでした。
呆れ返った母親は警察を呼びました。それでは火に油を注ぐだけで私はもっと体を乗り出して「死んだ方がいいんでしょ」と言いました。
なぜそんなことを言ったかと言うと母親は機嫌が悪い時に私によく「死ね」「産まなきゃよかった」などよく発言しており、PTSDになった私はよくこういう言葉がフラッシュバックするのです。

警察が到着する頃にはほぼほぼ私の体は窓の外に出てました。
ようやく焦った母親は「戻って来なさい」と止め出しました。結局警察官の目が気になって止めだしたのかと思うと余計にイライラし、そのまま私は窓から飛び降りたのです。

低層階だったので頭から落ちるように気をつけて窓から落ちました。
それが不運だったのか、首に激痛が走り、足がピンとなり、その次は手がピンと言う感覚に陥りました。

到着していた警察が救急車を呼び担架で運ばれ、私は「首痛えんだよ、触んなよ」など暴言を吐いてました。

この時点ではまだ手足が麻痺していることに気づいていませんでした。

気がつけば全身麻酔をされていました。
目が覚めた頃には手術が終わって集中治療室にいました。

首はギブスで固定され、手足が思うように動かなかったです。
先生が来て「脊髄を損傷していました、首の骨は折れていたのでプレートで止めておいてあります。手足は奇跡が起きない限り動かないと考えていて下さい」みたいなことを言われました。結構ショックだったので明確のセリフは覚えていません。

何よりも1番びっくりしたのが呼吸が自力でできないらしく人工呼吸器を口の中に入れられていたので喋れませんでした。

その日はそのまま麻酔が残っていたので寝ました。


そこから私の居場所はICU(集中治療室)になりました。
口の中に入れている人工呼吸器のせいで看護師さんともなかなかコミニケーションが取れません。

脊髄を損傷したせいで自律神経もおかしくなり下半身だけ燃えるように熱く、上半身は凍えるように寒かったです。
足の感覚がないのにアイスノンを当てて、気休めに冷やすみたり左向いてにはホットタオルを巻きつけてみたり常に高熱が出ていたりしてました。

かろうじて腕が動いていたので手に装具をつけてスマートフォン用のタッチペンをつけ、病院で貸し出してもらっていたiPadで言葉を打って相手に伝えていました。
それでも腕の筋肉の1部が動かなくなっていたので少し文字を打つだけでも半端ない体力を費やしていまうのです。

入院3日目にして母親が特別面会に来ました。
私はしゃべれないのでiPadで「げんき?」とだけ打つと「大丈夫だから、何も気にしないでいいから」と泣きながら私の頭を撫でました。優しい母親モードの時の母親でした。
何度かiPadで会話をしてこちらが疲れると世間はコロナと言うこともあり面会も終了しました。
特別面会が終わった後私も泣きじゃくっており、声が出ないのにこんなに涙が出るんだとびっくり。

食事は鼻の管から流されて栄養をとっていました。
もちろん薬もです。あの流れていく感覚を今でも思い出すと少し気持ちが悪くなります。
しかし今まで飲んでいた精神安定剤、抗うつ剤、睡眠導入剤、眠剤全てが直接胃に流れるので効果は抜群でした。

後は30分おきに痛み止めの注射です。首は固定されているしそこまで痛くなかったのですが何せよiPhoneもいじれない、自分のiPadもない、しゃべれないとなると暇すぎて注射の副作用で眠りにつく事しか考えられませんでした。それで1日の大半は眠っていました。

入院5日目ごろになるとリハビリの医学療法士の先生と作業療法士の先生がやってきます。簡単に説明すると医学療法士の先生は体をメインに、作業療法士の先生は細かい作業をメインにといったところです。

自分で動かせない体を医学療法士の先生にマッサージしてもらったり、作業療法士の先生にiPadをうまく使えるようにリハビリしたりしていました。
おかげで体がバキバキになることなく、iPadを使う時間も増やせることができました。
そこでようやく母親にiPhoneとiPadを持ってきてもらい、心配かけてた周りの友達に連絡をしました。


口の人工呼吸器を外す話になり、そのためには気管切開の手術を行わなければならなくなりました。喉に穴を開ける手術です。
ちゃんと自力で呼吸ができるまで穴を開け装具をつけることになりました。

この辺でようやく鼻の管も取れて、ご飯を食べる練習が始まりました。飲み物もようやく飲めるようになり、久々に飲んだオレンジジュースはとてもおいしかったです。

約1ヵ月半で呼吸ができるようになり喉の装具を外し傷が塞がるのを待ちました。
2.3日で穴が塞がりここでやっとしゃべれるようになったのです。
ちなみに喉の穴の傷跡と首にプレートを入れた後の傷跡は消えません。

次は腹筋の筋肉も麻痺しているので声がどこまで出るのかリハビリが開始されました。なるべく友達と電話するようにしたりしてリハビリしていました。
1年経った今でも大声は出せなくて、息が続かないので歌も歌えません。

元々メイクが好きだった私にとっては手の麻痺はとても辛いです。
おしゃれが大好きだった私にとっては足の麻痺はとても辛いです。
普通の恋愛もできないことが多くなりました。

ペットボトルの蓋も開けられません。寝返りを打つこともできません。起き上がることもできません。支えがなければ座っていることもできません。自力でタバコを吸うこともお酒を飲むこともできません。小説を読むこともできません。

全部自業自得だろと言われたらそれまでなのですが、こんな後遺症が残るんだったら死にたかったです。こんな後遺症が残るんだったら飛び降りなかったです。


ありがたいことに今回の件で生きていてくれて良かったと言ってくれる人が周りにたくさんいてくれているのですが、生き地獄です。


自殺を考えてる方、自殺未遂を繰り返してしまう方達へ。
自殺を辞めておけなんて簡単なことを言うつもりはありません。
失うものがない方が多いと思います。守るものも守られるものも。
何故雨や人並みなどに傷つくのでしょう。
死ぬことって簡単に思えてとてもとても難しいことですよね。明日を生きるよりも難しいことかもしれませんし明日を生きることよりも簡単なことかもしれませんが。
私は今入院していて退院したらまた自殺未遂をするかもしれません、なので周りの方を止める権利もありません。
ただ1つ言っておきたいのは、死は救済だと思っていても死にきれなかったら生き地獄です。100%死ねることなんてほんのわずかな可能性です。
生き地獄を味わうぐらいだったら死にたくなる根源をぶっ殺すことを考えた方が有利だと思います。私の場合は母親でしたけど離れて暮らしていればよかっただけです。そしていつも通り精神科の薬を飲んで好きなことをするだけで今回みたいなことにはならなかったと思います。
私は人に恨まれるようなことばかりしてきましたが、これを天罰だと思っていません。

だってみんなハッピーに生きたいじゃん。あなたは悪くないよ大丈夫。


そんな死に損ないの活字を読んでくださっている方ありがとうございます。
これで少しは生きてて良かったと思えるかもしれません。

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